僕の記憶は6歳頃まで飛ぶ。
どうやら引っ越したらしい。
引っ越した場所はマンションで
以前のアパートとは比べ物に
ならないくらい広く綺麗だった。
僕は近くの小学校に通う事になった。
小学生になった僕は学校の宿題もせずに
学校から帰ってからは友達と
暗くなるまで遊んでいた
良く両親に怒られていた。
僕が小学生になってから良く両親が
喧嘩をしていた事を覚えている。
父はどうやら短気だった様で物や
母に当たっていた、母が泣いていた所を何度か
目にした事があった。
いつも謝る時は母からだった。
当時7歳だった僕には不思議な事が1つあった
手首に何かで切られた後があったのだ。
だがその事を両親に聞くのはもっと後の話だ
記憶が飛び9歳の夏に僕は入院した。
どうやらおたふく風邪の後に
髄膜炎になったみたいだ。
テレビの音や歩く度頭が痛く
車椅子で移動していた事を覚えている。
父がお見舞いに暇だろうから
ラジコンの赤い車を買って
持ってきてくれた。
僕からしたら凄く優しい父親だった。
退院したのは夏休みの終わりくらいだった
同時期の12月三人目の兄弟が生まれた
弟だ、弟は凄く可愛かった。
良く友達が家に遊びに来て弟と
じゃれついているのを見て
僕は少し嫉妬をしていた。
その頃から両親の喧嘩が日に日に増えて行った
僕は夜眠れなくて寝たふりをして二人の話を
盗み聞きしていた。
僕が5年生の2学期後半だったある日の夜
何かが割れる音がして目を
ゆっくり恐る恐る開けた。
僕の頭の上には豚の貯金箱が
無惨にも粉々に割れていた
母が辞めて子供達が起きるからと言っていた。
そこからはいつ寝たのか覚えていない
起きたら朝父は仕事に行ったみたいで
母は荷物をまとめている。
学校から帰ると
僕ら兄弟は何も聞かされないまま
車に乗せられ母の実家に連れて行かれた。
信号待ちの時に母に抱きしめられた。
ごめんなさいと僕は理解が出来なかった
だが実家に着き叔母が迎えに出て来てくれて
今日からここが自分の家だと思って
遠慮なく過ごしてねと言われた。
僕はこの時初めて理解した。
小学6年生になるまでは母が学校まで
車で送り迎えをしてくれた。
学校に許可を取ったみたいで
僕はガラケーを持たされていた。
授業が終わると学校のグラウンドで友達と
母が迎えに来るまで遊んでいた。
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