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朝靄が街を覆っていた。 イルダの街並みはいつもより静まり返り、通りには誰もいない。
霧の向こうに灰色の塔がかすみ、崩れた屋根の影が地面を斑に染めている。
その塔の裏手。
アーチがひしゃげ、地下へと続く階段が口を開けていた。
吹き上げる冷気はまるで息をしているかのようで、
ハレルは背筋をすくめた。
「ここが……記録庁の本棟跡?」
「ええ。塔は“表層”に過ぎない。」
セラが指先をかざす。透明なバリアが火花を散らし、粉のように崩れた。
「真の記録は、この地下に封じられているの。」
石段を下りるたび、空気は重く冷たくなっていく。
壁を伝う水の音、遠くで鉄の軋む音。
足元に散らばるのは古びた端末の残骸――そして焼け焦げた記録カード。
「……これ、相当古い型だな」
リオがしゃがみこみ、破片を拾い上げる。
「記録ハッシュが改竄されてる。塔の映像を作るとき、ここをコピーしたな。」
「つまり――塔の事件は、ここを舞台化した“偽装”だった。」
セラの言葉に、ハレルの胸が跳ねた。
(じゃあ、僕らが見た血や悲鳴は……全部再現データ?)
“あの瞬間”が嘘で構成されていたという現実に、胃の奥が冷たくなる。
「中枢へのアクセスは?」
「封印コードが三重。解析に少し時間を。」
セラが床に手を触れると、青い光の線が放射状に走った。
壁の機械がうなりを上げ、停止していた照明が一つ、また一つと点く。
白い光が廊下を照らすと、そこに刻まれた無数の数式と文字列が浮かび上がる。
ハレルは思わず息をのんだ。
「……全部、“記録の骨格”か」
「この施設は、世界そのものを観測するための試験区画。
塔の事件もここから送信された“映像データ”を基に構築されていた。」
セラの声が微かに震えていた。
「改竄官たちは、真実を書き換え、偽りの世界を“正規記録”として登録したのよ。」
ハレルはリオを見た。
彼の目は暗く光り、奥底で怒りが燃えていた。
「柏木先生を殺したのは内部の改竄官。そして俺を犯人に仕立てたのも……同じ連中だ。」
「……なぜ、そこまでして?」
「記録を守るためだろう。いや、“守る”という名の支配だ。」
風が一瞬止み、奥の鉄扉が軋んだ。
セラが扉の中央に指を触れる。
封印の光が走り、ハレルのネックレスが共鳴した。
カチリ、と硬い音が響き、扉が静かに開く。
奥の部屋は薄明かるく、静寂が支配していた。
祭壇のような台座に水晶装置が安置され、
その表面には“記録波形”が脈動している。
壁の中には旧式の端末が何十も埋め込まれ、
どれも沈黙したままかすかに光を放っていた。
「ここが――“原記録層”。
この世界の根幹データが眠る場所。」
セラの声は祈りのように響いた。
リオが装置に手をかざす。
その瞬間、空間がわずかに歪み、壁面に幻影のような映像が浮かび上がった。
古びた書架。机に座る柏木――いや、アルディア大臣。
背後に、フードをかぶった影。
影の手が端末をかざすと、画面が一斉にノイズで塗り潰された。
「まさか……一ノ瀬、お前じゃ――」
「違う。」リオの声が鋭く響く。
「その時間、俺は結界塔の修復任務にいた。
だが“記録”では、俺が現場にいたことにされていた。」
ハレルは静かにうなずいた。
「つまり、記録そのものが偽装されてる。
犯人は“記録を操作できる者”――」
セラが口を開いた。
「観測庁の中枢にいた“改竄官”たち。彼らなら可能ね。」
リオの拳が震えた。
「なら、真犯人は……まだこの地下のどこかにいるかもしれない。」
その時、天井の照明が一斉に点滅した。
機械の低音が鳴り、どこか遠くで鐘のような音が響く。
セラが顔を上げた。
「アクセス反応……誰かが、外部からこの層に侵入してる。」
「外部? まだ観測庁に生き残りが?」
「いいえ……この波形、まるで“別の世界”からの干渉。」
ハレルの胸のネックレスが脈打った。
光が広がり、壁の文字列が淡く反転していく。
(……誰だ? この信号は……)
リオが剣を抜いた。
「行くぞ、ハレル。ここで終わらせる。」
ハレルは深く息を吸った。
――真実は、ここで繋がるのかもしれない。