テラーノベル
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まだ空が暗いうちから俺の一日は始まる。
井戸から水を汲んで、顔を洗い、身支度をする。外に出たら一番に鳥に餌をあげて卵を回収する。前日に出た野菜の屑と卵の殻を混ぜて肥料を作る。
火を起こして、大鍋いっぱいにスープを作って煮込む。その間に掃除を済ませて……
とにかく朝は大忙しだ。
作った肥料を袋に入れていたら、バサっと顔の前に下りてきた髪が邪魔で耳にかけた。
そこでふと気がついて手が止まり、部屋に飾ってある鏡を見た。
「うわぁ、ずいぶん伸びたな……、もう肩につきそうだ。ここに来て半年経つからなぁ」
鏡の中にはさすがにもう見慣れた顔が映っていた。
長い銀色の髪に、切長の目には目の覚めるような濃いブルーの瞳が浮かんでいる。
色白の肌は毎日たっぷり日を浴びているはずなのに、少しも焼けることがない。
テンペランスは、もともと皇子の婚約者で悪役令息役だ。主人公のジョリが太陽のように明るく可愛いと称されるなら、テンペランスは月の女神のように美しい男だ。
俺の印象としては、気位が高いので笑いの表情筋が死んでいて、悪役令息らしくキツイ目をした美人という感じだった。
そんな男が今ではボロを着て泥だらけになって暮らしているのだから、誰も想像できないだろう。
俺が憑依してからは、それなりにシナリオに沿って冷淡な男を演じてきたつもりだったが、この田舎の地に来てからはもうそんな必要もなくなった。
「ランちゃん! おはようー!」
田舎の家、というのは基本ドアを閉める習慣がない。
ノックして許可を得てからドアを開けるという、今までの習慣はぶっ飛んでしまった。
基本、開けっ放しで、誰でもウェルカム。
そもそも泥棒なんて来ないし、村の住人はどの家も好き勝手出入りしていいようになっている。
近所の子供達が自宅のように勝手に入ってくる、なんてのも日常茶飯事だ。
鏡の前でぼけっと突っ立っていたから、元気な声にやっと気がついて、俺も元気よく振り返った。
「おはよう、ロキ、ソニア。朝から元気だなぁ」
「ランちゃんー、見て見て、こんなにたくさん摘めたんだよ」
籠いっぱいの野いちごを持って部屋に入ってきたのは、近所に住む子供のロキとソニア、二人とも黒髪に黒目でよく似ているが、十歳と九歳、一才違いの兄妹だ。
この村に来て、最初は村人達に警戒されたが、一番最初に話しかけてきてくれて仲良くなった子供達だった。
「朝から山に摘みに行ったのか、すごいなぁ大量だ。マレーヌさん喜ぶぞ」
へへっと言いながら、二人とも鼻の頭を赤くして得意げに笑った。
「いい匂い、芋のスープ?」
「そうだよ。今日は礼拝日だから、来てくれた人に配るやつね。……今、味見をしてくれる人を募ってるんだけど、君たちどうかな?」
「はーい! 味見係りになります」
二人して身を乗り出して手を上げてくれたので、あまりに可愛くてクスクスと笑ってしまった。
俺の村での生活は、基本的にはのんびりスローライフではある。
だが、村というのは一人でのんびり暮らす、というより、それぞれが大きな家族のように助け合って暮らす場所だった。
育てた作物、料理や調味料まで、渡し合って、貸し借りして、困った時は助け合うのが当たり前、村意識が強いので、余所者には厳しいところがある。
始めは慣れなくて戸惑って、冷たくされて落ち込んだり、という日々だったが、半年もすればやっと認めてくれて、なんとか暮らしにも馴染むことができた。
村の人が受け入れてくれたのは、俺のここでの役割も大きいだろう。
この世界の人間は、世界を作ったとされる太陽神テラと、人を作ったとされる月神ルナを崇めている。
新教と呼ばれていて、皇族から平民まで全員が熱心に信仰している。
やることと言えば、毎日、テラ神とルナ神に祈りを捧げて、帝国の平和と繁栄を願うというシンプルなものだ。
帝都には教皇庁があり、そこから帝国の隅々まで神父が派遣されている。
この辺境ど田舎村にも小さな教会があって、そこに神父がいる。
俺のここでの仕事は、新教に祈りを捧げて、神父の世話人として身の回りの世話をすることだった。
正直皇帝がどうなろうと知ったことではないが、この平和が脅かされるのは困る。
そして、ここの環境に馴染むには、熱心な信仰心を持っていることが第一条件であるので、俺は喜んで世話人の仕事を引き受けた。
