脱衣所から出て来るなりキュウリを足元に侍らせた柚子が仁王立ちで待ち構えていて、思わず吐息のこぼれた大葉だ。
「まぁ落ち着けよ。飲み物用意するから」
そんな柚子をリビングで待たせると、大葉は電気ポットに水を半分くらい入れて沸騰スイッチを押す。
身体が冷え切ってしまった羽理に、温かいココアを飲ませてやりたいと言うのが本音だが、そのついでに柚子にも何か飲ませてやってもいいと思ったのだ。
ついで……とか思いながらも、結局自分と柚子には、ドリップケトルで沸かしたお湯を使って、いつだったか贈答でもらったドリップコーヒーを淹れた。
「実際んトコ、俺にもよく分かんねーんだよ」
客人というほど大仰なものではない身内ゆえの気軽さか。
適当なマグカップに入れたコーヒーをローテーブルに置きながら本心を前置きすれば、「もぉ、たいちゃん、カップが色気なさ過ぎ」と言いながら、柚子がそれをひとくち口に含んだ。
「でも相変わらずたいちゃんの淹れてくれる珈琲は美味しいわね」
つぶやいてから、「分からないってどういうことなの?」と本題に入った。
「まんまの意味だよ」
言って、最初は自分が七階にある羽理のワンルームアパート脱衣所に飛ばされたことを語ったら、柚子が「何それ!」と瞳を見開いた。
以後、風呂に入るタイミングが重なると、どうやら先にドアを開けた方が相手の風呂場前に飛ばされるらしいと説明して。
(そう言やぁ週末に検証実験しようって言って、結局まだしてねぇな)
そう思った大葉だ。
(羽理はその話、覚えてっかな?)
ふとそんなことを思って、脱衣所にいる羽理の気配に耳をすませば、まだドライヤーの音が聞こえている。
羽理は結構髪の毛が長いし、時間がかかるらしい。
もう一人の当事者――羽理の援護射撃なしに孤立無援で語るには、にわかに信じがたい話だよな?と思って、(さて、どうしたもんか……)と次の一手に考えを巡らせた大葉だったのだが。
「ふぅーん。世の中にはよく分かんない不思議なことがあるもんなのねぇー」
柚子は驚くほどアッサリと、この現象を現実として受け入れてくれたみたいで。
ほぅ、と溜め息を落としてマグカップを傾けるなり、感心したようにそうつぶやいた姉を見て、大葉は思わず問い掛けずにはいられない。
「なぁ、柚子。ひょっとして俺の言ったこと、信じてくれてんの?」
嘘はついていないのだから信じてくれとしか言いようがないのだけれど、こうもすんなり受け入れられては逆に落ち着かないではないか。
折角淹れたくせに、カップに一度も口をつけていなかったことに気が付いた大葉は、自分は思いのほか緊張していたんだなと思って。
生唾を飲み込むついでのようにコーヒーを口にした。
ほろ苦く薫り高い液体が、喉を通って腹に落ちていくのを感じる。
「信じるも何も……お姉ちゃん、羽理ちゃんの不可解な登場、目の当たりにしちゃったもん」
どう考えても説明のつかない羽理出現の謎も、いま語られたことが真実ならば説明がつく。
言外にそう付け加えてくる柚子に、我が姉ながら適応力高なと感心した大葉だ。
「――で、たいちゃん、その不思議現象の原因は探ったの?」
「原因?」
「だって……絶対にあるはずでしょう? 今まで起こらなかったことが急に起こるようになったならその理由が」
柚子の指摘に、大葉はそういうアレコレをすっかり失念していたことに、今更のように気が付いた。