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「や、屋久蓑って変わった苗字の人間が、うちの社に何人もいればそうだろうな……!?」
「……居ないですね」
「だろ? だから……、それは俺のことだ」
若い頃、大葉はかなりモテた。
同期たちを差し置いて一人課長に昇進してからは、それがますます顕著になって……。
以前にも増してやたらと女子社員から囲まれまくるようになって、要らぬ噂や誹謗中傷まで飛び交うようになり、仕事にも支障が出始めたから。
(……面倒くさくて塩対応してたら、鬼だのゲイだの言われ出したんだよな)
那須から話を聞いたのなら、羽理も鬼課長の話だけではなく後者の噂も耳にしたはずだ。
(何せ、俺が相手にしなかった腹いせにそういうデマを流した張本人が那須だしな)
だが羽理は、大葉に話す時、あえてそこはカットしてくれたんだろう。
(そういうところが……お前をますます好きにさせるんだぞ? 分かってんのか、荒木羽理っ!)
大葉が羽理を見詰めてうにゃうにゃとそんなことを思っていたら、
「じゃあ……きっとあの噂はデマですね。ぶちょ……、たっ、……たい、よぉ?……がそんな感じの人じゃないのは私、知ってますもん。ほら、今日だってわざわざ私のためにお買い物付き合ってくれてますし……全然鬼っぽくないです」
すぐそばで「へへっ」と笑い掛けてきた羽理にそんな追い打ちを掛けられて、大葉はズキュン!と心臓を射抜かれる。
(おっ、お前は俺を殺す気か!)
羽理の不意打ちのこういう態度は心臓に悪い。
萌え死ぬとか悶え死ぬとか……世の中にはそんな言葉があるらしいが、まさに死因がそれになりそうで――。
大葉は羽理の手をギュッと握ったまま、それとは逆の手で心臓をグッと押さえた。
「あのっ、部長、ひょっとして具合が悪いんですか?」
「ぶちょぉじゃなくて……た、いよう……な?」
ドキドキと騒がしい心臓を庇いながらもそこだけは譲れない大葉が、呼吸を整えながらも何とかそう訂正したら、羽理が小さく息を呑んだのが分かった。
***
(もぉ、ホント、この人はどうしようもない強情っぱりさんですね)
深呼吸を繰り返しながらも途切れ途切れに呼び名を訂正してきた大葉に、羽理は思わず息を呑んで……。
溜め込んだ吐息を一気に吐き出すように、盛大に溜め息をこぼさずにはいられない。
(けど……そこまで言うんなら私、遠慮しませんから! 後からやっぱり上司としての威厳が!とか言って来ても知りませんよ!?)
もうここまで意地を張られたら、こっちだって開き直ってやる!と決意した羽理だ。
「……あのね大葉! それ、質問の答えになってないですから! ……体調が悪いんですか、悪くないんですか、ハッキリおっしゃい!」
胸元をギュッと握りしめたまま呼吸を荒くした大葉の顔を下から覗き込んで、まるで年下の男の子にするみたいにそう言い放ったら、大葉が驚いたように瞳を見開いた。
そのあからさまに驚愕した顔は、自分より一〇歳以上も上のはずなのに髪を下ろしているからだろうか? 何だかすごく幼く見えて……。
「にぎゃっ……!?」
グッと年齢差を縮められたような錯覚を覚えた羽理は、思わず変な声を上げてしまう。
最近やたらと遠慮なく急接近されていたので失念していたけれど、元々屋久蓑大葉と言う男は、滅茶苦茶お顔の整った、どこか取っつきにくいぶっきら棒な美形の部長様だった。
その大葉と、期せずしてやたら至近距離で目が合ったと感じた瞬間、何故か心臓がトクンッと大きく飛び跳ねた羽理は、半ば無意識。大葉と同じように思わず胸に手を当てて――。
(ヤダ! 不整脈っ!?)
と思った。
きっと今この場に法忍仁子がいたならば、『バカなの、アンタ! それは恋のときめきよ!』とツッコミを入れてくれたんだろうが、あいにく今彼女はいない。
実は羽理、告白されて何となく付き合った元カレに対して、こういうドキドキを感じたことがなかったのだ。
もちろん、最推しであるところの倍相岳斗に対して感じているのも、現状では恋愛感情とは程遠い〝観察対象〟としての興味関心だったから。
トクン!の意味を、斜め上に解釈してしまった。
「あ、あのっ。……もしかして大葉も心臓が痛かったり?」
羽理は今まで会社が行う健康診断で、心電図などの検査で引っかかったことは一度もないのだが。
もしかしたら大葉は割と心臓が弱くて、【要精密検査】の常連なのかも?と思い至って……。
そわそわしながらそう問いかけた。
(そう思えば、やたらと彼が心配性なのも、もしかしたら部長自身、身体が弱いからだったんじゃ?)
なんてことまで思った羽理は、そこでふと、薄らぼんやりとではあるが、先日酔って帰った日に大葉から『今夜は危ないから風呂に入るな』と口うるさく言われたのを思い出した。
(あれはそう言うことだったんですね。何か言うこと聞かなくてホント、すみません)
幸い自分の方はそれほど酷い発作ではなかったようで、今は何ともない。
だけど背後から急に「わ!」と驚かされた時みたいに心臓が暴れてびっくりしたことは、まぎれもない事実だ。
(あれが今も継続中となると、相当苦しいんじゃない?)
「ホントに大丈夫ですか?」
大葉の胸元に乗せられたままの手にそっと触れて眉根を寄せたら、「いっ、いや! あのっ。い、痛いのは痛いが……別に病気ってわけじゃないからっ、ホント気にしなくていい。っていうか……余計悪化するからちょっと距離をあけてくれないかっ!?」と、やたらソワソワされて。
「あの……だったら……手を――、この手を放して頂けませんか……?」
ギュッと繋がれたままの手を持ち上げて、恐る恐る言ってみた羽理だった。
***
羽理から、『距離をあけて欲しいなら手を放して欲しい』的なことを言われて、大葉は単純に『イヤだ!』と思った。
「あー。……やっぱ、手も距離もこのままでいい……」
ぼそぼそとつぶやくように言って、羽理の手を恋人つなぎの要領でギュッと指を絡めて握り直すと照れ隠し。
羽理の方を見ないままに「――で、何がいるんだ? うちに置いとくやつだから心配しなくても全部俺が買ってやるぞ? 遠慮なく好きなのを選べ」と畳みかけた。
目の前に広がるのは色んなブランドごとに別れた化粧品売り場。
他の売り場より明るく見えるのは、コーナーごとに照明がついているからだろう。
羽理はキョロキョロと何かを探す素振りをしたあと、その中のひとつ、【Kira Make】というコスメブランドの売り場前に立って、繋いだままの大葉の手をクイッと引っ張ってきた。そうして、何故か困ったような顔をしてこちらをじっと見上げてくるから。
(な、何だっ!? 即決するのを躊躇うくらいそのブランドの物は高いのかっ!?)
羽理の、ほんのちょっと釣り気味になった大きな目で見詰められると、どうにも調子が狂ってしまう。