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イダンリネア王国における最高の位は、国名の通り王ないし女王だ。
その下に四柱の英雄が君臨しており、その地位は貴族よりも上だと明示されている。
王族も含め、彼らの多くは超越者だ。優秀な血筋を絶やさないばかりか、並々ならぬ努力を積み重ねていることから、その実力は軍人や傭兵でさえ赤子のようにあしらえる。
抜きんでた身体能力は日常生活にすら支障をきたすほどだ。
例えば脚力。急ぐために走ろうものなら、音速をあっさりと追い越してしまう。その結果、ソニックブームと呼ばれる現象が発生、轟音と振動で近隣に被害をもたらすだろう。
人間でありながら、人間を超えている。
だからこそ超越者と呼ばれており、英雄はその血と意思を代々受け継いできた。
プルーシュ・ギルバルド。この人物もその内の一人だ。
ギルバルド家の暫定当主であり、本来ならば兄がその役職を継ぐはずだったが、今は国外にいるため、代理としてプルーシュがこの肩書を背負っている。
その黒髪を伸ばそうものなら、並み居る女性よりも美しくなるだろう。
椅子に腰かけ、その姿勢は前のめり。
待ちわびた説明会の始まりだ。
この部屋は個室でありながら、随分と広い。一度に数十人の客人が押し寄せようと、入室だけなら可能だろう。
職場ゆえに豪華絢爛とは言い難いが、泥棒なら目を輝かせるほどの一品で溢れている。
そういった物に見向きもせず、少年は英雄の真正面に直立中だ。
灰色の短髪は整えられている一方、着ている衣服は庶民着ゆえ、そういった意味では不釣り合いな客人と言えよう。
左目の下には泣きぼくろ。
それでいて童顔。
子供のようで、そうではない。
ましてや傭兵として少ないなりに稼いでいるのだから、その出生も相まって奇妙な人間の一人だ。
ウイル・エヴィ。一夜明け、今は約束通り、ギルバード家に赴いている。昨晩倒した教祖について、二人っきりで話し合うためだ。
挨拶も早々に、自身の考えを述べようとした瞬間だった。
「その前に、先ずは謝罪させてくれ。昨日は色々と申し訳ないことをした」
「え? あ、いえ……、どうか顔をお上げください」
濡羽色の頭髪を見せつけるように、プルーシュが首を垂れる。
英雄が身分の低い相手に頭を下げているのだから、本来ならばありえない光景だ。それをわかっているからこそ、ウイルもばつが悪そうにうろたえる。
「君がせっかく捕らえた犯人を、私はみすみす殺してしまった。あの時はそうするしかないと判断したが、今ならわかる。その考え自体が誤りだった。冷静になれば簡単なこと……、教祖とあそこで戦う必要などなかった。王国の外へ連れ出すなり吹き飛ばしてしまえば、民を人質に取られることもなかった。そんな簡単なことに気づけぬほど、私は未熟者だったということだ。当主失格と言わざるを得ない」
城下町を戦場に選んでしまった。国外へ逃げられないよう全力で追いかけた結果、そこで追いついてしまったと言うべきか。
前提として、教祖を逮捕する必要があった。
ならば、壁の外へ追い出すという選択肢はなかなか思いつけない。
それをわかっているからこそ、ウイルは同情するように共感する。
「普通なら、プルーシュ様のパンチ一発で決着なんです。あの女が……、それほどに強かった。少なくとも僕よりはずっとすごい相手でした。不甲斐ないのはプルーシュ様ではなくて、僕で……、だから、気にしないでください」
「しかしだな……」
「弱い癖に追いついてしまったのが僕で、殺されかけたのも僕……。あそこで戦うことになったのも、プルーシュ様が戦うことになったのも、兎にも角にも僕のせいですから……」
少年が言葉に詰まると、室内に沈黙が訪れる。
誰が悪いのか? 互いが互いに非を認め合っているのだが、落としどころは見当たらない。
「ウイル君は悪くないし、弱くもないよ」
「ありがとう、ございます。ここ数か月で随分と成長したつもりでいましたが、上には上がいることを失念していました。昔の自分を見習わないと、ですね」
