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「うぅ……最悪……もう……!」
ティアは、地面に蹲ったまま呻いた。
華麗に着地を決めて、グレンシスに先に逃げてと言うつもりだったのに。
王女に変装する為に履いたピンヒールのせいで、着地に失敗するなんて。最後のツメが甘かった。……まさに、靴だけに、足元をすくわれた。
そんなつまらないことを、ティアは心の中で吐き捨て、言ったそばから、本当につまらなかったと後悔する。
幸いなことに、グギリと嫌な音を立ててあらぬ方に向いた足首だが、折れてはいない。
多分、捻挫だろう。靭帯を損傷しているかもしれないが、折れてなければ大丈夫だ。たぶん。
「ティア、大丈夫か!?」
切羽詰まったグレンシスの声と同時に、勢いよく馬の足が視界に飛び込んで来た。
驚いて顔を上げれば、アジェーリアを腕に抱き込み馬にまたがったまま、こちらを見下ろすグレンシスがいた。
いっそ自分の転んだ無様な姿など、無視して走り去ってくれればいいのに。
ティアは恥ずかしさのあまり、グレンシスを恨みがましい目で見てしまう。
「騎士様、私のことは構わず、王女様を連れて先に逃げてください」
さっきは力づくで訴えを却下したグレンシスだって、この状況ならきっとそうするしかないとわかってくれるだろう。
そうティアは思っていた。確信すらもっていた。なのに───
「この馬鹿野郎っ!!」
返ってきたのは、まさかの罵声だった。
怒髪天を衝いたグレンシスに、ティアは恐ろしさのあまり、声を失ってしまった。
顔面蒼白になったティアを目にしても、グレンシスの勢いは止まらない。
「何が後から追いかけるだっ。ふざけるな!必ず守ると言っただろう!?なぜ、大人しく言うことを聞かないんだっ。あんな危ない真似をするなんて何を考えているんだっ。この馬鹿者!!」
「っ……!そんな……で、でも……」
「やかましい!!」
グレンシスに一喝されたティアは、この騒動で今、一番の恐怖を感じている。
それなのにグレンシスは、アジェーリアに手綱を渡すと、ひらりと馬から降りてティアの前に立つ。
夜目の利かないティアでは、この闇の中、グレンシスがどんな顔をしているのかまではわからない。
でも、絶対に怖い顔をしている。至近距離で、それを喰らうのは、いくらなんでも辛い。
そう思ったティアは、尻もちをついた状態で、ずるずると後退する。
けれどグレンシスは、それを阻止するように、膝を付いてティアに手を伸ばす。
大きな手が無遠慮に近づき、ティアは恐ろしさのあまり、ぎゅっと目をつむってしまった。
「……すまない」
小刻みに震えて怯え切っているティアをこれ以上怖がらせないように、グレンシスは慎重に言葉をかけながら、優しく頬を撫でた。
「っ!?」
予期せぬ展開に、ティアは自分の耳を疑った。
この俺様騎士が、自分に向けてそんな言葉を言うとは思ってもみなかった。ぷるぷると震えていたティアの身体が、今度はびくりと大きく震える。
恐る恐る目を開ければ、グレンシスは、本当に、心から、これ以上ない程、申し訳ない顔をしていた。
そしてティアと目が合えば、さらに眉を下げ、弱りきった表情を浮かべる。
「大声を出してしまって、本当にすまなかった。怖かったか?」
うんと言えるくらいなら、こんなに震えたりはしない。
それに、そんな優しい口調で、気遣うような言葉を掛けないで欲しい。
ティアの唇がわななく。もしかしたら嫌われていないのかもと、うぬぼれてしまう気持ちを必死に押しとどめる。
そのティアの姿をグレンシスは、どんな風に受け止めたのかはわからない。
ただティアを安心させるために、ゆっくりとした口調で説明を続ける。