おかげで村の人にも顔を覚えてもらって、早く馴染むことができたと思う。
「美味しかったぁー、これ、絶対争奪戦になるよ。その鍋いっぱい食べたいよ」
「はははっ、鍋ごとは腹を壊すよ。ありがとう、ロキ、ソニア」
茶碗一杯のスープをペロリと完食した二人は、満足そうにお腹を押さえていた。
頭を撫でてあげると、頬が赤くなって可愛いなと思ってしまった。
「ランちゃん、さっき、真剣な顔で立っていたけど、何か悩みごと?」
「え? ああ、髪がね、だいぶ伸びたから切ろうかなって。作業の邪魔で……」
「だめだよ! ランちゃんの髪は、銀の糸のように綺麗なのに! もったいない!」
さすが女の子だけあって、ソニアの言うことは可愛らしい。ありがとうと笑ったら、横からロキもぎゅっと腕を掴んできた。
「僕もそう思う! こんなに綺麗な髪を切るなんて! 長く伸ばそうよ。僕が毎日とかしてあげるから」
「いやぁ……長いと邪魔だし」
なんで田舎暮らしをしながら貴族令嬢のように髪のお手入れをしないといけないのか。
無理無理と思っていたら、目の前の兄妹は同じように頬を膨らませてムッとした顔をしていたので、まぁしばらくそのままでもいいかと笑って誤魔化した。
出来上がったスープを持っていつものように教会に向かうと、道すがらおはようと声をかけられた。
鍋を抱えていて両手が使えないので、とびきりの笑顔で挨拶すると、みんな手を振って笑い返してくれた。
一人で誰とも喋らずに暮らすことをイメージしていたので、想像とはずいぶん違ってしまったが、悪くないなと思っていた。
「おはようございます。エパヌイ神父」
「おおっ、ランか。おはよう」
村外れにある石造りの小さな教会。
数人で満席になる狭い礼拝堂と、その奥に神父の住居、といっても粗末なベッドと机だけが置かれた小さな部屋があるのみ。
その部屋の机にスープを置くと、何やら木の椅子に立って、高い位置のものを取ろうとしている神父に気がつき慌てて近づいた。
「大丈夫ですか? 俺が取りますから、そこから降りてください」
「ゴホッ、悪いね。少し喉が痛くてね。薬草箱が戸棚の奥にあるから……」
「分かりました。そういうことは全部俺がやりますから、危ないですからベッドに座っていてください」
エパヌイ神父はご高齢で、おそらく八十は超えていると思われる。大病を患っているわけではないが、体のあちこちに不調があり、なんとか日々の務めを行なっている状態だ。
村人の助けはあったが、今まで世話人をつけずにやっていたと聞いて驚いた。
戸棚の中から、薬草箱を取り出した俺は、喉の治療用のビンを取り出してエパヌイ神父に渡した。
中には乾燥させた薬草が入っていて、お湯に煎じて飲むタイプの薬だった。
「今、お湯をもらってきますから、ゆっくり休んでいてください」
「すまないね。あ、そうだ。後で話があるから、用が終わったら声をかけておくれ」
「は……はい」
エパヌイ神父はシワだらけの顔で目を細めて優しげに笑っていた。
近所の家からお湯を調達して、神父に薬を作り、今度は教会の中を掃除した。
時間になるとゾロゾロと村人が集まってきて、神に祈りを捧げる礼拝が始まった。
礼拝の祈りの儀式を、神父は背筋を伸ばして堂々と執り行い、終了後は俺が作った芋のスープを配った。
大地の実りと、食物に感謝をしてスープを食べて、みんなそれぞれ帰って行った。
片付けを終わらしてから、神父に声をかけると座るように言われたので、礼拝堂の椅子を借りて腰を下ろした。
「ラン、お前はなかなか難しい境遇で、ここへ来てどうなることかと思ったが、今まで大変よくやってくれた」
「はい、ありがとうございます」
「次の神父にもよく仕えて、やって欲しい」
「はい、……え?、エパヌイ神父、お辞めになるんですか!?」
「私をいくつだと思っているんだね。もう体が動かないし、ここでの役割を果たせない。郷里に帰って骨を埋めることにするよ。教皇庁から、新しい人が派遣されてくるはずだ」
聞くところによると、神父に定年制はないが、やはり体が辛くなったり病気をしたりすれば祭事が行えないので、交代を願い出ることができる。
確かに日々の業務は、ほとんど俺が代わりにやっていた状態だったので、そろそろ限界だと思って引退を考えていたのかもしれない。
「明日!? そんなに早く行かれるんですか……」