四年前から始まった傭兵生活。波乱万丈ありながらもこうして生き残れた最大の要因は、自身の未熟さを謙虚に受け止めていたからだ。
当時は十二歳だった。今以上に子供だったウイルは、学校の同級生にすら喧嘩では勝てなかった。
ゆえに魔物を狩れるはずもなく、エルディアの背中に隠れながら生き延びることだけを考え続けた。
一人では何も出来ない。
それを自覚していたからこそ、魔物の相手は彼女に任せ、ウイル自身は体力作りと素振りに徹する。
太っていた体はある出来事によって引き締まるも、魔物退治は時期尚早だと理解していた。
心と体力は向上したが、魔物を殺せるかどうかは別問題だ。幼い少年はそう自覚しており、エルディアにそそのかされない限り、単身で魔物に挑もうとは思わなかった。
三年近くの月日が流れ、ついにエルディアさえも追い抜くも、さらに半年後、ウイルは最大の挫折を味わう。
それが魔女によるエルディア誘拐だ。目の前で連れ去られたばかりか、自我を失った彼女に痛めつけられた。
苦い思い出だ。再会を果たした今でも、己の不甲斐なさに胸が締め付けられる。
強くなりたい。
この四年間で常々抱いている願望は、際限なく膨らんでしまう。
「傭兵としての君の実力は、間違いなく上澄みだよ。その点だけは私が保証しよう。だって考えてもご覧? ネイグリングの槍使い、ロストンを君は打ち負かしたのだろう? この時点で、君の等級は六が相応しい。三なんかに甘んじていないで、さっさと昇級したらどうだい?」
「う……、お金が、その、足らなくて……」
切実な問題だ。
傭兵は魔物狩りの専門家ながら、その実力にはバラツキが存在する。
草原ウサギしか狩れない新人。
ジレットタイガーまでなら倒せる中堅どころ。
そして、巨人族を単身で屠れる強者。
まさしく千差万別だ。
実力を数値化することは難しいが、傭兵組合は制度という形で目安を用意する。
それが等級だ。
一から始まるそれは、実績と実力によって四まで昇級する。
傭兵試験に合格したら等級一。
掲示板に張り出されている依頼を八十個達成したら、等級二。
さらに四百個で等級三。
ここまでなら誰でも達成可能だ。依頼の難易度は問われていないのだから、地道にコツコツと仕事に励めば良い。
問題は等級四、これが壁となって立ちはだかる。
試験内容は、巨人族の単独討伐。セオリーでは三人で挑むことを推奨されているのだから、このような愚行は自殺行為に近しい。
それでも今のウイルなら容易に可能だ。
そのはずだが、この少年は等級三に甘んじている。
理由はシンプルに、試験の費用を捻出出来ないためだ。
その金額は、五十万イール。
一般的な仕事の月収が二十万から三十万前後なのだから、決して安くはない。
その上、等級の数字を三から四へ上げたところで、得られるメリットはほぼ皆無だ。強いて挙げるなら、同業者に少しだけ威張れる程度か。
ごく稀に等級四を指定する依頼が張り出されることもあるが、そういった仕事はそれ相応に危険であり、ウイルとエルディアは等級三に甘んじ続けた。
傭兵の多くが等級二か三に分布しており、一方で一と四は少数だ。
等級一から二への昇級は自動的であり、個人差はあれど数か月程度で達成出来る。
二から三も同様ながら、数年程度はかかるだろう。
問題は等級四だ。お金を払って試験を申し込み、巨人族を助力なしで倒さねばならない。
ウイルは実力だけは足りているものの、ただただシンプルにお金がなかった。
また、やる気もなかった。
昇級にメリットがないのだから、そういう意味では機能していない制度と言えよう。
「せっかく貴族に返り咲いたのだから、お父上に出してもらえば?」
「あ、その手が……」
英雄の至極まっとうな意見に、少年は唖然とする。
目から鱗だ。貧困街で寝泊りしていた頃とは身分が天と地ほど異なるのだから、金の工面など親を頼ればあっという間に解決するだろう。
