『可愛い』って言葉が嫌いだ。どこが可愛いんだ。この声の。この姿の。この存在の。
「どこが。」
そう言った声は、可愛さの欠片も無い、乾いた声だった。ほらね。だって、俺は男だもん。『可愛い』なんて言葉、俺には似合わない。だから、らんらんみたいな、『可愛い』歌声を、出さないようにした。ひまちゃんみたいな、『可愛い』発言を、しないようにした。いるまちゃんみたいな、『可愛い』一面を、見せないようにした。みこちゃんみたいな、『可愛い』仕草を、しないようにした。こさめちゃんみたいな、『可愛い』存在に、ならないようにした。
あれ…なんか…
「っ…」
いらない思考が頭を通り抜けた。違う。可愛くなんか、なりたくない。しつこく付いて来る夏の蚊を振り払うように頭を右に、左に動かす。気持ちを切り換えよう、 消去法だ。洗面台の前に立ちゆっくりと呼吸をする。両手に冷水を溜め思いきり顔を打ち付けるように濡らす。顎先、鼻先から垂れ落ちる水滴。顔を濡らす残り水さえも邪魔くさく感じてしまう 。
鏡に映るもう一人の自分を見つめ、溜め息が零れる。笑うことを忘れた唇。意味も知らずに息をする鼻。光を通そうとしない赤色の瞳、同じ色をしたひまちゃんの方が、
「…可愛いのに‥」
…いや、そんなことは…
…あるのかもしれない。俺も、皆みたいに、『可愛い』って、言われたいのかもしれない。
湿ったタオルで顔を雑に拭く。何度見ても不細工な顔。もうどうしようもない。薄汚れたこの存在はどんなに洗っても変えられない。もう一度、今度は優しく、顔に水を押し当てる。それを3回繰り返した。鼻先だけから垂れ落ちる水滴は、なんだか綺麗で、純粋で。天然なみこちゃんを連想させる。
テッシュペーパーで残り水を取り除く。期待を込め顔を上げる。鏡に映った紅色の瞳は光り輝いているようで、眩しく笑うひまちゃんを連想させる。今なら笑える気がして、口角を緩ませた。
うん。可愛い。
大丈夫。いつも道りの俺だ。これなら、可愛いかな。これなら、分かってくれるかな。俺が、可愛いってこと。そうだ、明日はこさめちゃんといるまちゃん、それから、らんらんにも会う日だ。聞いてみよう。きっと皆、『可愛い』って言ってくれる。そうだよね。
「俺って『可愛い』よね?」
『いや、そんなことは…』 end.
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