テラーノベル
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ハルさんが部屋にやってきた。 両腕で抱えた段ボール箱を床に下ろす。
「あったよ」
「これで全部」
「ありがとうございます」
彼が頭を下げる。
見覚えのない段ボールだった。
ハルさんがどこかでまとめてくれたのだろう。
ここ最近、彼は私のことを調べ続けていた。
そのたびに身体につながる紐が少しずつ切れている。
そういえば最近、身体が少し軽くなった。
前みたいな窮屈さも減っている。
試しに廊下へ出てみた。
前なら途中で身体が引き戻されていたのに、今は違う。
気付けば共用廊下の突き当たりまで来ていた。
目の前には夕焼け空が広がっている。
こんな景色だったんだ。
ずっとこの建物にいたはずなのに、初めて見た気がした。
彼が私のことを知るたびに紐が切れる。
そんな気はしていた。
でも本当に関係があるのかは分からなかった。
ハルさんがちゃぶ台の前に腰を下ろす。
「その後、何か分かったかい?」
「いえ、今のところは」
彼は苦笑した。
「そうかい……」
少しだけ残念そうだった。
五年も経っている。
だからそう簡単に新しい手掛かりなんて見つからない。
「よければ小さい頃の澪さんのことを聞かせていただけませんか?」
彼が尋ねる。
「いいよ」
ハルさんは嬉しそうに頷いた。
「役に立つ話があればいいんだけどねぇ」
それから私の話が始まった。
覚えていることもあれば初めて聞くこともある。
自分の話なのに妙な気分だった。
「小さい頃はね、虫が大の苦手だったのよ」
「へえ」
「セミを見るたび泣いてたねぇ」
少し考えてからハルさんが笑う。
「むしろセミより大きな声で鳴いてたわ」
思わず顔をしかめる。
やめてほしい。
彼まで笑っている。
「あと犬も駄目だったね」
「犬もですか」
「近所の柴犬を見るたび逃げてた」
覚えていなかった。
そんなことまであったらしい。
「中学生の頃は?」
「人並みに反抗期はあったかなあ」
ハルさんは懐かしそうに笑う。
「でも私には優しかったよ」
なんだか落ち着かない。
思わず窓の方を向く。
もちろん誰にも見えていないのに。
「いい子でした」
ハルさんがぽつりと言った。
返事に困った。
そんなことない。
都築七美
360
#初心者だからつまんないかも....
海夏
33
浪霧(らむ)
213
ピデピー
1,156
そう言いたくなる。
でも否定するのも違う気がした。
結局、黙って聞いているしかなかった。
彼の顔が少し真面目になる。
「ご家族や澪さんが恨まれるようなことはありませんでしたか?」
「どうだろうねぇ」
ハルさんは首を傾げた。
「全部知っていたわけじゃないけど」
「みんないい人たちだったよ」
少し考え込む。
「ただね」
「いい人でも妬まれないとは限らないからねぇ」
「ええ」
彼が頷いた。
「僕もそう思います」
少し間が空く。
「なぜ澪さんだけ行方不明なのか」
「そこが気になっています」
彼は手元へ視線を落とした。
私も知りたい。
どうして私だけなのか。
お父さんもお母さんも見つかった。
なのに私だけ見つからない。
自分のことなのに何も分からなかった。
「そうそう」
突然ハルさんが声を上げた。
「そういえばね」
彼が顔を上げる。
「あの子、事件の少し前はすごく楽しそうだったんだよ」
楽しそう。
その言葉に引っかかった。
「たしかアイドルだったかな」
「アイドル?」
「オーディションに受かったって言ってたよ」
彼の表情が変わる。
「オーディションですか」
「事件の一か月くらい前だったと思う」
ハルさんが笑った。
「毎日鏡の前で練習してたみたいだねぇ」
頭の奥で何かが揺れた。
アイドル。
その言葉を聞いた瞬間、忘れていた景色が急に輪郭を持ち始める。
歌うことも踊ることも好きだった。
眩しい照明の下に立つステージへ憧れていた。
「そうだ……」
思わず呟く。
私。
アイドルを目指していた。
どうして忘れていたんだろう。
こんな大事なことを。
学校帰りにダンス教室へ通ったことも、誰も見ていない部屋で笑顔の練習をしていたことも思い出す。
上手くできなくて悔し泣きした日もあった。
それでも諦めなかった。
受かるわけない。
でも受かりたい。
そんなことばかり考えていた。
忘れていたはずなのに、不思議なくらい鮮明だった。
少しずつ思い出していく。
その瞬間だった。
身体につながる紐の一本が音もなく切れる。
ぱちん。
乾いた感覚だけが伝わった。
思わず振り返る。
また一本。
確かに切れた。
胸の奥が少し熱い。
これも記憶と関係あるのだろうか。
分からない。
でも忘れていたものを取り戻した気がした。
彼が段ボール箱を引き寄せる。
「何か残っているかもしれませんね」
「そうかもねぇ」
ハルさんも頷く。
「手紙なら何通かあったはずだよ」
箱の中を探し始める。
古い教科書や賞状、写真。
懐かしそうな物ばかりだった。
見覚えのある物も混じっている。
そのたびに記憶の欠片が少しずつ浮かんだ。
文化祭のパンフレットを見ては当日の賑わいを思い出し、落書きだらけのノートを見つけては友達と笑った記憶がかすかに蘇る。
顔までは思い出せない。
それでも楽しかった気持ちだけは残っていた。
自分にもちゃんと毎日があったのだと、今さら気付かされる。
彼が一枚の封筒を取り出す。
「これは……」
少し黄ばんだ封筒だった。
差出人を確認した彼が首を傾げる。
「事務所の名前ですね」
中から書類を取り出した。
何かの案内状らしい。
私も隣から覗き込む。
最初は意味が分からなかった。
けれど視線が文字を追った瞬間、息が止まる。
『最終審査のご案内』
その下には私の名前が書かれていた。
夢じゃなかった。
本当に受かっていたんだ。
何度も見返す。
見間違いじゃない。
ちゃんと私の名前だった。
胸の奥が少し震える。
あの時の私は、この手紙を見て何を思ったんだろう。
喜んだだろうか。
泣いたかもしれない。
最初に誰へ報告したのだろう。
お母さんだろうか。
お父さんだろうか。
何も思い出せない。
それなのに嬉しかったことだけは分かった。
彼が小さく呟く。
「最終審査か」
その言葉の先は続かなかった。
私も何も言えない。
封筒の日付を見る。
事件の少し前だった。
あと一か月。
たった一か月。
それだけだった。
彼はしばらく手紙を見つめていた。
私も隣から眺める。
少し前まで思い出しもしなかった夢。
それなのに今は胸が苦しい。
本気だったんだと思う。
なりたかったんだと思う。
アイドルに。
誰よりも。
コメント
1件
リオンです。8話、読み終えました。 アイドルを目指していたこと、最終審査の案内状が出てきたところ、すごく胸にきましたね。忘れていた記憶が蘇るたびに紐が切れていく描写が、澪さんの存在そのものとリンクしているようで…。あと一か月、という一文がやるせない。嬉しかった気持ちだけは確かに残っている、という感覚にも共感してしまいました。