「まぁ、話を戻そう。ご足労頂いたのだから、ウイル君の見解、話してくれるのだろう?」
「は、はい……」
脱線はここまでだ。二人がこの部屋で向かい合っている理由は、昨晩の出来事に起因する。
女神教の教祖。その名をトライアと言うのだが、ウイル達はそれすらも知らない。
なぜなら、聞き出せなかった。
尋問の前に殺してしまった。
ゆえにプルーシュは後悔しているのだが、一方でウイルは少ない手がかりから女の正体を看破している。
「あの人は、おそらくですが……、いえ、ほぼ間違いなく、魔女です」
「さて、頭痛がしてきたからもう寝ようかな」
「では、おいとまします。失礼します」
「く、冗談だって……。はぁ、兄さんはいつ帰ってくるのかな? やっぱり当主なんて貧乏くじだよ……」
整った顔立ちが今だけは渋そうに歪む。英雄ともてはやされようと、人間であることには変わりない。思わず愚痴るも、嘘偽りない本心だ。
「前提として……、貴族の僕が言うのもアレですが、魔女は魔物ではありません。僕達と同じ、人間です。ここまでは……、問題ありませんよね?」
「ありありだよ。魔女は魔物だ。王国を脅かすために進化した魔物なんだ。ここはもう揺るがない」
「以前の僕もそう思っていました。だけど、傭兵になってあちこちを旅した結果、不思議な瞳を宿した人達と出会ってしまったんです。その人達とは普通に会話が出来ますし、何ならご飯だってご馳走してくれます。魔眼の持ち主は魔女……、だけど魔物ではなく人間だった。僕が自分の足でたどり着いた事実で、こればっかりはいかにプルーシュ様だろうと否定しないで欲しいです」
魔眼。眼球の白い部分はそのままながら、物を見るレンズの部分、すなわち瞳が他者とは異なる。その内側に赤線で円が描かれており、それが視力に影響を与えたりはしないのだが、魔眼所有者の一部は魔法や戦技とは異なる能力を会得する。
例えば、エルディア。後天的に魔眼を宿した彼女だが、その能力は異性を強制的に欲情させることが可能だ。残念ながら戦闘向きとは言い難い。
魔眼の特殊能力は、その多くが見るだけで発動可能だ。魔法のように詠唱が必要ない上に、視認さえすれば条件を満たせるのだから、魔女と戦う際は気を付けなければならない。
「そうは言ってもね、この国は魔女を魔物と認定している。君一人の意見では揺らぎようのない、絶対の伝統だ。王国法がそう定めているのだから、魔女は魔物、人間扱いなど出来っこない」
「だとしたら、矛盾しています」
「うん、君のそういうグイグイ来るところ、嫌いじゃないよ。と言うか本当に十六歳? 貴族の子供ってもっと従順と言うか、世渡り上手なはずなんだけど……」
「エヴィ家の長男ですが、僕は実際のところ傭兵なので。ギルド会館でどんちゃん騒ぎがお似合いの、荒くれ者だと思ってくれて構いません」
「私はその傭兵達を束ねるギルバルド家の当主なんだけどね。まぁ、こんな押問答は置いといて、矛盾点の指摘、お願い出来るかな?」
言われるまでもない。
本筋からまたも逸れ始めたと承知しながらも、ウイルは一呼吸の後に口を開く。
「昨日の教祖が魔女の一員だと思った理由とも、繋がっているのですが……」
「ほう?」
「僕が戦っている最中に、少しだけ話が出来たんです。その時、あの女はこう言ったんです。傭兵がこんなもんなら、軍人もたいしたことなさそうだ、とか、十五年前は運が悪かっただけなんじゃ? とか」
「十五年前、千年祭か」
現在は光流歴千十五年。
プルーシュの言う通り、十五年前は建国から千年の区切りゆえ、大々的に祭典が開かれた。
そのはずだが、歴史の教科書には補足として汚点が書き記されている。
「血の千年祭。国民には魔物の大群が押し寄せたとだけ公表しましたが、実際は……」
「あぁ、攻め込んできたのは魔女だ。その結果、ジレット監視哨は陥落、バース監視哨さえもあっさりと突破され、最後の拠点でなんとか食い止めることに成功するも、軍の被害は甚大。ゆえに、この戦争は血の千年祭と呼ばれているね」
流れた血は誰のものだ?
