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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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その後、真昼の熱は本格的に上がった。氷枕を使い額には冷却シートを貼ってナイトテーブルにスポーツ飲料を置いた。


(さ、寒い)

「ただいまーー!」


壁の時計は18:00、龍彦はニューグランドホテルのフルーツパーラーの紙袋を手に提げて意気揚々と帰宅した。階下からすこぶる機嫌の良い声が真昼を呼んだ。


「真昼ー!土産ー!」


枕元の体温計は38.2℃、土産と言われ、喜んでベッドから起き上がれる体調ではなかった。


「真昼ー!ちょっとー!」


無視を決め込んでいたがその声は繰り返し、真昼は肩にカーディガンを羽織ると渋々階段を降りた。匂い立つ白檀の香り、それは明らかに凪橙子との《《事後》》である事を示していた。


(なに、なに考えているのよ)


あまりに情けなく涙が滲んだが言われるままダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。足元から悪寒が伝わって来る。目の前の白い皿にはイチゴと生クリームが何層ものパイ生地で挟まれたミルフィーユが乗っていた。


「はい、お土産!」


満面の笑顔だ。


「どうしたの、これ」

「ニューグランドホテルで会合があったんだ、そのお土産」

「ーーーー会合」

「そう、このケーキ好きだろう?」


有りもしない会合、熱で朦朧とする妻への土産が脂っこい生クリームのケーキ、これは不倫の後ろめたさを隠す保身の|貢物《みつぎもの》でしかなかった。


「あ、これ邪魔だよね」


いつもよりも饒舌な指先が、ケーキを包む透明なビニールを取り外す。


(その指)


ほんの数時間前まで龍彦はその指で凪橙子の股座を弄り、滑り込ませ、前後させていた。見るも悍ましい光景だ。


「ーーー食べないの?」

「熱があるから」

「あ、そう」


熱が何度あるのかも尋ねない龍彦の冷酷さ、真昼の怒りは何層にも積み重なっていった。


(ーーー離婚しよう)


この龍彦と過ごした五年間が嘘と偽りで固められたものだと思い知った真昼は龍彦との離婚を決意した。


(《《あの証拠》》は使わせてもらうわ)

「じゃ、寝るね」

「そ、ケーキ、冷蔵庫に入れておく」

「うん」


龍彦はケーキを横に倒してラップも掛けずに冷蔵庫の扉を閉めた。

木曜日、真昼は仕事を休んだ。朝起きると龍彦は未だリビングのソファで口をアングリと開けて涎を垂らしていた。オンラインゲームの世界ではドラゴンが炎を吐き出しながら首を振っている。


(・・・・・・・)


龍彦の横で仁王立ちした真昼はデータの保存をしないままパソコンとテレビの電源を落とした。ささやかな真昼の子ども染みた反抗だった。


グゥ


腹の虫が鳴る。薬を飲む前にまず何か口に入れなければならない。キッチンに並ぶシリアル、いや、それよりも消化の良い温かい食べ物。


(なにか、ないかな)


冷凍庫で凍らせてあったご飯を探したが見当たらない。


(・・・・龍彦め、いつの間に)


致し方なくレトルトパウチの白粥を沸騰した鍋に入れた。グツグツと煮えたぎる消化不良の感情。


「・・・・・!」


無言で肩を叩かれその瞬間、真昼は龍彦の手を振り払っていた。


「な、なんだよ」

「あ、ごめん、びっくりして」


背後に立つ龍彦は真昼のパーソナルスペースの中に踏み込んでいた。至極真っ当な夫婦ならば背中を抱き締めて「おはよう」の口付けのひとつも交わすのだろう。


(気持ち悪い)

「なに、顔、怖いんだけど」

「まだ体調悪いから」

「風邪でもひいたの?」

(昨日、熱あるって言ったよね!?)


洗濯かごのワイシャツから匂い立つ白檀の香りと龍彦の張りついたような薄ら笑い。この虚像の生活に限界を感じた。


「退いて」

「え」

「コーヒー淹れるから退いて」

「え、なに、ちょっと」


龍彦はおもむろにガスコンロの火を消した。


「ーーーなに、してるの」

「コーヒー、見て分かるでしょ」


身体の具合が悪いと言う妻の代わりにレトルトパウチの封を切り白粥を器に盛り付ける、ただそれだけの動作が思い浮かばない龍彦は真昼をキッチンから追い遣った。


コポコポコポ


芳しいコーヒーの香りが漂う。


「じゃ」


龍彦はその香りだけを残して仕事場へと向かった。


「ーーーーもう、駄目だな」


真昼はやや温くなった白粥を口に流し込んだ。


金曜日の定時に郵便窓口に立った真昼の表情は暗くいつもの溌剌さがなかった。玉井真一は訝しげな表情で真昼の顔を覗き込んだ。


「120円のお釣りになります」

「ーーーはい」


真昼は口角を上げてみたが心底笑う事が出来なかった。玉井真一は「どうしたんですか」と声を掛けてみたかったが他の局員の目もあり、元気のないその後ろ姿を見送るしかなかった。


「ーーーーーはぁ」


龍彦との離婚、その後の生活に思いを巡らせる今の真昼には、玉井真一の姿を見て無邪気に「癒しーーー!」と小躍りする気力すらなかった。






「おい、どうした」

「おーーじーーさーーんーー」


真昼は|社長《政宗》に腕を掴まれ事情を尋ねられた。


「実はーーーー」


政宗は凪橙子の名前を聞くなり機嫌が悪くなった。


「どうしたのよ」

「あいつ、まだ続いていやがったのか!」

「どういう事」


真昼に龍彦を紹介した人物は叔父である竹村政宗だった。同棲生活、結納、結婚と進む際、興信所で龍彦の身辺を調べたが《《白》》だった。

ただひとつの懸念は大学生だった龍彦と恋仲だった女性助教授の存在だった。二人は結婚を望んだが年齢差を理由に両親の反対を受け破局していた。その助教授が凪橙子だった。


「俺にはもう付き合ってねぇって言いやがったんだ」

「私も全然気が付かなくて」


「で、どうするんだ」

「離婚を考えてる」

「よし!」

「なにがよしなのよ」

「高額慰謝料ぶんどるぞ!」


「え」


「龍彦に天誅だ、天誅!」

「う、うん」


「その女からもガッツリ、がっぽり頂くぞ!」

「う、うん」


「弁護士だ!弁護士!」

「う、うん」

「弁護士だ!」


それまで神妙な面持ちだった政宗は水を得た魚のようにイキイキと目を輝かせた。


(叔父さん、やる気満々ね)


「よし!次行くぞ!次!」

「次ってなによ」

「次は次だ!」


両手の握り拳を高く掲げて会議室を出て行く叔父の姿に、真昼はこの数週間、悶々と悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてきた。


「そうよね、離婚しても何とかなる!」


いや、現在の《《母親》》紛いの妻、セックスレスのなんちゃって夫婦よりも、ずーーーーーーっと薔薇色の未来が待っている、筈!


「クソ龍彦なんて願い下げよ!」


ガシャン!


勢いよく立ち上がったパイプ椅子は大きな音を立てて後ろにひっくり返った。

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