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アネモネを自宅に招こうとしている騎士は、見たところ20代半ば。見ての通り、彼は大人で、しかも男だ。
だから、どこの馬の骨ともわからない小娘を自宅に置いたとしても、悪さをするわけないし、仮にしたとしても腕力でねじ伏せられるとタカを括っているのだろうか。
それとも、向かう先は騎士の自宅ではなく人身売買する秘密組織のアジトか。もしかしたら、不埒なことをしようと考えているのかもしれない
邪な感情を持たなくても、平気でそういうことをする輩はいる。
師匠は、ことあるごとに「あんたは容姿だけはいいんだから気をつけな」と口をすっぱくして言っていた。
容姿以外はどうなのか?疑問に思うが、アネモネとて用心に越したことは無いと思っているし、これまでだったら、こんな突拍子もない申し出は断っていた。
でも今回だけは、自分の直感を信じてみようと思った。
非力なことは認めるが、こちらには自分の身を守るとっておきの術がある。
それにしても、騎士が善意だけで自分を自宅に引き取るつもりなら、この男は救いようがないお人好しである。
そんな失礼なことを考えつつ、アネモネは大人しくソレールの膝にいる。いつもより高い位置で、馬の蹄の音を聞きながら。
あれから騎士は勝手に休憩を取って自身の馬を引っ張ってくると、アネモネを抱えてそれに跨った。
そんなこんなで現在、騎士のお宅へ向かう途中なのである。
ここはアディチョーク国の王都ウォータークレス。言わずと知れた巨大な街である。
アディチョーク国は見た目だけは長い間、戦火に巻き込まれることなく、目立った外交問題も抱えていないので、多種多様な人々が行き交い、とても活気がある。
軒先に並べられた商品を自慢げに説明する果物屋さんの張りのある声、ショーウィンドウに飾られた帽子に可愛いと歓声を挙げる年頃の娘。菓子をねだる子供と、それを嗜める母親。
それらをぼんやりと聞き流しながら、視界に映る色彩豊かな景色に目をチカチカさせていたら、頭上から騎士の穏やかな声が降ってきた。
「──あのね、自宅って言っても、私は仕事柄ほとんど留守にしているから、君は自分の家だと思ってくつろいで良いからね」
「……はぁ」
「ああ、でも、ものすごく狭いからびっくりしないでね。でも、ちゃんと一日起きに家政婦さんに掃除を頼んでいるから、そこは安心して」
「……はぁ」
ポッカポッカと馬の鐙の音に合わせて、そんな気遣う言葉をもらい、アネモネは歯切れの悪い返事しかできない。
部屋が汚かろうが、狭かろうが、そんなことは構わない。なぜならアネモネの家は森の中にあるボロ屋だ。
庭と外の境界線なんて無い。鹿も狸もリスも勝手に入ってくるし、アネモネだって彼らのテリトリーの森の中に勝手にお邪魔する。付かず離れずの関係と言えば聞こえは良いけれど、お互い干渉する気がないだけだ。
師匠が健在だったころは、<紡織師>の看板を掲げていたので、多少は賑わっていたし、客が来るので庭の手入れも、室内の掃除も行き届いていたから、まだ家と呼べた。
でも、半人前だと自覚しているアネモネは看板を降ろしているので、来客など皆無に近い。そのため手入れをさぼってしまい、屋根は少々傾き始めている。
(戻ったら、タンジーに手伝ってもらってなんとかしよう)
アネモネが自宅に戻ってからのアレコレを考えていれば、馬は静かに足を止めた。
騎士というのは、花形職業で高給取りの部類に入る。
まして、名門お貴族さまに雇われている専任の護衛騎士となれば、王宮勤めの騎士より賃金は良いはずだ。
……なのに、この住まい。
家といえば、まぁ家だ。雨風には耐えられるだろうし、庭も猫の額ぐらいはある。
でもお世辞にも、邸宅とは呼べない。家の敷地だけ見れば庶民の家でも格下だった。
アネモネはこの騎士がまともな給料を貰っていないのかと、本気で彼の身を案じた。
「転職考えたほうが良いですよ?」
「はははっ」
真面目に忠告をしたら、笑って流されてしまった。
アネモネがムッとして足を止めれば、騎士もピタリと歩みを止めて、こう言った。
「ソレールっていうんだ」
「は?」
「私の名前」
トントンと手の甲を自分の胸に当てて短い自己紹介を終えたソレールは、次に目だけで名を読んでみろとアネモネにせっつく。
名を呼ぶくらいはやぶさかでないアネモネは、素直にそれに従うことにする。
「ソレールさま」
「さまは要らない。呼び捨てでお願いしたいな。ところで君の名は?聞いてもいいかい?」
「アネモネです。……私も呼び捨てでお願いします」
格上の相手から呼び捨てにしろと命じられたのであれば、同じにしなければならない。
そんなニュアンスを込めて言ってみたが、ソレールは気付かない。マイペースな人間だ。
だが人畜無害であることに変わりがないので、アネモネは個性の一つとして受け止めた。