公には軍人達だが、実際には魔女の血も多い。攻め込んできた彼女らは全滅したのだから、戦場には多数の死体が転がったはずだ。
「血の千年祭に触れただけで関係者だと考えるのはいささか乱暴かもしれませんが、無視も出来ません。それに、女神教の方針? 教え? って、王国の弱体化を目指しているとしか思えないんです」
「魔物を狩るな、魔物を口にするな、か。確かにそうだね。随分と遠回りと言うか、実現性は皆無だけども」
「それでも、信者の獲得には成功していましたし、あんなちっぽけな集団がクーデターを引き起こしました。王国に与えられたダメージは皆無でしょうけど、死傷者は出てしまいましたし……」
またも沈黙が訪れる。黙とうのような時間ながら、英雄は催促せずにはいられなかった。
「教祖が魔女だとして、だけど、瞳は普通だったよ」
「それにもわけがあって、魔女の知人から訊いた話なのですが、魔眼が子供に受け継がれるかどうかは確率みたいです。しかも、そんなに高いわけでもないらしくて。だから魔眼でない人達も一定数どころか、むしろ多いのかもしれません」
「魔女の知人って……。そのカミングアウトの方に驚きを隠せないんだけど、まぁ、いいか。教祖が魔女の一員という君の主張はわかったけど、さっき言ってた矛盾の方はどうかな?」
答え合わせの一つが済むも、討論会は継続だ。
ウイルは直感から教祖の正体を見抜くも、他者に納得させるほどの説得力は持ち合わせてはいない。
それでも、あの場に居合わせた人間はウイルとプルーシュの二人だけだ。その内の一人が主張するのだから、無視出来ない証言と言えよう。
そして、ここからは次の議題へ突入する。
魔女は人間の姿を模した魔物だ。イダンリネア王国における常識であり、ウイル自身も十二歳まではそう思い込んでいた。
「この国は魔女を人間扱いしていません。確かに、王国軍の存在意義の一つが、魔女狩りですもんね」
「ああ」
「だから、十五年前の戦争でも魔女を迎え撃つために軍が派遣されましたし、その人達を蹴散らして勝利を納めました。問題はここからです。通常、魔物を仕留めた際はその場に放置したり、埋めたりが普通です。だけど、あの日、軍人達は魔女の死体を手厚く葬りました。具体的には、王国の民が死んだ時と同様に、そして丁寧に火葬しました。この事実も隠されてはいますが、目撃した傭兵が多数います。昔のことながらも、傭兵の間では今なお語り継がれているんです。血の千年祭の後日談として……」
目撃者が一人なら、明るみにならなかった。
しかし、戦場はアダラマ森林、マリアーヌ段丘の目と鼻の先だ。地理的に封鎖など出来なかったため、危険を顧みなかった野次馬が少なからず現れてしまった。
その結果がこれだ。
ウイルは傭兵として四年もの間、ギルド会館に足しげく通い続けた。そこにいるだけで噂話が聞こえてくるのだから、貴族としての教養も相まって見聞の広さは部類である。
だからこそ、王国の矛盾を見逃さない。
魔女を魔物だと定めておきながらも、死体を食べないばかりか同胞のように葬る。
同じ姿かたちをしているからか?
戦いのさなかに情が生まれたのか?
そういった心理もあるのかもしれないが、一番の理由は上からの指示だ。
ウイルはそう推理し、プルーシュの瞳を見つめ返す。
「攻めてきた魔物を巨人族だとでっちあげるために、魔女の死体を燃やしたという考え方も出来るよ」
「捏造と隠ぺい、確かにそうですね。だけど、それはそれで魔女との接点を持たれたくないという本音が見え隠れします。そういう意味でも、魔女は魔物ではないと、死体から明らかだという認めているも同然です」
「むぅ……」
反論が封殺されたことで、英雄はおどけるように口を尖らせる。
どうあれ、ウイルの認識は揺らがない。ハクアを筆頭に魔女の知り合いがいるのだから、もはや魔物と思えるはずもなく、ましてやエルディアの瞳が魔眼へ変化してしまった以上、どちらが正しいかは明白だ。
真実を知る者として、少年は野心を発表する。
「僕は今回の件とは関係なしに、魔女も同じ人間だと王族に認めてもらいたいと思っています」
「ぶほっ⁉」
突然の意思表示がプルーシュを心底驚かせる。
エルディアを王国へ連れ戻すためには、そうするしかない。ウイルの思い付きでしかないのだが、その認識は今も健在だ。
「来年……はきっと間に合わないでしょうから三年後の光流武道会で優勝して、オデッセニア女王に直談判したいと思っています」
軍人達が腕を競いながらも己の実力を披露する場、それが光流武道会だ。
格式高いこの大会は二年毎に開催されるのだが、出場者は軍人に限らない。
