テラーノベル
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辺境ニンルシーラほどではないとはいえ、ここ王都エスパハレでも、朝はまだ少し冷える。
クラリーチェが馬車を降りて身震いしたと同時。ウールウォード家の老執事ラウが胸に手を当てて綺麗なお辞儀をする。
「クラリーチェ・ヴァレンティナ・モレッティ―様。早朝より無理を申し上げ、誠に恐縮でございます」
「いえ、構いませんわ。……ところでランディリック侯爵様は?」
ラウは一度だけ視線を伏せ、控えめに答えた。
「ランディリック様は……クラリーチェ様へ使いを出されてすぐ、用事が出来たとかでご出立なさいました」
ラウの言葉にクラリーチェが瞳を見開いた。今朝、自身の生家リヴィアーニ家へ急ぎの使者がやって来たのは、まだ日も昇らぬうちだったと、屋敷の使用人から聞かされている。
「まあ! そんなに朝早く……」
「はい。急なことでしたので、リリアンナお嬢様のことが気掛かりだったらしく……。クラリーチェ様には、閣下が留守の間、リリアンナお嬢様のお勉強を見て頂きたいとのご意向です」
なにがあったのかは分からないけれど、きっと緊急事態なのだろう。
ラウの言葉に驚いて眉を上げたクラリーチェだったけれど、深くを尋ねすぎるのは得策ではないと心得ている彼女は、それ以上詮索しなかった。
色々思うことはあったけれど、淑女の身だしなみ。すぐさま穏やかな表情へ戻すと、ラウへ微笑んだ。
「承知しました。ランディリック様がお留守の間、わたくしが責任を持ってリリアンナお嬢様を導きます」
「有難うございます。――こんなところで立ち話も何ですし、中へ……」
馬車を降りたところでつい話し込んでしまっていた。
このままでは身体が冷えてしまう。
ラウに導かれるまま、クラリーチェはウールウォード邸の屋敷内へ入った。
扉を抜けてすぐの玄関ホールには、侍女頭のマルセラが控えていた。
恭しく礼をしつつも、こちらもラウ同様、どこか申し訳なさそうな表情をしている。
ラウはマルセラに視線を流すと、自身は他の用があるのだろう。
「わたくしはこれで……」
言って、屋敷奥へと姿を消した。
「クラリーチェ様、ランディリック様から朝食はお済みではないはず、とうかがっておりますが、相違ありませんか?」
ラウからクラリーチェの対応を引き継いだマルセラが、侍女たちに目配せしてクラリーチェが外したばかりの手袋などを受け取らせながら問う。
「……はい。早朝の呼び出しゆえ、是非ともこちらで朝食を……とのお達しでしたので、お恥ずかしながら……」
言えばマルセラがホッとしたように吐息を落とす。
「実はリリアンナお嬢様もまだ朝食がお済みではないのです。――ご一緒していただけるとわたくしどもも助かります」
料理長のオルセンが、ランディリック用に手配していた材料が無駄になるのではないかと気にしていた。
それをクラリーチェが食べてくれたなら、仕込まれた料理も浮かばれるというものだ。
「喜んで」
そうすれば、リリアンナへ食事作法のおさらいも出来る。
クラリーチェは、にっこり笑ってマルセラの提案に快諾した。
***
ちょうどその時、階段の上から軽やかな足音が響いた。
暗赤色の髪に結わえられたワインレッドのリボンと調和する、淡いクリーム色のモーニングドレスを身にまとったリリアンナだ。細かなレースの袖口が、階段を降りるたびに朝の光をひらひらと受け止めた。
淡い朝の光を背負った姿は、まるで花が開く直前の蕾のようだった。
タタタッと小走りに駆け寄ってくるリリアンナの背後を、彼女の専属侍女のナディエルが、「お嬢様、そんなに走られては危のうございます!」と言いながら慌てたようについてくる。
まるでニンルシーラにあるヴァン・エルダール城でのひとコマみたいだった。
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