ペイン邸へ向けて馬を走らせたランディリックが、友・ウィリアムやセレン――ことセレノ・アルヴェイン・ノルディール皇太子殿下、そうしてダフネと対峙していた頃。
ウールウォード邸には、ようやく朝の気配が満ち始めていた。
日差しが照らし始めた街のそこかしこに、しっとりとした朝靄が薄く漂っていて、そんなぼんやりした風景の中、街の人々が少しずつ朝の支度をし始めているのが空気の端々に漂っていた。
八の刻を半時ばかり過ぎた頃。
リリアンナが見下ろす窓の下、邸宅前庭に一台の馬車が滑り込んできたのが見えた。
「うちの馬車ね。こんな朝早くからどこへ行っていたのかしら?」
背後ではナディエルが髪へ付ける髪飾りの算段をしてくれている。
そんな彼女に向けて小さくつぶやけば、ナディエルも手を止めて窓ぎわへ寄ってきた。
ウールウォード家の紋章を掲げた馬車の扉が開くのを、執事のラウが出迎えている。
「ラウ様が迎えていらっしゃるってことはお客様でしょうか?」
ナディエルの言葉に小首を傾げながら、リリアンナは思う。
(もしかしたらランディが朝早くからどこかへ行っていたのかも知れないわ)
その証拠のように、いつもならリリアンナが起きて大分経つのに、今朝は珍しくランディリックが朝の挨拶をしに来てくれていない。
そんなことを思う二人の眼下で、馬車から降り立ったのは、濃紺のストールを肩に掛けたクラリーチェ・ヴァレンティナ・モレッティだった。
「クラリーチェ先生!」
そう言えば、王都・エスパハレの玄関口のひとつ、グランセール駅で別れた際、クラリーチェはリリアンナに勉強を教えに訪問すると言ってくれていた。
ランディリックから事前の連絡はなかったけれど、それが今日だったのだ。
リリアンナはナディエルと顔を見合わせると、ハーフアップに結わえた髪の毛へ、今日のドレスの色に合う、ワインレッドのリボンを付けてもらった。
こんなに朝早く来訪したということは、きっとクラリーチェも、ウールウォード邸で一緒に朝食を食べるはずだ。
(食事作法のおさらいね)
味は分からないなりに、美味しそうに食べているように見える技は大分磨けたと思う。
リリアンナは「早く早く」とナディエルの手を引いて、いそいそと階下へ向かった。
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