挙手すれば、そして出場料を支払えば、傭兵も参加可能だ。
ウイルはエルディアと共に三年前の光流武道会に参戦するも、結果は惨敗だった。
ウイルが一回戦敗退。
エルディアは二回戦で敗北。
傭兵の参加は珍しいため、大会は盛り上がるも、少年は無力さを噛みしめずにはいられなかった。
「優勝すればまぁ、謁見も可能かもしれないけどさ。魔女うんぬんはさすがに無理な話だと思うよ?」
「う、そう言われると、無茶なことを言ってると痛感させられてしまいます。でも、検討くらいはしてもらえるはず……。それをきっかけに王国の空気が少しでも変わってくれたら……」
願望混じりの展望だ。目指している着地点に現実性がないのだから、そこに至る過程など描けるはずもない。
「残念ながら、それはないと言い切れる。なぜなら、魔女に家族や友人を殺された軍人と関係者は少なくないからね。憎しみという感情は時間経過でいくらか和らぐものの、風化には至らない。女王が国民に対し、魔女は人間でした、と宣言したところで、負の感情は拭えないはずさ。王国と魔女が殺し合ってきたという歴史までは変わらないのだから……」
「だとしても、僕には諦めきれない理由があるんです。光流武道会で優勝することも絵空事だとは承知しています。それでも、やっぱり諦めたくないんです。だって……、魔女は魔物なんかではなく、僕達と同じ人間なんです……」
身の丈に合っていない。そんなことは百も承知だ。
それでもなお、この少年は小さく縮こまりながら宣言する。
エルディアを連れ戻したい。
エルディアと共に冒険がしたい。
どちらが本命かと問われれば、傭兵らしく後者だ。
ゆえに単なるわがままかもしれないが、今は静かに思いのたけをぶつける。
その結果、またも静寂が両者を包むも、その時間がプルーシュを焚きつけてしまった。
「良いことを教えてあげる。来年の光流武道会、出場するのは私だよ」
「……え?」
「決勝戦の相手を務めるってことさ、四英雄を代表してね。まぁ、順番がうちに回ってきただけなんだけど」
その大会には独特なルールが存在している。
勝ち進んだ者が優勝するという仕組みは当然ながら、決勝戦が通常のトーナメントとは別物だ。
出場者は準決勝の時点で二人に絞られており、その試合を勝ち進んだ方が決勝戦へ進出する。
そこで戦う相手こそが、選出された四英雄だ。
出場者の中で最も強い軍人なのだから、英雄相手にもやりあえると思うだろうが、そのような幻想は試合開始と共に打ち砕かれる。
手も足も出ない。
食い下がることすら出来ない。
普通の人間と超越者の間にはそれほどの溝が存在しており、光流武道会の優勝者は英雄が独占し続けている。
それが普通であり、そうでなければならない。
四英雄は飾りではなく、イダンリネア王国の最終防衛ラインそのものだ。彼らが最強であることは誇りであり安心ですらある。
言ってしまえば軍人や傭兵ですら、四英雄に守られていると表現しても差し支えない。
「優勝するには、プルーシュ様を……? ぼ、僕には到底……」
ウイルが肩を落とす理由は明白だ。
昨晩、その実力をまじまじと見せつけられた。
女神教の教祖を取り押さえることすら出来なかったばかりか、あっという間に殺されかけた。
その女を無傷で圧倒したのが、目の前の英雄だ。
分かりやすい不等号を頭で理解させられた以上、優勝は絵に描いた餅でしかない。
「残酷なことを言ってしまうと、チャンスは来年しかないよ?」
「え? それはそういう……」
「私はね、半人前の英雄なんだ。それこそ、兄さんの足元にも及ばない。他の三家、ウォーウルフ、アーカム、ハイムズの当主達と比べても、まだまだひよっこってことさ。だからね、君の優勝は、私が出場する来年以外にありえない。何年がんばろうと、超えられない壁は存在する。でも、来年の壁は普段の半分以下ってところかな? 自分で言ってて情けなくなるけど、事実だから大人しく受け入れてるよ。それにね、ウイル君になら負けても構わないと思っている」
「あ、だったら手加減してくれるってことですか?」
「ふふ、それは無理な注文さ。なぜなら、観客の中には超越者級の実力者がゴロゴロといる。それに加えて、王族と英雄……。だから、手心を加えようものなら、一瞬で看破されてしまう。そしたら、僕は怒られるだけで済むだろうけど、君なんかその場で打ち首さ」
プルーシュの発言を受け、ウイルの顔は青ざめる。
斬首も怖いが、優勝のチャンスが来年しかありえないと突きつけられたのだから、足元が揺らぐのも無理はない。
「さ、三年間みっちり鍛えてからの方が可能性はあったり……」
