松金屋の依頼
「ここは・・・」
一刀斎が慈心に連れて来られたのは、間口が十間はあろうかという大店だった。店先の大八車や土間にはたくさんの木箱が積み上げられており、茶葉の爽やかな香りが漂っている。
「最近急に羽振りが良くなったと噂の、松金屋じゃねぇか?」
「ああ、横浜の居留地にあるベアト商会って所と繋がっててな、なんでも日本茶の取引が当たって大儲けしてるらしいのじゃ」慈心が説明した。
「へぇ、異人さんが日本茶を飲むのかい?」
「日本茶の馥郁ふくいくたる香りがイギリスの上流階級に人気での。毛唐でもいい物は分かるらしい。英語で『茶』という意味の『ティー』は、日本語の『ちゃ』が語源だという話だ。本当のところはわからんがな」
「ふ〜ん、で、仕事の内容は何だ?」
「護衛じゃよ」
「護衛?成金になった松金屋のか?」
「いや、それがどうも違うらしいんじゃが、詳しくは会ってみないと分からん」
「そうか、じゃあとりあえず会ってみるしかねぇな」
慈心が先に立って敷居を跨ぐ。眼鏡をかけた番頭らしき男が人足たちに支持を与えていた。
「その上喜撰の箱はこっちの隅に積んでおくれ。それから、こっちの隅には上中下の順にな。おい、もっと丁寧に頼むよ、茶葉が傷んじゃ買い叩かれっちまうんだから」
入ってきた慈心たちに気付いてギロリと睨んだ。
「おいおい、そんなところに突っ立ってちゃ邪魔だよ、何か用かい?」
「頼まれて人を連れて来たんだが、松金屋さんはおいでかな?」
男は眼鏡を下げて上目遣いに一刀斎を見た。なんだか商品を値踏みしているような目だ。
「ふぅん・・・」
曖昧に頷いて慈心に顔を向けた。
「ちょっと待ってな」
上り框から奥へ続く暖簾の向こうへと消えた。
「まったく最近の商人ときたら、侍を屁とも思っておらぬ」男の態度に気を悪くしたのか、慈心が珍しく愚痴る。
「ふん、それだけ侍ぇの質が落ちたって事よ。侍が支配者としての誇りを捨てず高い道徳を持ち続けられた間は、豊かな町人たちもその前には頭を下げるしかなかったんだろうがな」
「つまり、侍の世も末だって事か・・・」
しばらくしてさっきの男が戻って来た。暖簾から首だけ出して手招きをする。どうやら付いて来いと言っているらしい。履き物を脱いで後に続く。
暖簾を潜ると母屋へ続く渡り廊下の右側に広い中庭が見えた。
店の喧騒が遠くなった頃、ある部屋の前で男が膝をついて訪おとないを告げた。
「旦那様、連れて参りました」
「お入り・・・」
低い濁声が響いて、男が障子を引き開ける。促されて中に入ると長火鉢の向こうに煙管を持った壮漢が座っていた。顔だけ見ると任侠の親分のような貫禄がある。
「番頭さんご苦労だった、お前は店に戻っていておくれ」
「へい」
男は障子を閉めて戻って行った。
壮漢は火鉢の縁に煙管を打ちつけて灰を落とすと、ツと立って火鉢の前に出てきて膝を折った。
「松金屋辰三と申します、以後お見知りおきを」
畳に手を付いた。番頭と違って丁寧な物言いが返って不気味だ。
「なんだ爺さん、顔見知りじゃねぇのかよ?」
「初見じゃ、儂はこの仕事の事を出入りの賭場で小耳に挟んだだけじゃからの」
慈心はしれっと言ってのけ、壮漢に向き直った。
「儂は粉挽慈心、連れは一刀斎と言って天下に並び無き剣客じゃ。手練れをお探しと聞いたがこの者より打って付けの者はおりますまい」
「爺さん、ちと大仰すぎやしねぇか?」一刀斎が慈心の脇腹を指で突く。
「いいんじゃよ、商売はすべからく最初が肝心じゃ」
目の前に相手が居ても動じぬ面の皮の厚さは、年の功と言うべきか。
「ははは、正直なお方だ。だが、私の仕事を引き受けて頂くにはハッタリだけでは不足です」
辰三は正面から二人を見据えた。
「なら、何が必要なんだい?」一刀斎が訊いた。
「確かめさせて貰いましょう」
「何を?」
辰三が肘を挙げて両手をパンパンと打合せた。すると中庭の方で大勢の足音が響いた。
「どうぞ障子をお開けになって・・・」
一刀斎が立って障子を開けると、先ほど見た中庭に五人の屈強な男たちが木刀を持って立っていた。
「なるほど、こう言う事かい」
「悪く思わないでくださいまし、皆さん同じように試させて頂いておりますので」
