なお、もっと即物的なことを言うと、この狼を売手市場に出した場合、それは驚くべき通り値(ね)が付くそうな。
頑丈な牙は諸々の道具に加工され、特大の骨格は建物を支える形鋼(けいこう)の類(たぐい)に利用される。
何とも逞(たくま)しい話ではあるが、こうした世の中の趨勢(すうせい)にこそ、人間の賢さ、それに狡猾さが、一緒くたに詰め込まれているような気がしてならないのである。
「舟に乗りてぇんなら、もそっと堅実に生きりゃいいのにね?」
「ん、そだね」
しかし、これもまた面白い図式ではあるだろう。
事を成し遂げた者のうち、ある者は途方もない金持ちに。 ある者は、晴れて天にのぼる道を得る。
もはや、どちらが善い悪いの話ではない。
ただ、この期(ご)に及んだ世界の有様(ありさま)は、哀しくあり、また愉快でもあった。
「けどなぁ……」
近場の席で頻(しき)りに談義する若者らの内、片方が盛大に息をついた。
気が乗らないのは当然だ。 彼の知人が持ちかけたものは、単に割りの良いバイトの話ではなく。 命懸けの修羅場に同道せよという無法なものだった。
「狩(や)ろうぜ! 狼!」
「マジで? いや……、うーん」
いつまで経っても煮え切らない連れの態度に、片や鼻息の荒い男性はいよいよ痺れを切らしたようだった。
たちまち椅子を蹴るかと思いきや、どうやら事情が違う。
ニヤリと含み笑いを加えた後、まるで奥の手など奮発するような素振りで捲し立てた。
「リースちゃん! リースちゃんだぞリースちゃん!」
「は?」
「リース・アダムズ! ほら、有名な」
「知ってる。 ってか、こないだサイン本を」
「この街に来てるって」
途端、椅子を大きく鳴らした若者が、“ぎゃあ!”とも“げぇ!”ともつかず奇声を発した。
じつに目を引く行為だが、店内の活況も手伝って、これに注目する者は皆無だった。
「こうしちゃ居らんねえ! 武器! 武器武器!!」などと、続けて彼は錯乱したように吼え立てた。
この勢いに圧倒されて、焚き付けた本人は今やポカンと呆気をさらしている。
形勢逆転もここまで来れば清々しいが、しかし彼をここまで駆り立てるものとは果たして。
「はい。 おまちどお」
「来た! やっと来た!」
「お?」
一入(ひとしお)の好奇心に駆られた葛葉だが、特に立ち入って問うような場面でもなく。
折しも、愛想笑いを絵に描いたような店員が注文の品を届けてくれた。
これに気を取られる間に、かの二名は取る物も取りあえず、慌ただしく席を立ってしまった。
何のことはない昼下がりの一幕だったが、ともかく両名は心静かに、本日の昼食にありつく運びとなった。
店を後にした葛葉は、満足そうに楊枝を使う童(わらべ)の手を引いて、気の向くままに通りを逍遙(しょうよう)した。
混み合う街路をゆったりと行き、気になる露店を冷やかして歩く。
「いいね。 おみやげにでも。 なぁ?」
「………………」
「寝てる? 食ったら寝るって子どもかよ」
「………………」
「あ、子どもか」
腰部に意識を払い、苦笑いを施(ほどこ)す。
相棒がおネムの折(お)りは、話し相手を得られず殊(こと)のほか寂しいものだった。 もっとも、これはふたり旅の性(さが)なので仕様がない。
ふと空を見ると、コミカルなペインティングをあしらった飛行船が、ゆったりと高層群の狭間を渡ってゆくのが見えた。
あれは果たしてどこへ向かうものかと考えると、なんとも言えない憂色が、胸の中ほどにふつふつと湧いた。
風の吹くまま、気の向くまま。 かの舳先をわが身に照らしたりはしないが、風が止んだ時、あの船はいったいどうなるのか。
ふと、そんな取るに足りない考えが浮かんだ。
その時である。
「えーっ! 無いの!?」
周囲の喧騒にも紛(まぎ)れぬ上声(うわごえ)が、人混の垣根を越えて葛葉の小耳を打った。
見ると、武事の品々を扱う露店の前に小柄な娘がいる。
何やら、店主と押し問答をしているようだった。