「ああ、世話になったね。ランの結婚式の立会人になれなかったのだけが心残りだ」
「今から相手を見つけるなんて、どれくらいかかるか……。それに、俺は結婚できませんし、するつもりはありません」
好きな相手はいないのかと毎日のように聞かれていたので最初は戸惑ったが、もうそんな挨拶のように思って慣れてしまった。
俺が頭をかいて笑っていたら、エパヌイ神父はフッと真剣な目になって俺を見てきた。
「お前の境遇のことなら、気にすることはない。お前は心が優しい。罰を受けるような人間ではないし、幸せになってはいけないなんて、そんな罰はないのだから」
「エパヌイ神父……」
もう結構楽をしているんだけどなと思いながらヘラヘラ笑っていたら、ポンと頭を撫でられた。
神父のことは上司だと思っていたが、いなくなると分かって初めて、家族のような気持ちを寄せていたことに気がついた。
思えば、テンペランスの人生というものは、なかなかハードなものだった。
解放されたから改めて思うのだが、あの婚約破棄騒動に巻き込まれていなかったなら、別のことで命を落としていただろうなと、しみじみ考えていた。
テンペランスはヴィーヴル公爵の実子ではなく、再婚した妻の連れ子だった。
実の父親は他国の貴族だったらしいが、テンペランスが幼い頃に亡くなっている。
テンペランスが公爵家に連れてこられたのは、七歳の時だった。
公爵は連れ子だったテンペランスをかなり可愛がって育てたらしい。
しかし、それをよく思わなかったのが、義兄のジアンだった。
嫡男であり、彼が公爵家を継ぐことは揺るがなかったが、テンペランスを敵視して徹底的に冷遇してきた。
テンペランスが皇太子の婚約者に選ばれたのも気に入らなくて、わざわざ皇太子に友人として近づいて、テンペランスの悪評を散々吹き込んでくれた。
そのおかげもあって、テンペランスとフィエルテの仲は最悪のものになっていた。
今はヴィーヴル公爵が病に倒れて、母親と共に領地で療養生活を送っているため、公爵代理として邸で大きな顔でふんぞり返っているだろう。
ちなみにジアンは攻略対象者の一人で、あの婚約破棄の場面にもいて、俺を投獄しろと叫んでいた一人だった。
もっと幼い頃に憑依できたなら、自分がいかに無害かを訴えてジアンとの仲を波風立たないようにできた可能性もあった。だが俺が憑依した一年前にはもう、俺をどうやって殺そうかという目でしか見てこなかったので、関係改善なんてありえない話だった。
結局、ジアンを見たのはあのシーンが最後で、一言も話すことがないままの別れとなった。
なんとなく狡猾で執拗な性格のジアンのことがまだ心に引っ掛かってはいるが、さすがにもう廃嫡された今、構ってはこないだろうと考えている。
やっと手に入れた穏やかなスローライフ。
慣れてきた生活の中で、エパヌイ神父がいなくなるということが、寂しく思えてしまった。
もうこんな気持ちになることなんてないだろうと考えていたのに、主人がいなくなってガランと静まり返った教会に立つと胸がチクッと痛くなってしまった。
怒涛のように生き残るために駆け抜けてきた異世界での日々。
心を許せる人に出会ったが、あっという間にいなくなってしまった。
「幸せか……、幸せってなんだろう」
前の世界で自分は幸せだったのか。
時々考えることがある。
考えても考えても、何をしていたかというぼんやりとした記憶しか浮かんでこない。
家族や友人、愛していた人はいたのか……
ずっと胸の中が空っぽで風が吹き抜けていくような気持ちだった。
テンペランスに憑依して、田舎暮らしという誰にも邪魔されない生活を手に入れてもそれは変わらなかった。
エパヌイ神父を送り出した後、一人掃除をして礼拝堂に残っていた。辺りは暗くなって、窓から見える星々を礼拝堂の椅子に座って眺めていたら、カタンと入口のドアが軋むような音がした。
村人がこんな時間にお祈りに来たのだろうかと振り返ったら、入り口に真っ黒で大きな人影が見えた。
コメント
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うわあ、エパヌイ神父との別れが来ちゃったんだね……。ランちゃんが村に馴染んで、子供たちとスープを味見したりする日常がほっこりしててすごく好きだったから、あの寂しい気持ちがじんわり伝わってきたよ。最後の黒い人影、誰なんだろう。続きがすごく気になる〜!