「ふぅん、で、今まで合格した者は?」
「残念ながら一人もいらっしゃいませんで・・・中にはこれを見ただけで逃げ出したお方も」
「だろうな。となると、仕事は相当危ねぇ橋を渡る事になるんじゃねぇのかい?」
「その分報酬は弾みますので」
「いくらだ?」
「前金で五十両、成功の暁にはもう五十両お渡し致します」
「ヤバい仕事じゃねぇだろうな?」
「ある人を守って頂くだけで結構です」
「よし、乗った!」
一刀斎が中庭に飛び降りた。
「一刀斎、得物は?」慈心が訊いた。
「いらねぇよ、こいつらから奪い取る」
「勝手にせい」慈心が呆れてそっぽを向いた。
回り廊下を背にして立った一刀斎を、五人の男たちが半円状に取り巻いた。
男たちに正式な剣の心得は無いと見た。ただ、喧嘩慣れしているのか、いきなり飛びかかってくる者はいない。皆腰を落として一刀斎の出方を待っている。
一刀斎は一番強そうな真ん中の男に狙いを付けた。
最初に強いやつをやっつけて、敵の機先を制する。それが、この場合の一刀斎の戦い方だ。
一刀斎は目標の右隣の男に向かって地を蹴った。
案の定、木刀を振り上げる。
同時に真ん中の男が、一刀斎の後頭部を狙って木刀を叩きつけて来た。
瞬時に膝を抜いて身を沈めると、頭上を通過した木刀が右隣の男の顔面を強かに打った。
グエッ!
前歯と鼻血を飛ばして男が仰け反った。
その時には一刀斎の手が目標の男の手首を捉えていた。
逆手に返して思い切り捻る。骨の折れる鈍い音がした。
ギャァ!
手首を押さえて蹲った男の木刀は、いつの間にか一刀斎の手に握られていた。
殆ど一瞬で二人が戦闘不能になった。
残る三人に動揺が走る。
一刀斎は間髪を容れず右端の男に迫る。他の二人と距離が開いていたからだ。
男は狂ったように木刀を振り回して一刀斎に打ち掛かって来た。
初太刀を躱して背後を取る。
振り向こうと焦った敵の右肩に木刀を打ち下ろした。
ジャリッ!と砂を噛むような音がして骨が砕けた。
残る二人はあまりの早技に、その場に釘付けになっていた。
一刀斎は委細構わず二人の方へと歩いて行く。
怯えを顔に貼り付けたまま、二人は後退りを始めた。
ヒ、ヒィー!
あとは簡単だった。
戦意を失った二人の鳩尾みぞおちに、無造作に剣先を突き入れた。
黄色い胃液を吐いてもがき苦しんでいるのを横目に、一刀斎が辰三を振り返る。
「合格かえ?」
不敵な笑みを浮かべて一刀斎が訊いた。
*******
「守って頂きたいのは、異人でございます・・・」
改めて座敷に落ち着くと、慈心と一刀斎を前にして辰三が話し始めた。
「横浜の居留地に住まう外国人は、特別な人間以外居留地から一歩も外に出る事を許されておりません。本来なら居留地から十里以内の所は自由に行き来できる筈なのですが、近年外国人が襲われる事件が頻発している為、お上としても居留地の関内に閉じ込めておく方が安全と考えたのでしょう。その為楽しみを奪われた居留民たちの間で不満が鬱積しております。これは私どもの商売にとっても良い事ではありません。何故なら商売上のちょっとした不手際が不満解消の吐け口となって、丸く納まるところも悪戯に事を荒立てる仕儀となっておるからです」
「それで、俺たちに居留民を守れと?そんな事は幕府の役人にでも任せておけばいいんじゃねぇのかい?」
「いいえ、そんな大それた事をお願いしているのではありません」
「では、なんじゃ?」慈心が訊いた。
「はい、事は私どもの取引相手ジェームス・ベアトに関する問題なのです」
「そうかい、安心したぜ」
「何分このベアトという男が気難しい男でして、先の取引の時ちょっとした事で臍を曲げてしまい、それ以来商売が滞っております。私どもと致しましては何とかベアトの機嫌を直すために、江戸見物でもさせてやろうと企てたのでございます」
「だがよ、外国人は居留地から出られないんじゃねぇのかい?」
「そこはそれ、蛇の道は蛇ってやつで・・・」
「法を破ろうってのかい?」
「いえ、もう既に法は破っているのでございます」
「なに?」
「役人に金を掴ませて、ベアトは夜中に船で江戸まで連れて来ております」
