テラーノベル
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続き。
放課後の商店街、色とりどりの看板が並ぶ一角で、中原中也は所在なげに電柱の影に立っていた。
制服のまま、女子向けの衣類店が並ぶ通りに男が一人で佇んでいるのは、どうにも落ち着かない。周囲を歩く通行人の視線が、まるで自分を不審者と決めつけているかのように感じられ、中也は帽子の庇を深く下げた。
「……遅ぇな、太宰の奴」
事の発端は、数日前のあの告白だった。中也の愛撫のせいで、お気に入りの下着が軒並み合わなくなったという太宰の不機嫌。責任を感じた中也が「ついてってやる」と口走った結果、二人は今、こうして大きな百貨店の婦人下着売り場の手前にいた。
「はぁッ!? 本気で言ってるの!? 正気!? 変態なの!? 死ぬの!?////」
店の入り口で、太宰は顔を林檎のように真っ赤にして絶叫した。周囲の視線が一斉に突き刺さり、中也は思わず彼女の口を塞ぎたくなった。
「手前が悩んでるからだろ! ほら、さっさと行ってこい。俺はここで待っててやるからよ」
「当たり前だよ! 中也みたいな野蛮人が神聖な売り場に足を踏み入れるなんて、百年早いわ! そこで石像みたいに固まってなよ!」
そう言い捨てて、太宰は逃げるように店内の奥へと消えていった。
店内は、淡い桃色や純白のレース、繊細な刺繍が施された布地が溢れる、男子禁制の空間だった。
太宰は、店員に声をかけられるのを避けながら、棚の間を彷徨う。手元の籠には、自分のサイズを測り直して選んだ、機能性の高い控えめな下着が数点入っていた。
(……これでいいはず。サイズさえ合えば、もう中也に文句を言われる筋合いはないし)
そう自分に言い聞かせ、会計に向かおうとした太宰の足が、ふと止まる。
視線の先には、普段の彼女なら絶対に選ばないような、少し大人びたデザインの区画があった。深い紺色のシルクに、黒いレースが縁取られたもの。あるいは、情熱的な赤に、華奢な紐が細工されたもの。
(中也は……どんなのが、好きなんだろ)
一度浮かんだ疑問は、澱のように彼女の脳内に溜まっていく。 中也はいつも、太宰が何を着ていても、あるいは何も着ていなくても、慈しむように触れてくれる。けれど、彼が真に心を動かされる「色」や「形」は、一体どのようなものなのだろうか。
あんなに自信満々に「ついていく」と言い放った男だ。きっと、彼なりの理想があるに違いない。そう考えると、今持っている無難な下着だけでは、何だか自分が負けたような、ひどく損をしているような気分になってきた。
(……僕が、僕のためだけに選ぶんじゃない。中也が喜ぶ顔が見たいなんて、そんな殊勝なこと思ってないけど。でも、あいつに『似合うな』って言わせたいだけだし……!)
太宰は葛藤した。一人で選ぶこともできた。けれど、もし選んだものが中也の好みの真逆だったら。そう思うと、どうしても確信が欲しくなる。
太宰は籠を抱えたまま、早足で店を出た。
「……あ」
中也は、電柱の陰で所在なげに空を眺めていた。太宰が戻ってきたことに気づくと、彼は安堵したように眉を下げた。
「おう、終わったか。意外と早かったな」
「……まだ。終わってない」
太宰は俯いたまま、小刻みに震えている。中也は首を傾げ、彼女の顔を覗き込もうとした。
「何だよ。金、足りなかったか? 俺が出してやるって――」
「違う! バカ中也! 低身長! 蛞蝓!////」
太宰は顔を上げると、潤んだ瞳で中也のシャツの袖をぎゅっと掴んだ。
「……中也、来なよ」
「は? どこに」
「決まってるでしょ、店の中だよ! 僕一人じゃ決められないの! 手前が……中也が、どんなのが好きか、僕にわかるわけないじゃない!」
その言葉の響きに、中也は一瞬、思考が停止した。 「中也が好きな下着はどれか」という問いを、彼女は今、この往来で、最大限の勇気を振り絞ってぶつけてきたのだ。
「……っ、んなもん、自分で選べよ! 俺は別に、何だって――」
「何だってよくない! 中也のバカ! 僕の苦労も知らないで……。いいから来いって言ってるの! 命令だよ!」
太宰の力強い(けれど震えている)手に引かれ、中也はついに、禁断の聖域へと足を踏み入れることになった。
店内の空気は、外よりも数段甘く、重い。 中也は完全に置物と化し、太宰の背後に隠れるようにして歩いた。店員の温かな視線が、余計に彼の羞恥心を煽る。
太宰は、先ほど目をつけた大人びたデザインの棚の前で立ち止まった。
「……これ、どう思う」
彼女が指差したのは、落ち着いた紫色のレースがあしらわれた、気品のある一点だった。
中也は喉を鳴らし、真剣にその布地を見つめた。恥ずかしさで爆発しそうだったが、太宰がこれほどまでに真剣に自分に教えを請うているのだ。男として、相棒として、ここで逃げるわけにはいかない。
「……紫は、手前の肌の色に合うと思う。白いからな。……あと、その、あんまりガチャガチャしてない方が、俺は、好きだ」
中也は途切れ途切れに、けれど本心を語った。 太宰はそれを聞くと、さらに顔を赤くし、けれど満足そうに小さく頷いた。
