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𝕣𝕖𝕒𝕣
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#ご本人様には関係ありません
あか
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#からぴち
琉愛˚𓆩✞𓆪˙
191
第1部 買収
第4章 数える男
午前八時。投資銀行のフロアは、すでに人の熱で少し暖かかった。
勇斗は、後輩のアナリストの机に、付箋だらけの資料を置いた。
「はい、今日の分。ここ、ヴェルディエの役員の好み。コーヒーはブラックで、話が長くなると水を足す人だから、水差しの位置だけ確認しといて」
「相変わらず、細かいっすね」
「細かいのが仕事じゃん?」
後輩が笑う。勇斗も笑った。この笑顔で相手の警戒を解くのが、自分の武器だと、彼は知っている。
「勇斗」
背後から、部長の声がした。
「今日の面談、分かってるな」
「はい」
「ヴェルディエは本気だ。決めてこい」
それだけ言って、部長は去っていった。
自席に戻り、勇斗はゆっくり息を吐いた。
M&Aアドバイザー。それが彼の仕事だ。企業の買収や資金調達を手伝う投資銀行の中で、買う側、あるいは売る側に立って、条件をまとめる専門家。今回は、ヴェルディエ・グループという買い手の側に立っている。報酬の大半は、成約したときに初めて支払われる。成功報酬という。決まらなければ、三か月の努力は、ほとんど何も残らない。
決まれば、昇進に手が届く。
この案件を取るために、勇斗は三か月、ヴェルディエに通い続けた。何かを手に入れたいと思えば、何でもする。それが、彼のやり方だった。
会議室は、二十八階にあった。窓の外に、昼の東京が広がっている。
Lueur側の二人は、五分前に到着した。
「はじめまして。舜太です。今日は、お時間をありがとうございます」
先に手を差し出したのは、舜太のほうだった。上背がある、タレ目の笑顔。握手は強く、短い。距離の詰め方が、うまい。勇斗は、同類の匂いを嗅いだ気がした。人を惹きつける笑い方を、自分でも意図して使う人間の顔だ。
「勇斗です。こちらこそ、よろしくお願いします」
その隣に、仁人がいた。
細身のダークスーツ。端正でクラシカルな顔立ち。眉が、凛としている。
「COOの仁人です」
「勇斗です。よろしくお願いします」
名刺を受け取る。仁人の目が、勇斗の肩書きを、一瞬だけ見た。それから、ヴェルディエの事業開発担当役員が入ってきて、仁人が同じように名刺を受け取ると、その肩書きを、長く見た。
他の誰よりも、長かった。二秒。あるいは三秒。
勇斗は、それを数えた。
面談は、勇斗の進行で始まった。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。まず、私の立場を簡単に。私は、ヴェルディエ様の側に立って、今回の可能性について条件を整理する役割です。買う側の代理人、のようなものだと思ってください」
ヴェルディエの役員が、穏やかに切り出した。五十代の、物腰の柔らかい男だった。
「Lueurの作品には、以前から敬意を払っています。特に、デザイナーの方の線の引き方は、他にない。弊社とは今回が初めてのご縁ですが、こうしてお会いできて光栄です」
「はい。初めてです。こちらこそ」
仁人が、短く答えた。
「その前に、僕らが何者かを、少しだけ話させてもらってもいいですか」
舜太が言った。役員が頷く。
舜太は、創業の経緯を語った。大学の友人三人で始めたこと。最初は、柔太朗が夜、一人で作っていた一点だったこと。仁人が銀行を辞めて、会社の数字を引き受けてくれたこと。
声には熱があるのに、落ち着いていた。勇斗は、聞きながら、仕事を忘れて聞き入っている自分に気づいた。水のグラスに手を伸ばして一口飲み、意識して、表情を営業用に戻した。
視線を感じて顔を上げると、仁人が、ちらりとこちらを見ていた。すぐに逸らされた。
「では、数字の話に移りましょう。仁人さん、会社の概要を」
仁人は頷いた。
売上、在庫、株主構成、主要な取引先。淀みがなかった。数字はすべて頭に入っているらしく、資料に目を落とす回数は、一度もなかった。