「ううん、むしろ最悪な方向に進むかもしれないよ? なぜなら、兄さんが帰国しているかもしれないからね。誰よりも戦いたがりな兄さんのことだ、ローテーションのルールを破って毎回出場するかもしれない。いや、普通にしそうだな……」
「ルイ・ギルバルド……様って、それほどなんですか?」
「ああ。ちなみに良い人だよ? 私にだけは優しいし。だけどね、正真正銘の戦闘狂で、今回の国外追放もラッキー程度に思ってるんじゃないかな? 毎日、朝から晩まで巨人族やら魔物やらを屠れるんだから」
ルイ・ギルバルド。ギルバルド家の長男であり、本来ならば当主を継ぐ男だ。傭兵組合と治維隊を統べる人間ながら、その重責をプルーシュに押し付け、今はたった一人で防衛ラインを築いている。
「一年後のプルーシュ様より、三年後のお兄様の方がやっぱり可能性がありそうな気もするのですが……」
そう思うのも当然だ。ウイルはその男について多くを知らない。もちろん、貴族の長男として聞かされてはいるのだが、そんなものはルイという英雄の薄っぺらい表面だけだ。
「私の実力を十とすると、兄さんはそうだな……。いくつくらいだと思う?」
「えっと……、十二くらい?」
願望交りの解答だ。それを承知しているからこそ、少年は半笑いを浮かべてしまう。
「少なく見積もっても五十、いやそれ以上だろうね。私が五人いたとしても、兄さんには歯が立たない。腹違いとは言え、ここまで差があると肩身が狭いよ。さて、これを聞いて君はどう思う? 来年の……」
言い終える前に、プルーシュは言葉を飲み込む。
立ちはだかる壁の高さにウイルが落ち込むと予想するも、不正解だ。
その表情は驚きながらも、なぜか不敵な笑みを浮かべている。
そこにいるのは幼い貴族ではない。
いくつもの死線をくぐり抜けた結果、狂ってしまった傭兵だ。
「すごい……。人間って、そこまで強くなれるんですね。だったら、不可能じゃない。いつの日か、必ず……」
あの魔物を殺せる。
そう気づかされてしまったのだから、喜びもひとしおだ。
ハクアという魔女も天井知らずの超越者だが、彼女は千年を生きる不老の存在ゆえ、自分を重ね合わせるには至らなかった。
一方でプルーシュと、その兄。
彼らは二十歳前後の若者だ。
そして、、雲の上の実力者でもある。
もしもウイルがその領域にまで達することが出来たのなら、オーディエンを殺せるかもしれない。
母を毒殺しようとした、炎の魔物。決して許せるはずもなく、動機が私怨では後ろ向きかもしれないが、少年を突き動かす燃料であることには変わりない。
ウイルの根底に存在する、三つの願望。
一つ目がエルディアだ。彼女と傭兵として日々を駆け巡ることが幸福そのものだった。
二つ目が貧困街。宿代すらも払えなかった自分を受け入れてくれたのだから、恩義に報いたいと考えている。
そして、三つ目が復讐だ。オーディエンを自分の手で仕留めたいと思っているのだが、現状では夢のまた夢に終わっている。
それでも、諦めたくない。
地道に魔物を狩れば、いつの日か叶うでは? そう信じているからこそ、前を向いて歩けている。
一方で、そう思い込んでいるだけとも自覚出来てしまっている。
あの魔物の強さは本物だ。奇策を用いることで傷つけることは出来たが、二度目は通用しない。
追い付けるのだろうか?
ある時ふと、そんな弱音が脳裏をよぎるも、それこそが正常な判断が出来ている証と言えよう。
地を這う芋虫が蝶になって羽ばたこうと、虫であることには変わりない。三メートル近い巨人族と比べてしまえば、あまりに非力と言う他ない。
自分も同じなのでは? ウイルは時折そう思ってしまうも、それ以上は考えないようにしていた。
現実逃避と言われれば、それまでだ。
負けず嫌いゆえ、認めたくないだけなのかもしれない。
もしくは、復讐心で己を鼓舞していただけなのかもしれない。
なんにせよ、遠い目標を目指しているという自覚だけは出来ていた。
たどり着けない可能性すらも感じていた。
そのはずだが、今は野望を胸に、笑みをこぼせている。
人間の強さは底なしだと、眼前の英雄が説明してくれた。
だったら、諦める必要はないのだと改めて思うことにした。
黙る少年を前に、部屋の主が改めて語りだす。
「知っていると思うけど、大会は来年の十一月。今が九月だから、君に残された時間は一年と二か月ってところなんだけど……、ここから先は君次第だよ。私に出来ることは、君のご家族に観客席を用意することくらい……かな?」
「あ、だったら出場料の免除もお願いし」
「それは無理。ちゃんと払ってね」
「十万イールはいくらなんでも高過ぎですって……」
