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私を乗せた護送馬車は町の教会の前で止まると、騎士達は私を馬車から引きずり降ろしました。
この辺境の教会が私の身を預かる場所――いわば牢獄なのです。
ここで何が私を待ち受けているのかは分かりません。それを考えると私は気鬱で足が重くなります。そんな私に苛立った騎士は枷の鎖を強引に引き、私は教会の敷地内へ引きずられるように入りました。
「私はこの修道院の尼僧でジェルマと申します」
そこで最初に私を迎えてくれたのは壮年のシスターでした。
「あなたがミレーヌですね」
私の一回りくらい歳上でしょうか、温かく柔らかい笑貌がとても魅力的な方です。しかも、彼女は罪人として運ばれてきた私に嫌そうな素振りを全く見せず、躊躇なく近づいてきました。
「お初にお目に掛かります。ミレーヌと申します」
せっかく丁寧に挨拶をしてくれたのに、手枷で自由を奪われた私は頭を下げることしかできません。それでもシスター・ジェルマは満足そうに一つ頷かれました。
何という素晴らしい女性なのでしょう。
私は牢に投獄れてからリアフローデンに着くまで身を清められず酷いあり様でした。しかも、鎖に繋がれた罪人なのです。
それなのに彼女は意にも介さず、ただ私を真っ直ぐ見据えて下さいました。
「その枷はもう必要ないでしょう。取り外して頂けますか?」
私の枷を見て一瞬だけ眉を寄せたシスター・ジェルマは、鎖を持つ騎士に静かな口調でしたが堂々と言い放ちました。
「で、ですがシスター。この者は罪人で……」
「ここはリアフローデン。国の最果てにして魔の蔓延る辺境の地。逃げることもできない場所で枷は必要ないでしょう」
毅然とした彼女の威に打たれた騎士達の狼狽は見苦しいものでした。
「し、しかし……」
「今日より彼女は私が預かります。たった今から彼女はこの教会のシスターになりました。神の下僕たるシスターは、ただ神の教示という枷のみを身に付ければよいのです。その枷は不要ではありませんか?」
「くっ……は、はい……」
鎖を握っていた騎士は焦った様子で鍵を取り出し枷を外し、他の騎士と揃って慌ただしく去っていきました。
シスター・ジェルマは枷のせいで赤く腫れた私の手首にそっと触れました。
「酷い扱いを受けたのね」
「あの……い、ま…私……きたな……」
私は清拭も許されず檻にずっと閉じ込められていたのです。
衣類はもうボロと成り果て、ほつれ髪はホコリとフケだらけ、体は垢や砂で汚れきっており、自らのし尿に塗れた私は汚れきっており、凄まじい悪臭を放っていたはずです。
しかし、彼女はそんな無惨な私に、酷い臭いを放つ私に……そして咎人である私に対して、近づき触れる事に微かな逡巡も見せなかったのです。
「あなたのことはエンゾ様より聞いております」
「エンゾ様に?」
「あの方は以前『巡礼』でこの地を訪れたことがあるのです。今でも手紙の遣り取りがあるのですよ」
聖女の聖務に『巡礼』と呼ばれるものがあります。まだ聖女の数が多かった時代は彼女たちが地方を回って浄化と癒しを与えていたのです。昨今では人手が足りず地方へ赴く機会はめっきり減ってしまいましたが。
「あなたは誰よりも強い力を持った聖女。でもそれに驕ることなく、どの様な聖務も厭わず率先して行う心根の真っ直ぐな娘だと」
「エンゾ様が私をそのように……」
エンゾ様の穏やかな表情が脳裏に浮かび、あの方にお会いしたくなりました。とてもとてもお会いしたくなりました。だけどそれはもう叶う事の無い願いです。
「ミレーヌは誰よりも清廉な聖女。ただ、ちょっと生真面目すぎて心配になるくらい頑張り屋なのが欠点だとも書いてあったわね」
そう言って片目を瞑って悪戯っぽく笑うシスター・ジェルマを見ていると、かつてエンゾ様が働き過ぎよと言って私に向けた困った笑顔を思い出してしまいました。
「あなたの罪は聞き及んでおります。ですが私は見たこともない王都の聖女様よりもエンゾ様のお言葉を信じます」
「あ…ぁ……」
エンゾ様の徳行は、この様な辺境の地まで照らしていたのです。
ああ、私は王都でも辺境でもエンゾ様の庇護に助けられている。
あの方にどれ程の感謝を捧げればよいのでしょう。
あの方にどの様に報いれば恩を返せるのでしょう。
「それに人伝の話よりも、私の前に立つあなたにこそ真実があります」
シスター・ジェルマは私の頬に手を添えて、真っ直ぐ私を見据えた。
「私は目の前にいるミレーヌを信じます」
「う、ぅ…ぁ……ひっく……」
私はシスター・ジェルマの胸に縋り付き嗚咽を漏らしました。彼女は穢れた私の身体を厭わず受け入れて、優しく頭を撫でてくれました。
「ミレーヌにひとかけらの穢れもありません」
「うあぁぁぁぁぁあ!!」
私は叫ぶように声を上げました。
ただひたすらに彼女の胸の中で泣きじゃくりました。
その声も流れる涙も感情も何もかも、胸の内から激しく湧きだすその全てを堰き止められませんでした。
寂しかった?
苦しかった?
痛かった?
辛かった?
理由なんて分かりません。
止め処もなくボロボロと溢れ出す涙をそのままに、私はわんわんと幼女のように声を大にして泣いたのでした……