「株主は、創業者の三人のみです」
「外部の投資家は?」
「入れていません」
「なるほど」
勇斗は手元の資料に視線を落とした。財務の簡易資料と、月次の現預金の推移表。
「創業一年目の資金繰りについて、少し伺ってもいいですか」
資金繰り。会社の手元の現金が、毎月の支払いに足りるかどうか。水槽の水位に似ている。給料と家賃で、水は毎月減っていく。売上で、減った分を足し続けなければならない。水位がゼロに近づけば、会社は黒字でも止まる。
推移表の、創業十か月目。水位は、ほとんど底をついていた。銀行の融資が入ったのは、その数週間後だった。
「その数週間は、どのように?」
「三人の報酬を止めて、取引先への支払いを調整して、しのぎました。融資が決まる見込みは、その時点で立っていましたので」
仁人は、少しの間も置かずに答えた。
「なるほど。堅実ですね」
「ええ」
完璧な答えだった。文にも、数字にも、隙がない。
だからこそ、勇斗は違和感を覚えた。数字に嘘はない。けれど、何度も練習した文章のように、滑らかすぎた。
「デザイナーの方にも、一度お会いできませんか」
役員が言った。
「制作に専念させたいので、窓口は僕に一本化させてください」
役員の質問が終わる前に、舜太の口が動いていた。
「承知しました。無理を言いました」
役員は穏やかに引いた。勇斗は、何も言わずに、その一瞬を頭に置いた。
「では、次の段階をご提案させてください」
勇斗は、空気を戻した。
「デューデリジェンスに進ませていただければと思います。会社の中身を、財務、契約、人、知的財産まで、細かく調べる調査のことです。買う側が、買う前に、中に何があるかを確認する。健康診断のようなものだと思っていただければ」
「健康診断、ですか。いい言い方ですね」と、舜太が笑った。「結果が悪かったら、どうなるんですか」
「悪いところを一緒に見つけて、どう直すかを話します」
舜太の笑顔が、ほんの少しだけ止まった。仁人は、机の上の書類の端を、指で揃えた。
面談は、予定より十分早く終わった。
エレベーターホールで、舜太はヴェルディエの役員と、別の話をしていた。仁人が一人、上りのボタンの前に立っている。
勇斗は、その隣に立った。
「今日は、ありがとうございました。噂どおりの切れ者ですね、仁人さん」
「はぁ。」
平らな声だった。
勇斗は、思わず笑った。相手の褒め言葉を、こんなに冷たく打ち返した人間は、初めてだった。
「冷たいなぁ」
「そう言われても」
「本当に、助かりました。資料の作り方が、丁寧で」
「仕事ですから」
仁人はそう言って、ほんの少しだけ視線を逸らした。頬の端が、ごくわずかに動いた気がした。照れたのか、別の何かなのか、勇斗には分からなかった。
エレベーターが着き、舜太が戻ってきて、二人は乗り込んだ。扉が閉まる。
勇斗は会議室に戻り、窓の外を見た。昼の東京が、ビルの谷間に沈んでいく。
言わなかったことを数える癖が、昔からあった。人は、言った言葉よりも、言わなかったことに、本音を残す。
一つ。舜太は、デザイナーに会わせない理由を答えるのが、早すぎた。質問が終わる前に、口が動いていた。
二つ。仁人の初年度の資金繰りの説明は、滑らかすぎた。数字に嘘はない。けれど、練習された文のようだった。
三つ。仁人は、名刺を見る時間が長すぎた。ヴェルディエの役員の名刺だけを。
「あーー…」
小さく、声に出た。
三つは、まだ何も証明しない。ただの違和感だ。どの会社にも、外に出したくない何かはある。
ただ、その三つのうち二つが、同じ人間から出ていることが、気になった。
仕事だ、と勇斗は思った。リスクの確認だ。
それ以上のものではない。
コメント
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第5話、お疲れ様です! 面談シーン、めっちゃ緊張感あって好きでした。特に舜太の「質問が終わる前に口が動いた」ところと、仁人の名刺を見る時間が長かったところ…勇斗が「言わなかったこと」を静かに数えてく様子が、ゾクッとしました。 まだ三つは違和感止まりってとこもリアルで、この先の展開が気になります🖤