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✧≡≡ FILE_010: 帰るべき場所 ≡≡✧
「──っ!? ちょっと! 大丈夫!?」
声が響いた。
boyの近くに駆け寄ってきたのは、小柄な少女──Kだった。
「しっかりして……!」
Kは息を切らしながら、自分のマフラーをすぐに外してboyの首元に巻いた。
その動作には一切の迷いがない。
「何で……君、こんなとこで……」
Kはboyの頬を軽く叩きながら尋ねた。
「避難所は、逆方向だよ?」
boyは、震える声で言った。
「……っ、う……ミルフォード研究所に……行かないと……」
Kは、言葉を失った。
「え……?」
「ワイミーさんが……爆弾を……止められるかもしれないから……行かなきゃいけないんだ……」
その言葉に、Kの目が大きく見開かれた。
「ば、爆弾を止める!?」
「そう……ワイミーさんなら、きっと、止められる。だから……行かなきゃいけないんだ」
こくりと力なく頷いた少年。
その言葉を聞いた瞬間、Kの心臓が跳ねた。
冷たい風が頬を撫でても、彼女の体温は上がっていく。
──この子、死ぬかもしれないのに。
──それでも、行くって言うの?
目の前にいるのは、自分と同じくらいの歳の少年。
小さくて、痩せていて、手も震えている。
なのに──たった一人で爆弾を停めようと動いているなんて。
その姿に打ちのめされる。
なんて強い子供なのだろう、と。
自分はついさっきハウスから逃げてきたばかりだというのに……。
「ワイミーさん?……ワイミーさんの所に行きたいのね?」
boyは、力なくこくりと頷いた。
Kの喉が、ぎゅっと詰まる。
Kは視線を逸らすようにして、ポケットの中を探った。
そこには、折り目のついたメモ紙が入っている。
ワイミーさんの携帯番号。
もし何かあったら、ここにかけなさい──そう言われた番号だ。
携帯を取り出すと、震える指で番号を押す。
もしかしたら、繋がるかもしれない。
そんな期待はよそに、呼び出し音は鳴らなかった。
電波が──途切れている。
「……繋がらない……」
Kは顔を上げた。
空には重たい灰色の雲。
吹きつける風の音しかない。
避難し、人々がいなくなった街は、まるで世界の終わりみたいに静かだった。
仕方なく、携帯をしまうと、Kはboyの体を抱きかかえ、近くの壁際に彼を座らせた。
「爆弾を止めるって……無茶よ」
息が荒く、頬は冷たく、まつ毛には氷の粒がついている。
(この寒さじゃ、倒れて当然……)
考えるより先に、体が動いた。
Kは自分のコートを脱いで、boyの肩に掛ける。
それでも足りないと感じて、ためらいながらも、彼の隣に腰を下ろした。
身体を寄せて、冷え切った腕を包み込む。
お互いの体温が、わずかに重なった。
「……手、こんなに冷たい……」
Kは、思わずその指先を握りしめた。
まるで氷のようだ。
触れた瞬間、こちらの体温が奪われていくような錯覚を覚える。
「ねえ、どうして……こんなになるまで……」
「……………」
問いかけても、返事はない。
boyはまぶたを閉じ、わずかに呼吸をしているだけだった。唇の色は青く、ずっと震えている。
boyの服には泥の跡。
ジーパンの裾は裂け、膝に血がにじんでいる。
ここまで歩いてきた道のりを想像するだけで、胸が詰まった。
(こんなになるまで、ひとりで……)
しばらく、風の音だけが聞こえていた。
boyはまだ何も話さず、じっとKの肩にもたれかかっていた。
Kも言葉を選びかねていたが、不意にぽつりと口を開いた。
「……君、名前は?」
boyは、ゆっくり顔を上げてから、小さく首を振った。
「……ないんだ」
「え?」
「名前は、ない」
Kは、目を丸くした。
「じゃあ……何て呼ばれてるの?」
boyはぽつりと答えた。
「“あの子”とか、“その子”とか、“あいつ”とか……ときどき“ガキ”だとか」
「……………」
boyの声は淡々としていた。
まるで、自分が「名前を持たない」という事実を、もう何の違和感もないように。
その穏やかさが、逆にKの胸を締めつけた。