「じゃあ企ては始まっていた、という事だな?」
「はい、実は護衛も決まっていたのですが、ベアトがこの家に着いた日に何者かによって殺害されてしまいました」
「襲われたって事かい?」
「はい、敵は複数で襲ってきましたが、なんとかその場は切り抜けて、今はこの家に匿っております」
「役人には届けたのかい?」
「いえ、公にする事は憚はばかられましたので・・・」
「だろうな」
「ならば、仕事というのは其奴を居留地に無事送り届ける事か?」又、慈心が訊いた。
「いえ、最初の計画通りに江戸見物をさせます。その間の護衛をお願いしたいのです」
「じゃが、そんな怖い目に遭うたのなら居留地に帰りたがっているのではないのか?」
「いえいえ、先ほども申しましたがベアトという男はとても我の強い男で、どうしても江戸見物がしたいと申すのです。もしそれが叶わぬのなら今後の取引は出来ないとまで・・・」
「なんと、命の危険を犯してでも江戸見物がしたいと」
「異人の面目とでも言うのですかな、このまま脅されたままで逃げ帰っては母国の沽券に関わるると言うのです」
「ふ〜む、見上げたものだ・・・と、言いたいところだが・・・どうする、一刀斎?」
「異人の面目か・・・知らない国に一人で来て、侮られぬように気を張っているんだな。面白れぇじゃねぇか、その男の痩せ我慢に付き合ってやるのも一興だ。俺ぁ構わねぇぜ」
「お引き受け頂けますか、それは有難い・・・ただ、一つだけ問題が・・・」
「なんでぇ?」
「守って頂きたいのはベアト一人ではないのです」
「なに?いってぇ何人守ればいいんだ?」
「ベアトの妻ローラと一人娘のルナ、合わせて三人」
「三人だぁ!」一刀斎が頭を抱えた。
「実は前の護衛が殺られたのもそれが原因なのです。こちらはてっきりベアト一人と思っていましたから」
「当たり前ぇだ!動ける男一人ならまだしも、女子供までいるとなりゃ一人で守り切るのは不可能だ。おい、爺さん、俺ぁ降りるぜ、こんな話命あっての物種だぁ!」
「ま、待って下さい、今、あなたに降りられたらまた一からやり直しです。それに、貴方ほどの剣客はそうそう見つかるものではありません、見つからなければ取引は御破算です、どうか今一度お考え直し下さい!」
「そう言われても無理なものは無理だ!帰るぜ慈爺さん!」
「まぁ待て、一刀斎」慈心が右手を挙げて一刀斎を留めた。
「なんだよ、お前ぇだってわかってるだろ、この話がどれだけの無茶振りか!」
「ああ、分かってるさ・・・だが、儂と志麻が仲間に加わればどうだ?」
「お前ぇと志麻・・・か?」
「どうだ、それなら出来なくはあるまい?」
「う〜ん、まぁ、なんとかなるかも知れねぇが・・・お前ぇ志麻を巻き込むつもりかえ?」
「志麻だってこれから江戸で活計たつきを立てなけりゃならぬのだ、当面の資金を稼がせてやるのも親心ってもんじゃろ?」
「そりゃそうだがよぅ・・・」
不承不承頷いた一刀斎を横目に、慈心は辰三に顔を向けた。
「松金屋さん、聞いての通りだ、あと二人分報酬を増やしては貰えぬかの?」
「と、申されましても・・・三百両はちょっと・・・」
「では、三人で二百両ではどうじゃ?商売がパアになる事を考えれば安いものじゃぞ」
「う、う〜む・・・」
今度は辰三が頭を抱え込む番だ。
「嫌なら我々は引き上げる・・・一刀斎、帰るぞ!」
慈心はさっさと立ち上がって襖の引き手に手を掛けた。
「ま、待った!・・・分かった・・分かりました・・・」
慈心が振り返り北叟笑む。
「三人で二百両・・・お支払い致します」
「ようし決まった」慈心がパン!と手を打った。
「くっ、足元を見ましたな・・・」
「それからもう一つ。どうやって三人を守るかはこちらに任せてもらいたい、その条件が呑めぬなら・・・」
「分かった、すべてそちらに任せます」辰三は諦めたように言った。
「そう来なくっちゃ・・・一刀斎、帰って作戦会議だ!」
「お、おう・・・」
二人は、あっけに取られている辰三に、夕方までには戻ると告げて松金屋を後にした。
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