一回の外食代を千イール前後と仮定すれば、百食分の金額だ。節約すれば、もちろんそれ以上となる。
「今よりも強くなれる算段は……、あるのかな?」
この問いかけがウイルを黙らせるも、静寂は長続きしなかった。
「わかりません。だけど、がむしゃらにがんばってみたいと、思います。だって、何年も待たせるわけにはいきませんしね」
待ち人の名は、エルディア・リンゼー。彼女なら三年だろうと五年だろうと、魔女の里で同胞達との生活を受け入れるだろう。
そうであろうと、ウイルの方が待てない。
一刻も早く、エルディアとの傭兵稼業を再開させたいのだから、今は彼女の存在を言い訳に使う。
「ウイル君にはウイル君の事情があるってことか」
「はい。あ、一つ訊いてもいいですか?」
「ん? 何だい?」
決意表明は完了だ。
来年の光流武道会に出場し、決勝戦でプルーシュを倒して優勝する。わかりやすいが、それゆえに無謀だとわかる目標だ。
もし、この部屋に第三者がいたら、抱腹絶倒は間違いない。ただの傭兵が四英雄に勝とうとしているのだから、子供の戯言だ。
それでも、やるしかない。挑戦することにさえ躊躇する理由はなく、仮に敗れたとしても失うのは出場料くらいか。
これにて本日の議題は終了するも、雑談は止まらない。
「プルーシュ様の戦闘系統を教えてください」
「勝つためには何でもするね、君は……。そういうところ、嫌いじゃないけどさ。私の戦闘系統は加速系だよ、戦技は全て使える」
「なるほどなるほど、普通に厄介……。戦技込みで対策を練らないとか……」
加速系はその名の通り、己の速度を高めることが可能だ。戦技は魔法のように連続して使うことが出来ないため、使いどころが難しいと言えよう。
そうであろうと、接近戦主体の人間にとっては最適な戦闘系統だ。前触れもなく身体能力を戦技でドーピング出来るのだから、必殺の切り札を忍ばせているに等しい。
「私も質問いいかな?」
「はい」
「随分とお金に困ってるようだけど、エヴィ家ってそんなに貧乏だったっけ?」
「そんなことは……。あ、不干渉法を取っ払うために資産を半分くらい失ったって言ってたような……」
不干渉法。貴族以上にのみ適用される行動制限だ。他の貴族や英雄の領分に踏み入ってはならないという決まりであり、ウイルの場合、ギルバード家が管理運営する傭兵組合の利用がそれに当たる。
「あぁ、あれは見事だったね。全ての貴族への根回しだけでも大変だったろうに、最終的には四英雄にも話を通したんだから。会合に出席してもらうために対価を払い、成功報酬さえも確約することで足並みを揃える。その結果、法改正を成し遂げたんだから、君のお父上はさすがと言う他ない。不干渉法がなくなることに意義を唱える者もいたようだが、まぁ、問題なさそうだしね」
「そうなんですか? って僕が訊くのも他人事のようでアレですが……」
「不干渉法がなくなろうと、今まで通りってことさ。今後は貴族同士で自由に縄張り争いや仕事の奪い合いが出来るようにはなったけど、実際にそんなことをしようものなら、それは英雄への反逆に等しい。なにせ貴族はどこかしらの英雄と縦社会を築いているんだから、法律があろうとなかろうと不干渉が大原則なんだよ」
「親分が黙っちゃいないって感じなのか、言われてみれば確かに……」
今までは不干渉法というわかりやすい理由で現状が維持されていたが、今後もそれは変わらない。
一方で、貴族が堂々と傭兵組合に足を運べるようになったのだから、ウイルはエヴィ家に戻ることが出来た。
父、ハーロンの作戦は大成功と言えよう。
「お父上の跡を継ぐまでは、傭兵としてしっかりお金を稼ぐといい。依頼をこなして、魔物の素材も売却して。なんせ出場料を捻出しないといけないんだから」
「そ、そうですね。魔物の売却価格ってびっくりするほど安いから、基本的には依頼や特異個体狩りになりますけど……」
「へ~、そうなのかい?」
「はい。例えば、草原ウサギですと一体丸ごと売り払っても、二百イールにしかなりません」
イダンリネア王国の目の前には、広大な草原地帯が広がっている。そこには草原ウサギという魔物が闊歩しており、見た目は動物のウサギと大差ない。
その肉は柔らかく、味も栄養も優れていることから、最も食べられている肉と言えよう。
供給量も多く、その上、安定しており、何より安いことから、女神教の信者でもない限りこれを食べない理由などない。
「二百……、そんなに安いのかい? 美味しいのに……。まぁ、加工の手間もあるし、食卓に並ぶまでの間にはそれ相応の労働者を挟むから、やむを得ないか。君達には苦労をかけるが、国民のために汗を流してくれ。それにしても二百か……。十体持ち帰ってもたったの二千イール……。知らなかったな」
