「じゃ、帰るわ」
渡辺はそう言うと、ひとり戸口を出て行った。
いつもと様子が違うのは、渡辺の鼻の先が赤くなっていたことと、岩本がすぐに彼を追わないこと。
◆◇◆◇
外は今、冷たい雨が降っている。秋もほんの少し深まり、夜は中々に肌寒い。
渡辺が家を出てからほんの少し経って、岩本は呟く。
「もう、ほんとどうしようもないな…」
その言葉が渡辺のことを指すのか、岩本自身を表しているのか、自分でもよくわからないまま、岩本は座っていた椅子から立ち上がった。
渡辺は確か傘を持って出なかったから、もうとっくに大通りでタクシーでも捕まえて乗り込んでしまったかもしれない。部屋を出て来る時に、車のキーは持ったのに携帯を忘れて出て来てしまったことを、岩本は下に降りてから気づいた。 雨粒が容赦なく岩本に降りかかり、ただでさえ暗い視界は、さらに悪くなっている。
「もういないよな…」
上着も羽織らず外へ出て来た。外気はやはり冷たい。そう言えば渡辺も薄着だったなと思い返す。マンション前の広場を横切り、面した道路の左右を見渡しても渡辺らしき人影は見えなかった。携帯を取りに戻って連絡してみるかと引き返したところで、岩本は、目の前の植え込みにうずくまる人影を見つけた。
「……帰ったんじゃなかったのかよ」
「…………」
自分の口をついて出た言葉が、思わず渡辺を責めるような口調だったことに気づいて焦るが、発してしまった言葉はもう取り返しがつかない。渡辺はその場でむくりと仁王立ちになり、岩本を睨みつけた。
「別に。もうどうだっていいだろ?」
口調はいつもの拗ねたそれだったが、いつもと違うのは、渡辺が思いがけず泣いていたことだ。
岩本は驚いて言葉を失った。
岩本は渡辺がこうして泣くのを初めて見た。
何かと自分の感情を隠しがちな渡辺。人に弱みを見せたがらないところが、彼にはある。
「翔太……」
「もう俺に構うなよ」
「……………」
岩本は動揺していた。
ついさっき、渡辺と揉めた。きっかけはつまらないことだ。お互いに仕事が忙しくなり、中々二人で会う時間が取れない。それでも多趣味な岩本はインドアな渡辺と違ってどんどん外へと出かけて行く。会えない時間が長くなっても、渡辺からはけろりとして見える。それが、渡辺の気に入らなかった。
◆◇◆◇
「何で俺ばっかり待ってなきゃいけねぇの?」
「え?」
「照の予定に合わせて、俺がわざわざお前ん家に来てても、お前いっつも俺を待たせるよな」
「それ、嫌だった?」
「……………は?」
「いや、ごめん。そういう意味じゃなくて。翔太、いつも何も言わずに家で待っててくれるから…」
「待ってるから、なんだよ?」
「安心して家に帰って来れるっていうか…。俺は翔太が寂しがってるなんて少しも思ってなくて…」
岩本のもとへ、勢いよくクッションが飛んで来た。もうひとつも、続けざまに。
「別に寂しくなんかねぇよ、自惚れんな、バカ!!!」
渡辺の罵声が飛ぶ。
どうやらこういう時、素直になれない渡辺の機嫌をますます損ねてしまったようだ。
しかし、岩本にも言い分はある。
別に岩本もわざわざ遅く帰って来ているわけではない。予め決まっていた予定が終われば、渡辺が待つ自分の家へと急いで帰っている。それでも渡辺の方は気まぐれで、約束より早く部屋に来て岩本を待っていたりするのだ。岩本としても流石に予定を途中で切り上げることはできない。サウナにでも行って、時間を潰してくれてればいいのにと内心思っていた。
「ごめんな、翔太」
「もう聞き飽きたわ。お前が謝るのとか」
「………………」
「合わねぇわ、俺たち。……もう終わりにしよ」
「えっ……」
「なんか、お前のそういう態度が癪に触るし」
「いや、それは……」
「なんだよ?」
渡辺の目つきが鋭くなる。怒りで唇が震えている。そんな渡辺を見て、口下手な岩本は黙り込んでしまう。
「じゃ、帰るわ」
何も言わない岩本を見て、渡辺は大きく息を吐くと、そのまま玄関へと向かった。
◆◇◆◇
「俺、嫌だから」
「は?」
「翔太と別れんのとか、考えてないから」
「……………」
しとしとと雨が降りしきる中、岩本を見上げる渡辺の顔が歪む。
「大好きだから、翔太のこと。ごめん、寂しい思いさせて」
そう言って、ぐっと渡辺を抱き寄せる。
渡辺は初め、何とか離れようとしたが、岩本の腕の力が思いの外強く、真剣なことに気がつくと、やがてその腕の中に大人しく収まった。
そして一言。
「寂しくなんかねぇし」
「翔太がいなくなったら俺が寂しいの」
「……はず……///」
「そう?俺は翔太とずっと一緒にいたい」
「だから、いちいちそういうこと言うのが、恥ずいんだって!!!」
渡辺がぽかん、と岩本の頭を叩いた。
「寂しいなら、素直に寂しいって言えよ」
そう言ってなおも肩を組んで来る岩本に、渡辺は小さく
「………それぐらい察しろ」
ふと呟いた渡辺は、うわぁぁあああと叫び、走り出すと、先にマンションへと戻って行った。残された岩本は一瞬呆気に取られてから、くすりと笑い、慌てて渡辺を追い掛けた。
おわり。
コメント
23件
こちらの💛も💙にベタ惚れですね😊
え?最初、私の経験と一緒でびっくりしたわ〜🤣 私の場合、照みたいに追いかけてくれなくて終わったけど😅 💙の拗ね方、可愛いよね💕
か“わ“い“い“ーーーーーー💙💙💙