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学校は予想していた通りに紗季が1人でに悩んでそれを図ろうとしただけであって学校側は何も関係ないみたいなことを校長を中心に話していたのをテレビで見た。SNSが発達してる現代の世の中だから良くも悪くも色々な情報が手に入る。それはグローバル化とか情報化が鍵になってるからだろう。ネット上では当然のごとく学校側を激しく非難した。正直私も紗季がなぜこうなったのかを知らない。もしかしたら校長らが語ったように学校外での出来事かもしれない。わからないのだ。わからないけど私を含むみんなは学校を責めている。なぜこれが起きてこのような事態を招いたのかを知る者は紗季自身しかわからない。けれど私たちは紗季という1人の未熟な人間を助けてあげようそういう感覚に陥っている。弱いものはいじめるのではなく助けるべきだ。そういう考えをしている時点で私には正義感がないと実感した。けれどネット民は違っていた紗季という人物の自殺を図るという行為を馬鹿にしていたり、見ず知らずの人にも関わらず好き放題つぶやいたりしていた。しかもそれが自分なりの正義であるという人も現れた。
(困っている人がいるならば助けなければならない)この考えは私にも確かにある。
(困っている人がいるならばその人は被害者であるから助けなければならない)という妄想思考も正直私の中にもある。けれどこれが成り立たないのは知っている。けど、そうやって判断してしまうのは人間の性なのか私の思い込みなのかよくわからないけど弱さな気がする。
でも(困っている人がいたのならば証拠が出ていない状態でも容疑者らしい人を責めてもいい)この考えだけは私の倫理観にない。人間の性格や顔つきに個人差があるように理念や正義も個人差がある。それでも私はこの考え方にだけは納得できなかった。それは魔女狩りの容疑をかけられ濡れ衣を着させられた人たちを私はテレビで見たことがあってそれが原因で精神を病んだり、亡くなったりしている人がいることを少なからず私は知っていたから。かわいそう。そんな言葉では言い表せれないぐらい胸が詰まった。私が知っているのだから私より長く生きているネット上に書き込みをした人たちも当然知っているであろうことなのにどうしてそんな倫理観を抱くのか当時の私には何もわからなかった。純粋でそして正義感で満ちていたのであろう。
世の闇を知らないままで生きてみたかった、、
私はこの一件を元に精神は少しづつ壊れ始めていたのかもしれない。
小学六年生に進級したとき初めて心機一転できると思っていた。けれどそれは甘い考えであったことにすぐに気づいた。テレビの特集かなんかで紗季がなぜ自殺を図ろうとしたのか考えてみよう的なものがテレビで流れる。そのために紗季がどういう子であったか次々と質問にくる。校長や先生たちは毎回のごとく誹謗中傷を浴びせられて退職する先生も出てきた。その先生は誰を恨んでいるんだろう?今回の原因となった紗季?それともここまで追い込んだネット民?それとも…
誰かが言っていた『助け合い』というのは実は存在しないのかもしれない。一方的に自分の都合がいいように他人に協力を申し込む。一部の人が傷ついても大勢の人が楽しめたり、今回の場合のように視聴率を上げれたりするならばそれはそれでいいと考えている。私はまるで夢から覚めたみたいにそして今見ている現が私の10倍20倍も漆黒に染まっていた。
冷蔵庫に閉じ込められたみたいだ。
絶対に中に入ってしまったら外には出れれない。毎日冷たい風を浴びてそれでも生きなければならない。この世こそ地獄なのではないかそう思うようになった。紗季もこういう考えに至ったのかもしれない。もしそうなら、あたかも学校が悪いと誹謗中傷をした人は悪なのか?その影響を受けた先生たちは…?
算数の問題にも国語の問題にもそれなりの答えがある。解き方や公式みたいなものも存在する。けれど道徳という授業には正解がない。それは一つの魅力ではある。何をどう答えても全て正解であるし、個性が現れるから。けど答えがないっていうことが1番の利点であり1番の欠点である。確かに道徳に答えがあるということは個性を殺すのと同じことだ。
けれど答えがないというのは.. 私にとって恐ろしさを覚えた。
テレビの取材も終わり心機一転できたのは夏休みに入ってからだった。もっと違う世界線があったなら迷わず私はその世界にのめり込むだろう。それほど私にとっては体験しなくてもよかった絶望感や憤怒がある。
夏休みも私にとっては辛かった。
『〇〇小学校出身の人だよね?』
『こいつが自殺まで追い込んだんじゃね?』
『紗季ちゃんどんな子だった?』
根も歯もない偏見に満ちた罵声を浴びせられたり、忘れたい過去を強制的に思い出させてくるこんな拷問は私を疲弊させた。けれどそれを心配した両親たちはいつも私の味方でいてくれた。それが心の支えになっていることを知っていたはずだったのに…
そして月日はたちいよいよ卒業式の日が来た。 『いよいよ』というより『ようやく』といった方が適切かもしれない。
私は退屈な日常を確かに送っていた。けれどその裏には楽しさや嬉しさも確かに思い出として残っていた。だからこそ卒業式だけは良いものにしたいと思っていた。『ようやく』来た卒業式であっても私は生きてきた証になると思えてきて自分を誇りに思った。
『鈴木美玲』
私の名前を担任に呼ばれて私は元気よく返事をしたその時だった (第3話に続く)