「おお、蓮子。
よく会うな。
風邪か」
翌日、備品倉庫に行ったら、何故か渚が居た。
くしゃみをしたのを聞きつけ、そう言ってくる。
「昨日、布団もかけずに寝ちゃって。
……それから、『子』はいりません」
子供を産めとか言うのなら、名前くらい覚えてくれ、と思っていた。
「あっ。
こんなところで会うと思ってなかったから、お金、今、持ってませんっ」
と気づいて言うと、
「おお、そうだ。
返せ、千円」
と言ってくるので、
「160円ですよ。
釣り上げないでください」
と訴える。
ぼったくりなうえに、容赦ない取り立てだな、サラ金か、シャイロックか、と思う。
160円払えないのなら、お前の子宮を寄越せって感じだ。
「風邪なら、健康管理室で薬もらってきたらどうだ?
もらってきてやろうか?」
と言い出すので、
「いえ、大丈夫です。
私、薬飲まない主義ですし」
と言うと、それはいいことだな、と言ってくる。
親切なのかもしれないが、今なにを言われても、孕まされようとしているとしか受け取れない。
探しに来たボールペンの箱を手に、
「じゃ、失礼しますっ」
と逃げ出そうとすると、腕をつかまれた。
「な、なんなんですかっ」
っていうか、その顔で近寄らないでっ。
心臓に悪いからっ、と思っていると、
「電話番号」
と手を差し出してくる。
「は?」
「寄越せ、お前の電話番号」
「なんでですか」
「……なんで?」
と睨まれる。
「変わったばかりで覚えてません。
それに、借金の件で連絡を取りたいのなら、貴方の電話番号を教えてくださればいいのでは?」
「お前、かけてくるのか?」
と問われ、かけますともっ、と笑顔を作る。
胡散臭げに見ていた渚だったが、
「よし、教えてやろう。
手を貸せ」
と言い出す。
え? 手? と思っていると、その辺から勝手に油性マジックを取り、蓋を片手で小器用に開けながら、
「貸さないのなら、額に書くぞ」
と言ってくる。
ひいっ、と思いながら、渚につかまれていない方の手を差し出した。
そこに携帯のものらしき番号を書き付けてくる。
「番号、携帯に登録するまで、トイレに行っても手を洗うなよ」
と渚は無茶を言う。
「絶対かけて来いよ。
……絶対だぞっ。
かけて来なかったら、末代まで祟ってやるからな」
とその綺麗な顔で脅すように見下ろしてくる。
いや、あの、貴方の子供を私が産むのなら、呪われるのはその子じゃないですかね、と思ったのだが、恐ろしくて言えなかった。
「非通知と公衆電話、あと、人の携帯からかけてくるなよ」
ひいっ、読まれてるっ。
番号を知られたくないから、そうしようと思っていたのだ。
「あ、あのー、今はお暇ですか?」
と問うと、冷ややかに、
「仕事中に暇なわけないだろ」
と言ってくる。
いや、ごもっとも……。
「どうした?」
「いえ、お暇なら今から一緒に来てくだされば、そんなまどろっこしいことをしなくても、すぐに返せるんですが、160円」
だが、ぼんやり備品倉庫に居たようなのに、いや、忙しい、と拒否してくる。
「お前も帰れ。
それから、しばらく此処には近づくな」
真面目な顔で言う渚に、そういう顔をしていたら、好みでないこともないんだが、と思ってしまった。
なんなんだろう、この人。
産業スパイとか。
此処で、データの受け渡しをしてるとか……。
「違うぞ」
まだなにも言っていないのに、こちらの目を見て、そう言ってくる。
ひいっ。
超能力……
「超能力者でもない」
と先へ先へと読むように渚が言った。
額に指先を当て、小首を傾げるようにして言う。
「何故だろうな。
会ったばかりなのに、お前の考えそうなことがわかるんだよ。
相性がいいのかもな」
……悪いと思います。
「じゃ、じゃあ、失礼しますねっ」
去れと言ってくれているのだから、今がチャンスだ、と後退し、蓮は倉庫のドアを開けた。
「じゃあな、蓮子」
と渚は軽く手を挙げてくる。
なにをしても、いちいち様になる男だ。
確かに産業スパイはないかな、と思う。
目立ってしょうがないから。
だが、その目立つ男を社内で見かけないのも不思議だ。
それから、蓮子の子はいりません……と思いながら、エレベーターまで行ったとき、脇田がエレベーターから降りてきた。
「ああ、秋津さん、ちょうど良かった。
今、総務に行こうと思ってたんだ。
クリアファイル、20枚くれるかな」
と言われたので、
「あ、はい」
と返事をしながら、備品倉庫を振り返っていると、
「どうかしたの?」
と脇田は訊いてくる。
「いえ、この間お金借りた人が備品倉庫に居たので、何処の部署か訊いておこうかと」
そうだ。
それを訊けばよかったのだ、と今、秘書の脇田を見て気がついた。
渚のペースに巻き込まれて、またうっかりしていたようだ。
「でも、大丈夫です」
と言うと、蓮の手に書かれている数字がチラと見えたのか、脇田が問うてきた。
「どうしたの、それ?
電話番号かなにか?」
はは、と笑って、隠すように手を握ると、
「モテるね、秋津さん」
と言ってくる。
いや……モテているのですかね? これは、と思いながら、
「あの、お急ぎですか?
クリアファイル」
と話を誤魔化すように言うと、
「ああ、えっと。
秘書室に持ってきて。
あれ? もしかして、クリアファイル、備品倉庫にあるの?」
と訊いてくるので、
「いえ、上にあります。
秘書室に持っていっておきましょうか」
と言うと、頼むよ、ありがとう、と穏やかな笑顔で言われた。
こういう人だったらどうだったかなーと、ふと思った。
爽やかで人当たりのいい笑顔で、
『僕の子供を産んでみないかい?』
……いや。
そもそも、こういう人は初対面で言わないよな。
しょうもないことを考えてしまった、と思いながら、エレベーターに乗り込むと、まだそこに居た脇田に頭を下げて、扉を閉めた。
渚に部署を聞きそびれたが、まあ、いいだろう。
連絡先も知っているし。
それに、彼とはまた何処かでバッタリ会いそうな悪縁を感じていた。
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