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彼女との距離が近い。
このままキスして奪ってやろうかな。
俺の正体に気がつないのなら、俺が白斗だとお前に伝えて攫ってやろうか。
お互いに目が反らせない。
もう少しで吐息がかかる、触れ合える境界まで一歩踏み込もうとしたその時、隣の部屋でキイと扉の開けるような聞こえたような気がして我に返った。
「失礼」誤魔化すように空色の前髪に触れた。「糸くずが」
心臓がおかしな音を立てて鳴っている。
爽やか旦那に、俺が空色に迫っていることを知られたりしたら終わりや。俺が破滅するのは勝手だけれど、いろいろ迷惑がかかる。
もう少しで触れ合えると思ったら理性を失ってしまった。寸前でブレーキをかけられてよかった。
暫く身動きも取れずに見つめ合っていた。
少しでも動けば、互いの領域に踏み込めそうな程に近すぎる距離。
でもこれ以上は進めない。俺は自ら退陣した。「そろそろ光貴さんの電話も終わるでしょう。怪しまれるといけませんので、リビングへ戻りますね。律さん、ゆっくりお休み下さい」
扉を閉め、ぐっと胸元を掴んだ。
俺の気持ちを押し付けて、自分が傷つくのは仕方ない。
そんなことをしてしまうと、大切な空色まで傷つけてしまう。
この恋は危険。
忘れたくても忘れられない。
お前が十六年も俺を想ってくれていたと知ってしまった今では、奪ってもいいのではないかと期待をしてしまうから。
たとえ僅かでも繋がりを持ってしまったから、満足できなくなってしまった。
人間と言うのは欲どおしい生き物や。でもまさかそれを実体験することになるなんて。
隣の部屋から微かな話し声がしたので安堵し、音を立てないように気を付けてリビングへ戻った。まだ山根との電話が続いてくれていることに心底安堵した。
それにしてもさっきは危なかった。
旦那に見つかってしまうかもしれないあの場でさえ、美しい空色に心を奪われて動けなかった。まだ心臓がおかしい。
ああ、なんで旦那の嫁が空色なんだろう。
俺が好きやったら、結婚せずにずっと待っててくれよ――
ばかみたいなことを考える時間が増えた。
彼女が欲しいと願うようになってしまった。
昨日失恋したのに諦められない。
ストラップなんか渡してしまって、またひとつ彼女との繋がりを作ってしまった愚かな自分。
空色と旦那の絆を確かにする命が彼女の中に宿っているのに、俺がつけいる隙なんかない。
重い溜息を吐き出していると、旦那が戻った。
「すみません、お待たせしました」
戻った彼は困惑した表情をしていた。サファイアの継続サポートか正式メンバーとしての加入を打診されたのだろう。
悩むよな。俺は守るものがなにもなかったし、その日暮らしだったからRBに加入する決断は即決できたけれど。
でも、時々思う。
もしRBに入らなかったら、俺はもっと自由に歌を歌えたのかな、と。
しがらみのない世界で、私利私欲のためじゃない歌を奏でることができたのかな、と。
「いいえ。お気になさらず」
なんでもないように笑って見せた。俺は幼い頃からこうやって生きてきた。自分の本音はひた隠しにして、誰にも悟られないように息を潜めて。
「お電話はよろしいのですか?」
「はい。終わりました。ただあの・……今の電話でうちのに相談ごとができまして。設計図は確認して改めて連絡します。ですので今日は……」
暗に俺の帰宅を仄めかされた。こうなった以上、無理に打ち合わせすることも無い。
「承知致しました。それではこれで失礼いたします。律さんにもよろしくお伝え下さい」
最後は営業マンらしく爽やかに決め、背筋を伸ばして荒井家を出た。