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「お嬢様、お待たせいたしましたっ!」
アンナが息を切らしながら、分厚い紙の束を執務室の机に置いた。
――ドォォォォォン!!
あまりの衝撃に、机の上のティーカップがガタッと悲鳴を上げる。
「……あら、さすがアンナ。仕事が早いわね」
私は髪を無造作にまとめ上げると、手近にあった一本のペンをかんざし代わりに挿した。さらに、レースが施されたドレスの袖を肘まで捲り上げる。
(あぁ……この懐かしい感覚。経理部の血が騒ぐわね♡)
執務用の眼鏡をクイと指で押し上げ、私は膨大な書類の山へと手を伸ばした。
***
一方、その頃。 皇太子専用執務室では――。
「……ソフィア……」
カイルは古びたクマのぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめたまま眠っていた。
その静寂をぶち破ったのは、ギルバートの声だった。
「殿下ッ! 演習場に現れねえと思ったら、どこで油売って――……っ!?」
騎士団演習の時間を15分も過ぎてなお現れない主君を捜し、ギルバートは苛立ちを隠さず扉を蹴破る勢いで押し開けた。
「…………」
そこで目にした光景にギルバートは絶句した。日差しが差し込む執務室のソファで、カイルがぐったりと崩れ落ちている。髪は乱れ、その姿はまるで強敵との死闘を繰り広げた直後のようだった。
「ま、まさか、刺客が――!?」
慌てて駆け寄ろうとしたとき。 主君の頬に残された口紅の跡が目に飛び込んできた。そしてよく見ると、胸元には古びたクマのぬいぐるみが抱きしめられている。
「…………」
ギルバートは、抜きかけた剣をカチャリと虚しく鞘に戻した。
(……はあ。この主君は……)
深すぎるため息が、部屋に落ちる。
「……殿下」
「ん……」
「殿下!!」
「……ギ、ギルバート!? な、なぜここに!?」
カイル殿下が勢いよく飛び起きた。
「迎えに来たんすよ、殿下」
ギルバートは呆れたように腕を組む。
「演習場じゃ100人の騎士が、首を長ーくして主君の御成りを待ってますぜ」
「…………」
カイルの顔から、さっと血の気が引いた。
「い、今何時だ!?」
「演習開始から15分過ぎっすね」
「15分!?」
「いやあ……悪かったっすね」
ギルバートの視線が、カイルの頬に残る口紅へと向けられる。
「休憩中にお邪魔しちまって」
「ち、違う! これはだな――!」
カイル殿下は慌てて立ち上がった。 その拍子に、ソファの背に掛けられていた軍服が床へ滑り落ちる。
「おっと」
ギルバートがそれを拾い上げた。
「……殿下。肝心のサファイアと金ボタンは、どこへ置いてきたんすか?」
「っ!?」
あるはずの大粒サファイアが消え去り、純金のボタンも剥ぎ取られ、糸が無残にブチブチと飛び出している。
「装飾が根こそぎ持っていかれて、糸がブチブチですぜ。……一体どんな攻防戦を繰り広げたら、こうなるんすか?」
カイルは自分の軍服を見下ろした途端、顔面が沸騰したかのように真っ赤に染まった。 逃げるように後ずさり、聞かれてもいない言い訳を猛烈な勢いでまくしたて始める。
「ち、違うのだ、ギルバート! これには、その、物理的な構造上の不可抗力が働いて偶然取れたのだ……!」
「……金ボタンが三つも? サファイアまで? 偶然?」
ギルバートは心の中で遠い目をした。
「……はいはい、左様で。……で、足腰は大丈夫なんすか?」
「なぜ足腰の心配をする!?」
「いや、本日の剣術訓練に響いたら困るんでね」
ギルバートは大真面目な顔で続ける。
「なんなら『名誉の負傷』ってことで、今日は休みにしときますぜ?」
「いや、行く! 今すぐ行くと言っているだろう! お前は余計なことに気を回すな――!!」
飛び出すように部屋を出て行く主君の背中を見送りながら、ギルバートはぽつりと呟いた。
(この分なら、夫婦仲の心配はいらねえな……)
コメント
1件
あらためて読み終えたわ。このエピソード、めっちゃ好きだわ…!カイル殿下の言い訳が「物理的な構造上の不可抗力」って、どんな職業病だよって笑ったし、ギルバートの「足腰大丈夫ですか」の追撃が最高すぎる。ソフィア様が経理の血で書類の山に立ち向かう姿もカッコよかったし、ちゃんと対になってる構成がおしゃれ。夫婦仲の心配はなさそうで何よりだわ🔥
ひより
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鷹槻れん

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