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誰にも言わないまま屋敷を抜け出した。
どうしても、一生に一度でいいから冒険をしたいのだ。
私の生涯は10歳時点で既に決められていて、
明日、顔も知らない貴族と政略結婚させられ、そのまま子を孕む道具として一生を終える。
それだけの人生は嫌だったから。
せめて、最後の日に一口分の思い出が欲しかったから。
屋敷周りの森を駆け抜け、街にたどり着いた。
何か忘れ物はないか、と確認する。
ポケットに少しのお金、右手の腰に剣、他には…と巾着を探ろうとしたけれど、
この2つさえあればいいか、と途中で確認を止めた。
今から、ついに憧れていた冒険が始まる。そう思うと胸が高鳴る。
冒険と言えば、と思い冒険者ギルドへと向かった。実態はほぼ就職相談所らしいが。
抑えきれない衝動でスキップをしながら、中に入ってみる。
第一印象は役所で、デカいゴツい男もおらず、思い描いていた物とは全く違うが、それはそれだ。 冒険者登録窓口へ移動する。
「いらっしゃいませ! 初めてのお客様ですね、何かの依頼でしょうか?それならばあちらの窓口からとなっておりますよ」
「いや、冒険者登録よ」
受付嬢の年齢は18歳くらいだろうか。
こんな若さで働いてるのだから、地方から出稼ぎに来たんだろうな、と適当に思いながら言葉を返す。
「はい、わかりました!では薬草採集などを目的とするG級からでよろしいでしょうか?」
「良くないわよ。魔物退治はE級からでしょ?私は冒険をしたいの」
「…大変申し訳ございません、その…失礼なのですが、お客様は戦えそうに…」
そう返してくるとは思っていた。小娘が戦えるように見える人間はなかなかいないだろう。
ただ、私は戦える。戦えてしまうのだ。
人体強化。自らの体の中の物を強化する、10歳の誕生日、神様からもらってしまったスキルがある。
ここでは10歳になった子供は神殿で洗礼を受けるのだが、その時にごくまれに、神は気に入った人間にスキルを渡してくるのだ。
一応傾向として、「スキルを持った人間からはスキル持ちが生まれやすい」、というのがある。
私の政略結婚が決まった理由の一つだ。
「私は戦闘用のスキル持ちよ」と受付嬢に言いつつ巾着から硬貨を取り出してぐにゃ、折り曲げると、とあぁ、それならば。
と態度を変え、後ろから紙
を取り出す。
「文字は読み書きできるでしょうか。できるのであれば、必要な情報を書いてください」
一応貴族子女なので教養はある。パパっと紙にいろいろ書いた。名前と出身とかは偽って。
「……はい。それで大丈夫です。では受けられる依頼は…」
「コボルト退治。それで、お願いするわ」
コボルト。ゴブリンと並び、世界で1,2を争う最もメジャーで最弱の魔物。
一見は立った犬のように見える魔物だが、鳴き声などは似ても似つかないと聞いた。
人間ほどではないが、猿よりは頭がいいので、盗みを働いたり、私のような小娘をさらって孕ませて繁殖に使ったり。
いろいろと悪事を働く上、繁殖力も高いのでコボルト退治は最も多い依頼だ。ゴブリンのほうが多い地域もあるそうだけど。
「はい、了解いたしました。では報酬は――」
めんどくさい事務的な会話に適当に「はぁ」「そう」と応対して、ちょっとした地図だけ見せて貰った後。
ギルドを出ようと玄関に向かう。
けれど最後に受付嬢がこちらに大きな声で、こちらに忠告してきた。
「気を付けてください。新人冒険者は油断するのか、死にやすい傾向があります。」
明日のことを考えると、いっそ、そうできたら楽なのかもしれない。ちょっとだけ、そう思った。
――
人体強化を用いてコボルトのいる場所へ地図を見ながら向かう。
屋敷の中では到底感じることのできない緑が私を包む。
とても幸せだ。生涯の最高レベルだろう。
あぁ、物語で読んだあの英雄も、こんな気持ちだったのだろうか、
と思いながら走っていると、目の前にコボルトが3体。
今回の依頼ではコボルトを3体始末して証拠として尻尾を持ち帰る、というものである。
ちょうどいい数だ。ゆっくり、ゆっくりと隠れて歩き、コボルトのうちの1体の背後を取り、剣を振る。
「ぐぎゃっ!」
とコボルトが鳴くのと同時に、血が噴き出した。
コボルトは意外と強い、と本で読んだ。油断した冒険者が殺されるほどには。
できるだけ気を張りつつ、さっさと1体目をそのまま刺し殺し、残りの2体と相対する。
片方のコボルトが吠えた。
そしてこちらに飛び掛ってくるのを、そのままゆっくり待って、 相手の振りかぶった腕の手首に剣を振り切る。
「ぎゃっ」と断末魔を上げて軌道が少し横に反れたコボルトが痛みに悶えているのを見て、そのまま力任せに腹に一閃。
だいぶ切れた腹に「ぐぎぃ、ぐぎぃ」と怯えているそのコボルトの首を刎ね、最後の一体と相対する。
そいつは仲間が殺されたことに怒りを覚えたのか、こちらをにらみつけたまま動かない。
一応、特に思ってもないが心の中で「ごめんね」と言いながら、私はできるだけ一瞬で間合いを詰め、コボルトの首を刎ねた。
血の匂いにつられて他の魔物が来ないように、急いで尻尾を剥ぎ取ってその場を去る。
…あぁ、やったぞ!3体もの魔物と対峙し、私は無傷で勝利したのだ!
