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秘書室、緊張するなあ、と思いながら、蓮は、秘書室のドアを叩いた。
「はーい」
と女性の声がする。
秘書の浦島葉子が顔を覗ける。
いかにも、ヤリ手の秘書、といった感じのキリリとした美女だ。
最初は厳しそうな人だなと思っていたのだが、話してみると、意外に気さくな女性だったので、エレベーターや社食などで会うと話すようになった。
葉子は、蓮より二つ上のようだった。
「あら、蓮ちゃん」
とにこやかに言ってくれる葉子に、
「これ、脇田さんに頼まれたクリアファイルです」
と渡す。
「ああ、ありがとう。
あ、脇田さん。
秋津さんが持ってきてくれましたよ」
と葉子は蓮の後ろを見た。
ちょうど、エレベーターから脇田が降りてくるところだった。
「ありがとう、秋津さん。
そうだ。
あのあと、備品倉庫を覗いてみたけど、誰も居なかったよ」
「えっ?」
「いや、急かしちゃって悪かったねと思って。
僕が何処の部署か訊いてあげようと思ったんだけど、誰も居なかったよ」
「……そ、そうなんですか?」
そういえば、いつも人が居ないところでしか会わないし。
あの男、実はこの会社に憑いてる地縛霊か、座敷童なんじゃ、と思ってしまった。
人の考えを先へ先へと読むしな。
そのわりに私が嫌がっていることは伝わっていないようだが……。
「そうだ。
浦島さんも知りませんか?
私、社食で小銭を借りた男性社員の方を探してるんですけど。
えーと、名字がわからないんですけど、なんとか渚とかって言う」
「渚ねえ。
男の人にしては、珍しい名前だけど。
今どきは、よくある名前なのかな。
でも、居たかしら、そんな社員?」
支社から帰ってきた人とか、技術系の派遣の人とかかしら? と葉子は首を傾げる。
「業者の人とか、仕事で来た他社の人も社食に来るからねえ」
「そうですか」
まあ、それだったらわからないかな、と思いながら、ありがとうございます、と頭を下げて、蓮は秘書室から去った。
向こうから、室長が歩いてくるのが見えたからだ。
この人は、本当に厳しい人なので、ちょっと苦手だ。
エレベーターホールでかち合いそうだったので、階段を歩いて降りた。
仕事終わりに、また社食に行ったが、渚は居なかった。
代わりに、営業の人たちが、珈琲を飲みながら、なにか打ち合わせていたので、軽く頭を下げる。
アイスの自動販売機の前に立ち、どれにしようかな? と悩む。
渚に買ってもらった……いや、金は返せと言われているが……、アイスは、まだ冷凍庫の中だが。
なんだか一日一個、違うアイスを、という決まりが自分の中で出来ているので、なんとなく新しいのを買いに来てしまったのだ。
もし、渚が居たら、お金を返そうかなと思ったのもある。
……なんか、財布持ってるときには現れないな、あの人、と思いながら、階段で一人アイスを食べ、会社を出た。
前の会社じゃ、十時に帰ることもザラだったので、なんだか時間を持て余してしまう。
会社の周りでショッピングをすることにした。
夕日を見ながら、昔は明るいうちに帰ってみたいとか思ってたけど、なんか寂しいもんだな、とぼんやり思う。
お金もないのに、つい服を買ってしまった。
その服の入った無駄に大きな紙袋を手に、会社の近くのコンビニに行くと、熱心にスイーツを眺めている男が居た。
一際大きいので目につく。
脇田だ。
なんだろう。
果物がゴロゴロ入ったゼリーを見てるけど、好きなのかな。
思わず、笑いそうになったとき、脇田が振り向いた。
「あれ? 秋津さん、買い物?」
「はい。
ちょっと暇を持て余して、ウロウロしてたら疲れちゃって。
晩ご飯はコンビニ弁当で済ませちゃおうかと」
と言うと、
「暇なのに?」
と笑われる。
まったくだ。
本末転倒とはこのことだ。
はは、と笑い、弁当を買って、コンビニを出ようとしたとき、ちょうど、他のレジで会計を済ませた脇田が追ってきた。
「そうだ、秋津さん」
と言ったとき、頭の上がふっと暗くなった。
脇田が上を向いて、何かを受け止める。
が、あつっ、と言って、それを離した。
一瞬、手を離れたそれを脇田は受け止めようとしたが、長かったので、端が地面に打ち付けられた。
「いてっ」
「脇田さんっ」
蛍光灯が割れて散らばっている。
お店の若い店員が慌てて駆け出してきた。
「すっ、すみませんっ。
さっき付け替えたんですけど、付け方が甘かったみたいで」
慌てふためいてそう言ってくる、明らかに新米のような若い女の子が可哀想になり、自分のことでもないのに、
「あ、大丈夫で……」
と言いかけたのだが、脇田の掌は切れて、血がダラダラ垂れていた。
「……大丈夫じゃないですね」
とつい、言ってしまう。
「あ、大丈夫、大丈夫」
と明らかに大丈夫でないのに脇田は笑い、そのままハンカチで止血しようとする。
「待ってください。
ガラスが入ってるかもっ」
蓮が叫んだとき、中からおばちゃんの店員さんが出てきた。
仲間というネームプレートをつけている。
女の子にテキパキと指示して、そこを片付けさせ、奥で手当てしてくれた。
いつも思うけど、おばちゃんて凄いなー、と蓮は言われるがままに、救急箱から包帯を取ったりしながら、感心していた。