テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
深冬芽以
九条さんの右目が、不気味な赤色に染まり
回路が焼き切れるような高熱が彼の体を蝕んでいく。
「……歌え、…栞さん。僕を……壊してでも……」
九条さんの指先が私の腕を強く掴む。
その力強さは、彼が「九条」という一人の人間として、最期に振り絞った意志の証だった。
「…っ、……ぁ……」
私の喉は、すでに枯れ果てた大地のように荒れ果てている。
ここで声を出せば、物理的に喉が裂けるかもしれない。
けれど、九条さんの脳内にあるパンドラの「隠しフォルダ」を焼き切るには
私の生の声で、彼の神経系に直接干渉するしかない。
父・誠は、余裕を崩さぬまま、迫りくる生ける屍たちの群れの後方で優雅に腕を組んだ。
「無駄だよ。九条君の脳細胞を初期化すれば、彼の意識は二度と戻らない。栞、お前は自分の『ヒーロー』を、自分の手で植物人間に変えるのかい?」
背後で蓮が、必死にタブレットを操作し、ドーム内の音響システムをハッキングしようとしていた。
「お姉ちゃん……パパの言うことなんて聞かなくていい! 九条さんは、お姉ちゃんに『生きて』ほしくて、そのために壊れることを選んだんだ!」
蓮の叫びに、私の迷いが消えた。
私は九条さんの頬を両手で包み込み、自分の額を彼の額に押し当てた。
骨を伝って、彼の脳の悲鳴が聞こえてくる。
(……九条さん、ごめんなさい。……でも、…ありがとう)
私は、血と涙の混じった唾液を飲み込み、喉の深淵にある「最後の火種」に火をつけた。
声、というよりは、命の火花そのものだった。
私は、父が刻んだ暗号の「旋律」ではなく
九条さんと過ごしたあの海辺の療養所の、穏やかな波音をイメージして声を放った。
パンドラのノイズを打ち消す、純粋な振動。
九条さんの右目の赤い光が激しく明滅し、彼の耳から黒い液体が溢れ出す。
同時に、ドーム中のサーバータワーが火花を散らし、カプセルから這い出してきた人々が一斉に崩れ落ちた。
「……ぐ、あああぁぁぁ!」
九条さんが絶叫し、全身を弓なりに反らせる。
パンドラの全データが、私の声によって強制的に消去されていく。
「何だと……!私の完璧なバックアップが……『ただの波音』に上書きされたというのか!?」
父・誠の顔が、初めて憎悪に歪んだ。
九条さんの脳からパンドラが消滅した瞬間
エデンの全システムがダウンし、非常用の赤い警告灯だけがドームを照らした。
九条さんは糸の切れた人形のように、私の腕の中に崩れ落ちた。
その呼吸は、あまりにも静かで、微かだった。
「……よくも、……よくも私の傑作を台無しにしてくれたな、栞」
父・誠が、床下に伸びる光ファイバーを引きちぎり、自らの肉体に直接、予備の電源を繋ぎ直した。
彼の全身に青い電光が走り、人間を辞めた「異形の姿」へと変貌していく。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!