素晴らしい戦闘センスだ、と自画自賛する。
大した冒険じゃないけれど、憧れていた冒険ができただけで私は喜びに包まれていた。
多少、浮かれたっていいはずだが、そろそろ帰らないとお父様が私のいないことに気づいて怒るだろうな、と気づきさっさと街に帰ろうとした。
戻ろうとした、瞬間。私を大きな影が包み込んだ。雨雲だろうか、嫌だなぁ、と後ろを見てみると。
私の前にはボスコボルトが立っていた。
「んなっ…!嘘でしょう!?」
ボスコボルトは強い。通常コボルトを何倍も凌駕する戦闘力を持つ魔物だ。
そこら辺にいるコボルトとはわけが違う。
私は驚愕し、絶望してその場に立ち尽くした後、思いっきりボスコボルトから逃げ出した。
……いや、逃げ出すはずだった。しかし、ボスコボルトは素早さに特化した魔物らしい。
多少強化されているとは言え、小娘には逃げ切ることはできず一瞬で捕まった。
組み伏せられ、舌なめずりをしている様子をこちらは見せられる。
そういえば、本で読んだ。「ボスコボルトは発情期になると、異種族の娘を性的に襲う」…と。
最低のタイミングで思い出してしまった。これから私のされることには想像がついてしまう。
このままやることやられてこいつの子供を産まされるのだろう。政略結婚より最悪だ。
まずはキスから、だとでもいうのだろうか。舌を出したコボルトは私の顔に近づいてくる。
あぁ、もう駄目だ。起死回生の一手だって全く思い浮かばない。私には体の中の物をちょっと強くする、そんなスキルしかない。
…いや、違う!「体の中の物」を強くするのであれば…!
奴が私の体に入り込んで来るのならば、奴の心臓を強化できないわけがないだろう。いや、できるのだ。できなくてはならない。
心臓を破裂させたり、過呼吸を起こさせたり、うまくやれば殺せる…!
舌が私の口の中に入る。その瞬間に奴の心臓に向けて人体強化を発動させ、目を閉じ祈る――
瞼を開けば、ボスコボルトは死んでいた。素晴らしい達成感とともに、先ほどとは比べ物にならない喜びが体を襲う。
体が踊りだしそうだったので、そのまま踊る。あぁ、生きている!
ボスコボルトの死体を見て一緒に持って帰ろうかと思ったが、
重たそうだったのでそのまま放置し、そそくさと街に帰った。
もう日も落ちていて、冒険者ギルドに寄って家に着くころには真っ暗だった。
夜遅く帰ってきた私をお父様は怒るかと思ったが、特に何も言わずに屋敷に入れさせてくれた。
私が外に出ていたのに気づいているのか、気づいてないのかわからないけれど、
優しく、温かい声音で今日はもう寝なさいと自室のベッドに入るように促される。
今日はすごく良い夢だった。明日のことが、どうでも良くなるほどには。
私は疲れからかすぐに眠ってしまった。とても幸せな眠りだった。もう少しだけ余韻に浸りたかったけれど。