「だから傭兵は毎日のように掲示板をチェックして、美味しい依頼を探すんです。僕の場合、特異個体で稼ぐことが多いです。空振りに終わることも少なくないんで、収入は安定しませんが……」
ウイルの言う通り、特異個体狩りは非常に不安定だ。
広大なこの世界の中から、たった一体の標的を探し出さなければならない。
もちろん、羊皮紙には討伐対象の遭遇地点が記載されている。
それでも、会えない時はとことん会えない。現地に赴き、数日間歩きっぱなしということも決して珍しくない。
ゆえにギャンブル性の高い稼ぎ方だ。挑戦するか否かは個人の自由だが、ウイルは鍛錬も兼ねて特異個体に挑み続けている。
「いざとなったら、お父上に出してもらえばいい。頼めばポンと捻出してもらえるだろう?」
「まぁ、そうだとは思いますけど……。十六にもなって、しかも傭兵なのにそれは、いささか恥ずかしいです」
「金を稼いでいる暇があったら、少しでも鍛錬に打ち込んだ方がいいと思うけどね。両立出来ればそれがベストだろうけど」
「う……」
プルーシュの正論がウイルに突き刺さる。反論の余地は見当たらず、無表情のまま、魚のように口をパクパクと動かすことしか出来ない。
「そんな顔したって値下げは無理だよ。貴族なんだから十万イール程度何とかなるだろうし、私を超える算段をつけて全力で取り組めばいいさ。私はこう見えて、君より遥かに強いんだから……。試しに腕相撲でもするかい?」
「いえ、昨日拝見したので結構です。あ、来年のプルーシュ様が今より強いってことはありません……よね?」
「さぁ? 私も育ちざかりな十八歳なんだし、伸びしろはあると思うけど……。業務が大変過ぎて鍛錬は完全にさぼってるけどさ」
英雄の返答を受けて、少年は唸るように唇を突き出す。
高い壁がこの一年でさらに高まるなど、言語道断だ。そう言い放ちたいが、そんなことは許されない。
二人の年齢差は、たったの二歳。その上、どちらも十代なのだから、三食食べて眠るだけでも体は育ってしまう。
それ以上に強くなるしかない。そう自覚しながらも、頭は晴れてはくれない。
なぜなら、その道筋が思い描けない。存在しない可能性の方が高いのだから、高過ぎる目標にストレスを感じるのは必然だ。
(こういう時は、相談に乗ってもらうしかない……。そのついでに、パオラを紹介しよう)
相手はハクア。千年を生きる、最強の魔女。その実力は未知数ながらも、自称ではあるがオーディエンと渡り合えるらしい。
誰よりも長い髪は血の様に赤く、今のウイルではその髪に触れることすら叶わない。
(用事を急いで片付けないとか……)
すぐにでも出発したいが、そうもいかない。エルディアの居場所が判明したのだから、元相棒としてやるべきことが残っている。
とは言え、目先の用事はそれくらいか。世話しない日々を過ごした結果、いくつかの用事が片付いてくれた。
貧困街の友人、フランに当面の資金を渡したばかりか、金策も兼ねて鍛錬に付き合った。
暗躍していた女神教も壊滅に追い込めた。
ゆえに、ウイル的には肩の荷が下りたと言っても差し支えない。
傭兵本来の身軽さを取り戻したのだから、日程の調整が済み次第、久しぶりの遠征だ。
「来年の十一月、傭兵が四年ぶりに出場する旨、関係者にお伝えください」
「うん、期待しないで待ってるよ」
光流武道会の開催は隔年だ。
三年前はエルディアに誘われ飛び入り参加するも、一回戦であしらわれた。
一年後はどうなるのか? それは当人にすらもわからない。
わからないからこそ、今は怖い。
前回と同様に恥を晒すだけかもしれない。
子供が迷い込んだと笑われるだけかもしれない。
そうであろうと一歩を踏み出す。失うものは出場料の十万イールくらいゆえ、怯えながらも足は動いてくれる。
十二歳で家を飛び出してからは、その連続だ。
傭兵。魔物を狩ることに特化した、戦闘狂集団。
殺すか、殺されるか。
死ぬか、生きるか。
常にこのどちらかを選ぶしかない。
もしくは、選べないかもしれない。
魔物は人間を殺したがっている。ゴブリンや巨人族はその最たる存在だ。
それだけではないということが、昨日の騒動で判明した。
女神教の教祖はイダンリネア王国の外からやってきた人間だ。彼女が魔女の一味であることは疑いようがなく、人間同士での殺し合いを所望している勢力が、この大陸のどこかにいることを裏付けてしまった。
王国は狙われている。
魔物に。
魔女に。
そして、炎に包まれながら待つ、その女に。
戦いのゴングは鳴ってしまった。
千年前の時点で、静かに鳴らされていた。