「……ふん。相変わらず、ひねりのない感性だね。でも、まあ、中也にしては及第点かな」
そう毒を吐きながらも、太宰は迷わずその紫色の下着を籠に入れた。 結局、彼女が選んだのは、最初に選んだ機能性重視のものと、中也が「好きだ」と言った、少し背伸びをしたデザインのものだった。
帰り道、夕焼けが二人の影を長く引き伸ばしていた。 荷物袋を提げた中也の隣で、太宰はどこか誇らしげに、軽やかな足取りで歩く。
「中也、今日は特別に感謝してあげるよ。僕の素晴らしい美貌に、中也の凡庸な意見が加わって、最強の布陣が整ったわけだし」
「ああ、そうかい。……で、いつ着るんだよ、それ」
中也が何気なく尋ねると、太宰はぴたりと足を止め、彼を横目で睨みつけた。
「……次に、中也が部屋に来た時。……でも、すぐ脱がされたら怒るからね」
「……努力はする」
二人は顔を見合わせ、どちらからともなく小さく笑った。 中学生という未熟な季節。互いの身体の変化に戸惑い、衝突し、けれどそれさえも愛おしい過程として共有していく。
「ねぇ、中也」
「あ?」
「……好きだよ」
不意に投げられた直球の言葉に、中也は足を止め、空を仰いだ。
「……知ってるよ。俺もだ、クソ太宰」
繋いだ手のひらから、熱い温度が伝わってくる。 相思相愛という名前の、世界で一番贅沢な呪い。 二人は、赤く染まる街の中を、解けることのない指先を確かめ合いながら、ゆっくりと歩みを進めていった。
その鞄の中にある紫色の約束が、いつ果たされるのかを、楽しみにしながら。
カーテンを閉め切った子供部屋。月明かりさえ遮断された空間で、中原中也は目の前の光景に、思考の全てを奪われていた。
数日前に二人で選んだ、あの紫色のレース。
太宰治の白い肌の上で、その色は驚くほど鮮やかに、そして毒々しいほど艶やかに咲いていた。普段の彼女が纏う清潔な制服の下に、これほどまでに自身の独占欲を煽る布地が隠されていたという事実に、中也の喉は不自然に乾く。
「…………。」
中也は無言だった。言葉が出なかったのだ。
ただ、食い入るように、その肢体を見つめることしかできない。
太宰は、ベッドの端に腰掛けたまま、所在なげに指先を遊ばせていた。中也の視線が熱を帯びて自分の肌を焼くのを感じ、彼女の頬は瞬く間に朱に染まっていく。
「……コメント、なんかないの、?」
上目遣いで、太宰が震える声で問いかけた。
本当は「綺麗だ」とか「似合ってる」とか、そういう平凡で、けれど甘い言葉を期待していたのだ。ツンデレな彼女なりに精一杯の勇気を振り絞って選んだ一着。それを認めてもらえることが、今の彼女にとっては何よりの救いだった。
しかし、中也から返ってきたのは、彼女の予想を遥かに超える、低く掠れた声だった。
「……この状態でやってもいいか? 下着はずらして」
「はぁ!?」
太宰は飛び上がらんばかりに驚き、思わず自分の胸元を隠すように腕を交差させた。
中也の瞳は、いつもの優しさや戸惑いを通り越し、獲物を狙う肉食獣のような鋭い光を放っている。
「手前……っ、何言ってるの!? せっかく新調したのに、そんな……っ」
「……っ、悪りぃ。でも、これ、想像以上だ」
中也は一歩、太宰に歩み寄った。
彼は太宰の横に膝をつき、震える指先で、紫色のレースの端に触れる。その指先からは、彼がどれほど自制心を保とうとしているのかが伝わってくる。
「外したくねえんだよ。……その色が、手前の肌に食い込んでるのが、……すげぇ、綺麗で。そのまま、……したい」
中也の言葉は、飾りのない、剥き出しの本音だった。
中学生という未熟な年齢。情動を制御する術を知らない少年は、自分の好みを完璧に体現して見せた恋人に対して、本能的な欲望を隠せなくなっていた。
太宰は、中也の真剣すぎる眼差しに気圧され、毒気を抜かれたように小さく息を吐いた。
「綺麗だ」と言われた。その事実が、彼女の胸の奥をじんわりと熱くさせる。
「……中也って、本当に変態だよね。……最低。野蛮。蛞蝓」
罵倒を並べながらも、太宰は隠していた腕をゆっくりと解いた。
彼女は中也の肩に手を回し、耳元で熱い吐息を漏らす。
「……いいよ。中也が、どうしてもって言うなら。……壊さないでよ? 高かったんだから」
その承諾は、二人にとっての新しい扉を開く合図だった。
中也は太宰をゆっくりとシーツの上へと押し倒す。
約束通り、紫色のレースは脱がされることなく、白い肌とのコントラストを保ったまま、乱れた呼吸の中に沈んでいく。
指先が布地の隙間を縫い、彼女の最も柔らかい場所に触れる。
いつもより強引で、けれど誰よりも大切に扱う中也の熱が、太宰の中に溶け込んでいった。
「……中也」
「ああ」
「……大好き、だよ」
「……知ってる。……俺もだ」
重なり合う二人の影。
紫色の秘密を共有した夜は、いつもより少しだけ長く、そして深く、二人の記憶に刻まれていった。
外では春の風が静かに吹き抜け、中学生たちの早熟で純粋な情熱を、優しく見守るように揺れていた。
コメント
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マジ最高!!!…てか中也ってモテそうだよねー