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FORSAKENの領域――《荒廃したナス科の花畑》。
紫黒の花々は、風もないのに揺れている。
湿った霧が地を這い、腐った甘い香りが肺を満たす。その景色は、かつて二人が愛を語り、そして血に染まった花畑によく似ていた。
似ているだけだ。
ここには希望など、一片も残っていない。
霧の向こうで、灰色の帽子が揺れた。
ツータイムは息を呑む。
「……アズール……?」
ゆっくりと姿を現したその影は、確かに愛した恋人だった。
灰色のウィザードハット。
黒い髪。
だが白かった肌は闇より深い漆黒へ染まり、背中からは幾本もの触手が静かに蠢いている。
花を育てていた青年は、もうどこにもいなかった。
「本当に……君なのか……」
震える声が漏れる。
喉が焼ける。
罪悪感が肺を締めつける。
「あの日から……ずっと探してた……」
一歩。
また一歩。
泥に膝をつきながら近づく。
「僕は……君に酷いことをした。」
「許されるなんて思ってない。」
「それでも……僕は君を――」
手を伸ばす。
もう一度だけ。
あの優しい手に触れられたなら。
そう願った、その瞬間だった。
バシィッ!!
鋭い音が霧を裂く。
触手が容赦なく振り抜かれ、ツータイムの腕を叩き落とした。
勢いのまま地面へ転がり、泥が頬を汚す。
「あ……」
見上げた先。
灰色の帽子の影から覗く瞳は、あまりにも冷たかった。
虫でも見るような。
死体でも眺めるような。
そこには、愛した人の面影など欠片も残っていない。
「……触るな。」
低い声だった。
「穢らわしい、生存者。」
その一言だけで、ツータイムの身体は凍り付く。
「アズール……」
「違う……僕たちは……」
声が震える。
「あの花畑で……君は『愛しています』って……」
「僕たちの初恋は……」
その言葉を聞いた瞬間だった。
アズールの肩が震える。
くつくつ、と喉が鳴る。
やがて。
「あは……」
笑った。
「あはは……」
笑いが止まらない。
「あははははははッ!!」
狂ったような笑い声が花畑へ響き渡る。
「初恋?」
「愛?」
アズールは腹を抱えるように笑いながら、ゆっくりとツータイムの前へしゃがみ込んだ。
帽子の影が、ツータイムを覆う。
「お前、本気でそんなものを信じていたの?」
その声は、優しい。
だからこそ恐ろしい。
「あの日。」
「泣きながら私の胸を刺したのは誰だった?」
「私を生贄にしたのは誰だった?」
「私の『愛しています』を血溜まりに沈めたのは誰だった?」
言葉が一本ずつ、刃のように突き刺さる。
「…………」
ツータイムは何も返せない。
返せるはずがなかった。
アズールは細く笑う。
「私の心は、あの日死んだ。」
「全部。」
「欠片も残らなかった。」
触手が嬉しそうに揺れる。
そして、その名を口にした。
「でも。」
「私を拾ってくださった方がいる。」
熱に浮かされたように瞳が潤む。
頬が紅潮する。
声まで甘く溶けていく。
「我が神――スペクター様。」
その名だけで、アズールの表情が一変する。
さっきまでの冷笑は消え去り、恋する者のような幸福だけが浮かんでいた。
「あのお方は私を抱き締めてくださった。」
「私の毒を美しいと言ってくださった。」
「私を怪物ではなく、作品だと言ってくださった。」
「私を救ってくださった。」
両手を胸へ重ねる。
まるで祈るように。
「これが愛だ。」
「お前が語る初恋なんて、比べることすら失礼なんだよ。」
「ただの自己満足。」
「安っぽい執着。」
「虫の鳴き声ほどの価値もない。」
ツータイムの世界が、音を立てて崩れていく。
否定されたのは恋ではない。
自分という存在そのものだった。
「アズール……」
掠れた声しか出ない。
目の前にいるのに。
手を伸ばけば届く距離にいるのに。
もう、この人は二度と戻らない。
アズールは立ち上がる。
灰色の帽子の鍔を指先で軽く押さえ、毒刃を静かに構えた。
「安心するといい。」
「お前は死ねない。」
口元がゆっくり歪む。
「だから私は、何度でも殺せる。」
背後の触手が歓喜に震えた。
「お前が蘇るたび。」
「お前が絶望するたび。」
「私は主人に褒めていただける。」
その瞳には、ツータイムなど映っていない。
映っているのはただ一人。
真紅のシルクハットを被る、あの支配者だけだった。
「見ていてください、スペクター様。」
恍惚とした笑みが咲く。
「私は今日も、あなた様のために――収穫してまいります。」
その言葉とともに、灰色の帽子が霧を裂いた。
毒刃が静かに閃き、荒廃した花畑に、再び絶望の悲鳴が咲き始めた。
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