「反逆者達はあらかた片付けてからここまで来た。それに、待ち伏せされていることに城塞の兵も気付いてくれたようで、すぐに駆けつけてくれた。そろそろ制圧できている頃だ。……だから、もう慌てて逃げる必要はない」
グレンシスの言葉で、ティアはようやっと気付く。
確かについさっきまでここまで聞こえていた、剣と剣がぶつかり合う音も、喧騒も、嘘のように消えていることを。
「連れ去られた王女とお前を無事、救出すれば、この騒ぎは収まるはずだったんだ」
「……そう……なんですか……」
「ああ。そうだ」
グレンシスが複雑な顔をしながら頷いたのを見て、ティアはとても申し訳ない気持ちになってしまった。
自分はただ、グレンシスに対して、足を引っ張り、迷惑をかけてしまっただけだったのだ。
そんなことちゃんと言ってくれなくっちゃわからない。
そんな気持ちはしっかり持っているけれど、やっぱり申し訳ない気持ちの方が勝ってしまう。
「……ごめんなさい」
情けなくて、恥ずかしくて、舌を噛んでしまいたくなる。
震える声でティアがそう謝罪の言葉を紡いだ途端、頬に添えられていたグレンシスの手が、頭に移動した。
「誰が謝れと言った?この馬鹿者」
……この短時間で、自分は何度、この騎士様から馬鹿と言われたのだろうと、ティアはふと思う。
でも、腹を立てる気にはなれなかった。悔しいけれど、グレンシスの言う通り、自分は大バカ者だった。
ただ、そんな大バカ者に、こんな優しくするグレンシスは、もっと大バカ者だと、ティアは可愛げのないことを思う。
一方、グレンシスの手は、ティアの頭から足首へと移動しようとしていた。
「足を捻ったようだな。見せてみろ。痛むか?」
「いえ、あの……大したことはないので、大丈夫です」
そうティアが拒んだ途端、グレンシスの眉がぴくりと撥ねた。この期に及んでまだそんなことを言うのか。と言いたげに。
でも捻った足は、暴れる心臓に、意識も痛覚も全部持っていかれて、今は本当に痛くない。
それより、ちょっと離れて欲しい。お願いだから、距離を取って欲しい。
そうティアが必死に心の中で懇願しているというのに、無情にもグレンシスの元には届かない。
「大したことがあるかないかは、俺が見てから決める。ほら、足を出せ」
こんなときでも横柄な口調でそんなことを言うグレンシスに、ティアは俯いたまま首を横に振る。
けれど、ふと強い視線を感じて、そこに目を向ける。
向けた先には、馬上からこの一連の出来事を静かに見守っていたアジェーリアがいた。
なぜか暗闇でもわかるほどに何とも言えない表情をして。
「……アジェーリアさま。あの……お怪我はございませんか?」
おずおずとティアが問いかければ、アジェーリアは肩をすくめて口を開く。
「大事ない。それよりもティア、グレンシスの手当から逃れる為に、わらわに話しかけるとは良い度胸をしておるな。じゃがな、ティア。聞いた相手が悪い。わらわも相当、怒っておるぞ」
「……っ!そんなぁ……」
まさかここで、アジェーリアから突き放されるとは思ってなかったティアは、ぶるりと身を震わす。
けれどグレンシス同様、アジェーリアも容赦なくティアに向かって言葉を続ける。
「そなたに怪我を負わせ、わらわがどんな気持ちになるかわかっておらぬようじゃな。この馬鹿ものめ。……心配かけるな。肝が冷えたぞ」
ティアは今、自分がどんな顔をしていいのか、わからなかった。
そんなふうに、心配する気持ちから怒られたことなんて、ずっとずっと昔のことだったから。
「……ごめんなさい」
一先ず、謝罪の言葉を紡いでみる。
謝ってみて、なんだか違うなとティアは思うけれど、何が正解かがわからない。
「ティア、こういう時はありがとうと言うのじゃ。ほれ、何をぼけっとしておるのじゃ。駄々をこねずに、さっさとグレンシスに手当てをしてもらえ」
ぞんざいに言い捨てたアジェーリアの表情は、少し意地が悪く、でもとても慈愛に満ちたものだった。