「……“名前のない人間”なんて……」
Kは小さく呟いた。
それがどれだけ過酷なことか、今まで想像すらしたことがなかった。
「……親は?」
思わず、問いかけていた。
「君の、お父さんか、お母さん……どこかに、いるんじゃないの?」
boyは、ほんの少しだけ目を伏せてから、首を横に振った。
「……分からない」
Kは言葉を失った。
あまりにあっさりと返されたその一言が、余計に重たく感じられた。
「……分からないって、どういうこと?」
「“いた”のか、“いなかった”のか……それすら……分からない」
Kは、boyの横顔をじっと見つめた。
どこか他人事のように語るその声に、悲しみは含まれていなかった。
けれど、悲しくないわけがない。悲しむという感情を知る前に、悲しみが“当たり前”になってしまったんだ──そんな気がした。
Kはboyの手をそっと握った。
あまりに小さくて、細くて、冷たい手。
言葉が喉の奥につかえる。でも、吐き出さなければいけないと思った。
「……帰る家なら、あるよ」
Kの声は小さく、でもはっきりとしていた。
boyが、かすかに瞼を動かす。
「私も……両親がいない……亡くしたの。小さい頃に」
Kは前を見つめたまま、遠い記憶を引き寄せるように語り出した。
「家を燃やされて。何もかもなくなった。……両親も、全部」
「……」
「悔しかったよ。悲しいよりも、悔しかった。何で誰も助けてくれないのって。でもね──そのとき、私の手を握ってくれたのが、ワイミーさんだった」
boyは目をそっと閉じた。
Kは続ける。
「優しい人なの。すごく。頭も良くて、懸命で。色んな事をあの人から教わった。──私、あの人が命の恩人なの」
boyはそっとKの方を見た。
Kはその視線を感じ取りながら、言った。
「だから──ワイミーさんなら、きっと君のことも保護してくれる。名前がなくても、親が分からなくても。あの人なら、“君という存在そのもの”を、ちゃんと見てくれる」
Kは少しだけ笑って、続けた。
「──ほら、これ」
Kはそっとポケットに手を入れた。
くしゃり、と小さく鳴る紙の音。
折りたたまれたそれを、boyの手の中に押し込むようにして渡した。
「ワイミーさんの電話番号と、“ワイミーズハウスの住所”が書いてある」
boyが不思議そうにKを見る。
Kは、かすかに笑った。どこか吹っ切れたような、笑顔。
「もう……私には必要ないから」
「?……」
「私、ワイミーズハウスの出身なんだよ。──君も来ればいい」
boyは少しだけ目を細めた。
ほんの数秒、言葉が降りてこなかった。
やがて──
「……でも、爆弾が爆発したら、ここも、なくなる」
Kの顔が固まる。
boyは、まっすぐ前を見ていた。
その視線は、どこまでも遠くを見つめている。
「全部、なくなる。あなたの家も、みんなの家も、“これから”も──。だから、止めなきゃいけない。私が生きるためにも……帰る場所を残すためにも……。私はまだ──“死にたくない”」
その言葉に、Kは言葉を失った。
目の前の少年は、冷え切った手で、自分の手を握り直した──
その正義心にKは肩を落とすと、目を閉じて、ゆっくりと目を開いた。
「…………分かった」
Kは立ち上がった。
boyを見下ろすことなく、目線を合わせながら、はっきりと伝える。
「私が案内する。ワイミーさんのところまで」
「……………」
boyは、ゆっくりと立ち上がると、Kの方を見つめた。
「ワイミーさんは今、“ヴォクスホロウ研究所”にいる」
「……ミルフォードじゃ、ない……?」
boyがKにコートを返すと、Kはコートを羽織った。
さっきよりも少し冷たいコート。
自分の体温で暖かったはずなのに、こんなに冷えている……。
冷たい風がまた、ふたりの間を吹き抜けた。
「あそこじゃないよ。……私、そこそこワイミーさんに可愛がられてたから、あの人の居場所知ってるの」
boyに巻いた白いマフラーを再び巻き直し、手を引っ張った。
「こっち。着いてきて!」
その背中を追って、boyも走り出す。
目指すは、ヴォクスホロウ研究所。
世界を変える、小さな足音が、無人の街に響き始めた。