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黒と白のエントランスを腕を組みながらエレベーターホールに向かう二人の後ろ姿をテラス席から腕を伸ばして連写した。液晶モニターに手のひらを|翳《かざ》して画面を確認する。
(・・・・よし、バッチリ)
龍彦がエレベーターのボタンを押し、《《橙子先生》》がその耳元に何かを囁いている。真昼は慌ててその姿にカメラレンズを向けた。
(ベタベタし過ぎ、不倫してますって感じ)
人目も|憚《はばか》らないその行動に呆れて物も言えない。真昼がテーブルに肘を突き上昇するエレベーターのランプを眺めているとそれは20階で停止した。
(ーーー20階)
真昼はなにかに弾かれたように携帯電話の画像フォルダを開き、龍彦が残したメモの内容を改めた。そこに書かれた暗号のような2018。
(もしかしたら、20階、2018号室)
酸っぱすぎるレモンティーの代金は980円、真昼はチェックインカウンターに向かった。
「すみません」
「はい」
「お部屋を指定しての宿泊は可能ですか」
「はい、空室がございましたら」
真昼の喉がゴクリと鳴った。
「に、2018号室は」
カチカチとマウスが動き回り、キーボードがリズミカルな音をたてた。
「申し訳ございません、生憎そのお部屋に空きはございません」
「そう、ですか」
ふと思い付く。
「じゃ、じゃあ来週は?来週の予約は出来ますか?」
「ーーーーあぁ、その日もご予約済みですね」
(もしかして、その日も《《橙子先生》》と会うのかも!)
「あ、ありがとうございました」
「ご予約は宜しいでしょうか」
「また来ます」
「かしこまりました、またのお越しをお待ち致しております」
「ありがとう」
カメラを膝に置いてエントランスの革のソファにどっかりと身を預けた真昼は熱で朦朧としながらも撮影した二人の姿を液晶モニターで確認した。長い黒髪、細身、長身の龍彦の横に並んでも見劣りしない八頭身。
(モデル並みね)
急に同じデザインのワンピースを着ている自分が恥ずかしくなった。
(あーーあ)
そこでフルーツパーラーで撮影した一枚に目が釘付けになった。
(でも、この顔、やっぱり何処かで)
なにかに突き動かされるようにソファーから飛び上がった真昼はホテルの回転扉を一周半回転して頬を赤らめ、駐車場の一方通行を逆走しそうになり交通整理係の赤い棒に止められた。
(この顔、見覚えが、ある!)
信号機で停車する事がもどかしい、片側二車線でのんびり右折しようとウィンカーを出す車を追い越して自宅駐車場までの道を急いだ。耳の中が水に浸かったようにぼんやりとしている。
(知ってる、あの人、知ってる!)
エンジンボタンを押し排気音が止まると先ほど迄の微熱は何処へやら、黒い鞄の中で一眼レフカメラがガシャガシャと上下しようとも気にせず家へと走った。玄関扉の鍵を差し込む、パンプスは右に左に脱ぎ散らかして階段を一目散に駆け上がった。
「ど、どれだっけ!」
殆ど物置と化している小部屋に入ると真昼は迷いなく戸棚のガラス戸を開けた。埃っぽい臭いに顔を歪めた。
「どれ、どれ!」
真昼は分厚いアルバムを何冊も取り出すと慌ただしくページを捲り、結婚式や披露宴会場での写真を漁るように見た。
「これじゃない、これじゃない!」
最後から二ページ目。
「ーーーーアッ!」
三冊目、披露宴会場の全景を映した片隅に、《《義父母》》にお酌をするその女性の姿を見付けた。結上げた黒髪、|浅葱色《あさぎいろ》の色紋付、金と銀の豪奢な帯、《《橙子先生》》だ。
「な、なに、お義父さんと知り合いなの?」
動悸がする。
「ーーーそうだ」
披露宴への出席者を決める時、唯一、龍彦が招待したいと言った人物が居た事を思い出した。
「大学時代の恩師なんだ」
その人物は龍彦が美術工芸大学在学中に所属していたゼミナールの助教授だと話した。
「ふーーん」
「呼んでも良いかな」
「良いよ、お世話になった人なんでしょ」
「うん」
それまで披露宴の事など無関心だった龍彦が唯一目を輝かせた、その違和感が蘇る。
(その先生の名前、名前、名前は)
アルバムの隙間から透かし模様が入った和紙が落ちた。披露宴会場の席次表だった。真昼は円卓の名前を指先で確認した。目が泳ぐ、視点が定まらない。
「ーーーーあった」
心臓が止まるかと思った。
「|凪 橙子《なぎとうこ》」
龍彦の不倫相手、《《橙子先生》》は大学時代の恩師である凪橙子という女性だった。「お世話になった人なんでしょ」ただの講師と学生という間柄なのだろうか。
「ーーーまさか、私と結婚する前からの関係」
この二人の関係は大学時代、十年以上前から続いていた可能性がある。若しくは結婚披露宴に招待し、招待され、それを機会に肉体関係が再燃したのかもしれない。
(たっちゃんは私をずっと騙していた)
この年配の女性との関係は結婚には結び付かなかった。けれどこの家の後継が必要だった。真昼はその為だけに龍彦に選ばれたのかもしれない。
(ーーーーなんの為の結婚だったの)
偽りの夫婦のアルバムに、真昼の涙がポタポタと落ちた。