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その夜俺は夢を見た。
無名の寂れたライブハウスでひとりきりで歌う俺が主役。
情熱に身を任せてピアノを奏で、悲鳴を上げるように乱暴に歌ったり、繊細な調べを歌ったり、魂の叫びを心のままに歌った。
俺はもう自由や!
そんな俺を熱い視線で見つめる観客が一人。他には誰もいない。
その客は空色だった。
熱を孕んだ情熱の視線。きっと彼女の部屋に飾った白斗(おれ)の写真に投げかけるような、彼女からの熱い眼差し。RBの時には視線が多くありすぎて気が付かなかったけれど、彼女の視線はいつだって俺に注がれていたはず。
微動だにしない彼女に近づいた。無観客ライブだと思っていたのに、俺を今でも応援してくれるただひとりの女。
無言で見つめ合った。重なり合う視線。指を絡めて繋がった先の温もりを確かめた。
なにかを突き破るように愛しさがこみ上げる。
他の男を想い、他の男の子供を宿している女でも、俺は彼女に惹かれてしまう。
溢れる想いを止められずこの腕に掻き抱いた。しかし彼女は幻だった。抱きしめた途端に砂となって消え去った。
――彼女と俺は、たとえ夢の中でもひとつになることは許されない。
夢はここで終わった。目を覚ますとじっとり汗をかいていて暑苦しかった。
熱っぽい身体を冷やすべく寝室を出た。ベッドサイドに置いてあるデジタル時計を目にしたところ、時刻は午前二時。草木も眠るという時間らしいが、都会は灯りが点いたまま。これだと草木も眠れない。
乾いた喉に冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを流し込み、ふう、と小さくため息を吐いた。胸が苦しい。
灯りを点け、都会の灯りのひとつに加担した。草や木が安心して眠れるのは都会じゃないように、俺が安心して眠るには空色から遠く離れて彼女を忘れ、繋がった思いを断ち切るしかない。
夢の内容を反芻した。嫌な夢でもライブができたのは良かった。すし詰めのホールよりも、空色だけが見つめてくれる寂しいライブハウスは特に。
少し前に調律してもらったばかりのピアノの前に座った。
今の夢は曲にしてしまおう。俺にはその能力がある。
気に入ったフレーズもあったし。
『彼女と俺は、たとえ夢の中でもひとつになることは許されない』
禁断の恋の歌、いいな。
このフレーズから曲ができそう。
アレンジはとことん暗い静かなバラードがいい。それともシャンソンぽい方が似合う? スタンダードなジャズに仕上げても雰囲気があっていいな。
この所、俺はピアノを弾いては曲のストックを増やしている。
空色のことを想うとモノクロだった俺の世界に色がつき、音が溢れてくるから。
それにしても、枯渇だった俺が嘘のよう。
辛い過去も時が経てば傷が癒えるように、風化していくのかな。
この六年間を取り戻すように、暇さえあればピアノを弾いている。十代の頃の自由な気持ちで、金や名誉やしがらみに縛られずに曲を奏でる楽しさを思い出しながら。
そうだ。この曲――RBのアレンジにしよう!
空色に見つめられると嫌でも白斗を思い出す。もう無かったことにはできない。
白斗で苦しんだ時代の俺も、お前を好きになって苦しんでいる俺も、全部、今の俺だから。
RBの未発表曲みたいにして空色に渡してやろう。
彼女はきっと喜んでくれる――そこで気づいた。俺の想い。
俺は彼女に喜んで欲しい。
熱っぽい視線のその先の答えは『男女としての交わり』ではなく『期待の眼差しに応える』こと。
空色は今も白斗(おれ)を想ってくれている。でも『新藤博人』を想っているわけではない。だから俺が空色に好きだと想いを伝えたところで、迷惑になるだけ。
でも俺の気持ちを消すことはできない。だから、この気持ちをなんとかしようと思わなくていい。
遠くから彼女を想っておきたい。
だから繋がっておこう。俺が新しく『RBの白斗』として書き上げた曲で、空色に喜んでもらうために。
同じ空のもと、遠く離れた音を聴く――
俺は浮かんだフレーズや歌詞、コードを譜面に走り書きした。
繋がることで見える景色は、一体どんなものなのかな。
荒井家が完成後の自分の未来は、大栄を辞めた後に一体どうなっているのだろうか。
絶望しか無かった俺に見えた未来は、たとえ空色と交わっていなくても、今よりもっと明るく素晴らしいものになっていると思えた。