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「今夜なんだけどさ、結葉はどうしたい?」
沢山の荷物を抱えてアパートに戻ってきて。
それらをリビングの床にドサリと下ろすなり想に世間話でもするみたいに問いかけられて、結葉はキョトンとする。
「一応俺もお前も……その……男と女だろ? お前が俺とひとつ屋根の下で寝んのが不安なら……俺はしばらくの間実家で寝泊まりしても構わねぇと思ってる」
言ったら、結葉が初めてそのことに気づいたように瞳を見開いて真っ赤になった。
「想ちゃ……、私……」
――すっかり失念してた。
小声でそう付け足すなり、ソワソワと想を見詰めてくる結葉の黒目がちの瞳が可愛くて、想は目まいがしそうになる。
結葉も実妹の芹も、想にとっては幼い頃から可愛がってきた守るべき存在だ。
だが、想が芹と結葉に感じる思いは、時折明らかに違っていて、それを実感するたびに、想は密かに戸惑った。
一時は掴めていたその感情の正体を、いまは認知するわけにはいかないと思っている想だ。
自分は結構自制心が強い方だと思っていたけれど、結葉のように見目麗しい女の子から、不意に余り可愛いことをされると、それがぐらつきそうで怖くなる。
そんな不安定な感情を誤魔化すように、「ん?」と努めて平坦な声音で問いかけながら食器類の荷解きを開始したら、結葉が不安そうに視線を揺らめかせて。
「結葉?」
その戸惑いを払拭してやれたらと、手を止めて声を掛けたら、結葉が荷物に載せたままの想の手の甲に、そっと触れてきた。
突然そんなことをされて……。
それじゃなくても落ち着かない思いだった想は、ドキッとしてしまう。
結葉の小さくて華奢な指先は、緊張しているからだろうか。
信じられないくらい冷たく冷え切っていて、触れられた所から氷みたいにひんやりとした感触が伝わってきた。
思わずその手をギュッと握って温めてやりたい衝動に駆られた想だったけれど、それは寸でのところでグッと抑えた。
子供の頃には出来たことが、大人になったら出来ないというのは不便だなと思いながら。
まぁ、どういう状況下にせよ、結葉は人妻だ。下手なことをするわけにはいかない。
「どうした? 寒いか? お前の手ぇ、冷え切ってるぞ?」
結葉が、緊張すると指先が冷たくなるのを、子供の頃からの付き合いで、想は知っている。
だが、あえてそこには触れず、温度のせいか?と含ませたら結葉がふるふると首を横に振った。
帰りの車中だって結葉が寒くないよう結構暖房を強めに効かせて走ったつもりの想だ。
家の中も、雪日のために想がエアコンを付けっ放しにして出たから、そんなに冷え切っていないのは結葉にも分かっているんだろう。
「寒いわけじゃ……ないの」
そこまで言って、とても言いにくそうに口籠る。
想は結葉を安心させるように口の端にほんの少し笑みを浮かべると、
「なぁ結葉。何度も言ってるけどさ。俺に遠慮は無しな?」
言って、ポンポンッと手のひらを弾ませるようにして結葉の頭を撫でてやった。
なるべく意図的に子供の頃にしたような雑な触れ方を心がけながら。
結葉はそんな想に小さくうなずくと、「………ひとりは……怖いの」とか細い声で訴える。
その言葉に、想は雪日のためにホームセンターに行って戻ってきた時の結葉の様子を思い出さずにはいられなかった。
部屋の片隅でひざを抱えて想の帰りを待っていた結葉は、自分が思っていた以上に不安に身を委ねていたのかも知れない。
「偉央さんには……この場所のこと、知られていないのは分かってるつもりなの。だけど……ひとりでいたら、もしかしたらって怖いことばかり考えちゃって……。ごめんなさい……」
そこで足元に視線を落とした結葉に、彼女が自らの足に刻まれた、生々しい傷跡に思いを馳せているのだと悟った想だ。
「バーカ。謝ることねぇだろ? 結葉はそんだけ怖い目に遭ってきたんだ。恥じることも、負い目に感じることもねぇよ」
想の言葉に結葉が不安そうな顔を向けてきて。
想はそれを取り払ってやりたいと思いながら、努めて明るい声で続けた。
「よし! そういうことなら俺もここで結葉と一緒に寝泊まりするわー。――何かさ、小さい頃芹も交えてお互いの家でお泊まり会したの思い出してワクワクすんだけど」
そんなことを言ってククッと笑った想に、結葉が「わぁ〜。懐かしい……」と微笑んでくれて。
想は結葉の笑顔にホッとしながら、「素直でよろしい」と告げて、わざと幼な子をあやすみたいに彼女のサラサラの黒髪を乱暴にかき回した。
そんな想に、当然というべきか。
結葉が「もぉー、想ちゃんっ、髪の毛もつれちゃうっ」と眉根を寄せて。
意地悪く笑いながら「わざとだよ」って舌を出してみせたら、結葉がぷぅっと頬を膨らませた。
結葉が結婚する前には、たまぁ〜にこんなやり取りをしていたっけ、と懐かしく思い出した想だ。
想には、結葉が悲しそうに眉根を寄せたり、申し訳なさそうに視線を伏せたりしているより、今みたいに想のすることに「もう、想ちゃん!」と怒ってくれている方が何倍もマシに思える。
想は結葉の様子にホッと一息つくと、ふと現実的なことを思い出した。
「あー、すっかり忘れてたけど……布団、買ってこなきゃいけねーわ」
実家に戻れば予備の布団ぐらいはあるだろうが、結葉を寝かせるとなると新品のほうが好ましい。
この部屋にある、自分が使っていた布団に結葉を寝かせるのなんて絶対論外だと思ってしまった想だ。
(結葉がくさくなっちまう)
結葉が動くたび、ふわりと漂う彼女の甘い香りが、自分のにおいに侵食されるとか有り得ない。
(昼間に干せてたならまだしも……)
今日はバタバタしていて、そこまで気が回らなかったことを、想は今更のように後悔した。
(ま、干せてたとしてもねぇけどな)
想の言葉に、結葉が「あのっ、でもっ、わざわざ買うとか申し訳ないよ」と顔を曇らせる。
布団を一式買うとなると結構な金額になる。
結葉はそれを心配しているらしい。
ましてや想は、それを結葉に使わせようと思っている。
怒られそうだし、何より結葉が気後れしてしまいそうだから彼女には言えないが、安価な薄い布団を買うつもりなんてさらさらないのだ。
「バーカ。だからってうちにゃー布団、一組しかねぇんだから買うしかねぇだろ。――冬に布団なしはキツイ。どう考えても必要経費だ」
(一緒に寝るわけにゃいかねぇしな)
心の中でそう付け加えた想だったけれど、結葉は納得がいかないみたいにじっと想を見つめてくる。
そうして「うちの……」と言おうとしてキュッと眉根を寄せて口を閉ざしてしまった。
きっと、結葉は、自分の実家に眠っている客用布団のことを思い浮かべたんだろう。
だが、いま実家に布団なんか取りに行ったりしたら、偉央に見つかってしまうかも知れない。
それを思い出して続きが言えなくなってしまったらしい。