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遊女たちが次々と裏口から避難していく中、蓬はひとり、奥座敷へと走っていた。
炎の光が障子に揺れ、香の匂いに混じって、焼けた木と布の匂いが鼻をつく。
淡雪花魁の部屋へ辿り着いたとき、彼女はすでに支度を整えていた。
淡雪花魁︰「……よもちゃん。」
微笑んだその目は、どこか懐かしげで、どこか寂しげだった。
蓬が駆け寄るよりも早く、花魁の白い手が、ふわりと蓬を抱きしめた。
淡雪花魁︰「よもちゃん、この先……どんなにつらいことがあっても、逃げずに頑張ってね。女はね、強さが大事なの。」
蓬︰「……!」
淡雪花魁︰「ありがとう。ほんとうに。」
そう言うと、懐から一つのかんざしを取り出した。
深い藍色に透き通る、青い鬼灯《ほおずき》のかんざしだった。
そっと、蓬の乱れた髪にそれを差し込む。
淡雪花魁︰「これは……私のお守りよ。今度は、あなたを守ってくれる。」
蓬︰「花魁……」
淡雪花魁︰「まだ、時雨がいるはずよ。あの子も、強くなれる“何か”をきっとくれる。」
名残惜しそうに、しかし決意を込めた目で蓬を見つめると、淡雪花魁は自ら歩き出し、無事に逃げていった。
ーーしかし。
廊下を駆けていく途中、蓬の足が止まった。
焦げた空気の中、ふと感じた違和感——。
蓬︰「……時雨姐さんが、まだって……!」
襖を開けた先は、すでに天井が崩れかけている一室だった。
赤く染まる空間に、静かに立っていたのは——
金木犀の着物を身に纏った、時雨姐さん。
その姿はあまりにも凛として、美しく、どこか決別の覚悟に満ちていた。
蓬︰「……早く逃げてください。」
冷静に、感情を押し殺して告げる。
だが、時雨は微笑んだまま首を横に振った。
時雨︰「……この場所を爆破したのは私よ。」
蓬︰「……!?」
時雨︰「爆香を撒いたのは、あの男——悪主。でも、予定よりも2時間早く爆破させたのは私。あなたたち忍びが追っているあの男が、二度とここに戻ってこられないようにするために。」
蓬︰「……なぜ……」
時雨︰「あの人は、ここに通いながら、女たちの命を試薬代わりにしていた。私は見抜いていた。でも、表に出せなかった。」
炎が、柱を蝕み始める。
時雨︰「私が動いた以上、あの男は私を恨み、狙うでしょう。……だから、私を囮にしなさい。」
蓬︰「それでも……!」
時雨︰「もう分かってるでしょう?……あなたたちが“忍び”だってこと。初めから気づいていたの。……蓬。」
一瞬、初めて名前で呼ばれた気がした。
金木犀の着物が、炎に照らされて黄金色に揺れる。
その姿は、まるで散り際を選んだ花のように美しかった。
蓬子はもう、それ以上言葉を返すことができなかった。
彼女の決意は、何者にも崩せない。
そう——忍びである自分に、誰よりも似ていた。
蓬は背を向けて走り出した。
金木犀の香りが、炎の中に残る。
——時雨姐さん。
その名を、蓬は胸の中でそっと、深く刻んだ。
燃え盛る遊郭を背にして、森の中へと一同は駆け込んだ。
炎に照らされた空が、まだ赤々と染まっていた。
蓬:「……時雨姐さんは、きっと囮になってくれた。あの人なりのやり方で。」
浦風:「ああ。そう遠くないうちに、奴らは追ってくる。……覚悟はいいか?」
団蔵:「うん!蓬さん、絶対に負けない!」
三治郎:「ぼくも、がんばる。すごく怖いけど……逃げない。」
蓬はふっと笑って、二人の弟分に目を向けた。
蓬:「大丈夫。あたしたち、ちゃんと準備してきた。今まで通り、息を合わせれば負けない。」
食満:「合流地点はこの先の小尾根だ。見張り組はそこで布陣。攻撃隊は森の北側へ回るぞ。」
タカ丸:「香の痕跡は、まだ森の入口に残ってる。やつらは確実にこっちに来るよ……!」
三治郎:「香が残ってるってことは……その、悪主、もうすぐそこに……?」
団蔵:「わからない。」
蓬:「落ち着いて。三治郎、怖いのは当然。でも、その分、周りがよく見える。あなたの気付きは、みんなを守るから。」
三治郎:「……うん。がんばる。」
こうして、仲間たちは森の中へ潜伏した。
追っ手は必ず来る——それが悪主であれ、配下であれ。
今度こそ、決着をつけるために。
蓬(心の声):(時雨姐さん……あなたが命懸けでつないだ時間。無駄にはしない。)
つづく