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東の空が白む。
深夜勤務のタクシーが次々と帰庫し、ドライバーたちは各々のタクシーの洗車や昨夜の売上金を2階の事務所で精算し始めた。
(・・・・おい、西村が《《また》》何かやらかしたみたいだな)
(俺らが出庫する時)
(あぁ、血相変えて出て行きやがった)
平面駐車場には複数台の|捜査車両《覆面パトカー》が並び、通常ならとうの昔に退勤している筈の佐々木次長が配車室で腕組みをしている。
深夜勤務のドライバーたちはその姿に声を|顰《ひそ》め訝しげに窺った。
そんな北陸交通本社配車室では刑事や配車室職員、佐々木次長が沈痛な面持ちで130号車のGPS情報を眺めている。
「佐々木次長」
「動いていません」
「130号車のGPS情報がこちらに届いていない、ということですか?」
「届いています。130号車はこの場所に停車していると思われます」
「停車、何処で」
「内川地区の山中としか」
「この辺りに道路は」
「現地に行ってみない事には分かりません」
「そうですか」
「はい」
「ご協力、ありがとうございました」
130号車から発信されるGPS情報は鬱蒼と茂る杉林の奥で停止してしまった。石川県警通司令本部からは全捜査車両ならびにパトカーへ、金沢市犀川上流、民家も疎な内川地区へ急行、現場捜索に取り掛かる旨の指示が出された。
その頃、久我警視正が運転する捜査車両は130号車が右折したバス停を通り過ぎ、さらにその先の先、内川ダム湖に到着した所で無線連絡を受けた。竹村はマイクを元の位置に戻し乍ら久我を見上げた。
「なんだ、内川ダムじゃぁなかったのか?」」
「そのようですね」
「内川地区ったって、山ばっかりじゃねぇか」
久我はシフトレバーをドライブに落とし、アクセルを踏み込んだ。
プルルルルルル プルルルルルル
その時、久我の携帯電話が鳴った。
「おい、携帯、鳴ってるぞ」
「はい」
「どこに入ってる」
「ジャケットの左のポケットです」
「触るぞ、覚悟は良いか」
「何の覚悟ですか」
竹村が久我の携帯電話を開くと”西村裕人”の名前が目に飛び込んで来た。慌てて画面を運転席側に向ける。
「おい、こりゃあ西村からだぞ!」
「竹村さん、対応お願いします!」
スピーカーをオンにしてボタンを押すと、西村の悲痛な声が響いてきた。
「く、久我さん!」
「竹村だ、どうした!!」
「竹村さん!助けて下さい!朱音が、朱音に殺され、殺されます!」
「何処に居る。俺らは内川ダムに居る。何処にいる」
竹村は周囲の杉の木立を見渡し、タクシーのヘッドライトの在処を探した。
「お前は今、何処に居るんだ!」
「坪野キャンプ場です」
「坪野ぉ?内川じゃねぇのか」
「坪野キャンプ場と看板に書いてありました!」
久我と竹村は顔を見合わせた。坪野キャンプ場は既に閉鎖され、整地された区域は今では大型遊具を中心に子どもの広場なるものに変貌を遂げている。
「西村、その場所にどでかい滑り台とかアスレチック遊具とかあるか?」
「な、無いです!」
「周りに何がある!」
「わ、分かりませんが、今、ロッジの中に居ます!近くに川があります!」
「分かった、携帯電話のバッテリーはどれくらい残ってる」
「半分くらい、半分くらいです」
「今すぐ向かう」
「はい!」
「じゃぁ、切るぞ。また連絡する、何かあればいつでも連絡して来い」
「は、はい!」
竹村、久我移動局からの一報を受け、石川県警通司令本部からは全捜査車両ならびにパトカーへ、金沢市|伏見川《ふしみがわ》上流、|事比羅《ことひら》神社から分け入った(旧)坪野キャンプ場に急行するよう指示が出された。
坪野町は現在捜査車両が集結している内川地区のひとつ山向こう、真逆の方向だった。
「間に合えばいいがな」
「そうですね。」
携帯電話の通話ボタンを切った西村と智は部屋の隅で膝を抱え、《《あの》》窓の隙間から朱音の碧眼の目が覗くのではないか、《《この》》玄関のドアを蹴破ってアイスピックを振り回すのではないかと寒さと恐怖に震えながら、窓と食器棚との隙間、玄関ドアを交互に凝視していた。
「あ、あの子、死んだの?」
「わ、わかんねぇ」
「死んだの?」
「わかんねぇよ!」
耳を澄ませると左奥に川のせせらぎが聞こえ、杉の木立が頭上でザワザワと揺れる音がする。この玄関先の階段でピクリとも動かなかった朱音の衣擦れの気配は、無い。
やはり蹴り倒したあの時に頭の打ち所が悪くて死んでしまったのだろうか。西村の脳裏には自身が殺人犯として新聞紙に載り、ニュースで報道される様が浮かんでは消えた。
(いや、あれは正当防衛だ。大丈夫、問題ない、問題ない)
竹村警部が「今すぐ向かう。」そう言って携帯電話の通話ボタンを切ってからどれ程の時間が経っただろうか。真っ暗な部屋から見上げた窓の隙間が濃紺から紺へと色を変え、仄かに青みを帯びて来た。羽音とカラスの鳴き声が遠くで木霊し始める。
カァカァカァカァ
カァカァカァカァ
「ひ、裕人」
「あ、ああ。朝だ。もうすぐ夜が明ける」
「助かったの」
「わ、わかんねぇ、警察が来るまで待とう」
「う、うん」
ピーポーピーポーピーポーピーポー
「あ!」
西村は智の肩を抱きホッと胸を撫で下ろした。長かった恐怖の一夜が明ける。