「ねえ、少しでも食べなさい」
最近あまりやかましく言うこともなかった母さんが、しつこく食事を勧めている。
「わかってるから」
まるで子供のように口答えする俺。
もしここに父さんがいれば注意されるんだろうが、今の俺はそんなことに気を遣う気分じゃない。
何しろ萌夏が行方不明になったんだから。
「携帯の電源は入っているんでしょ?」
「ええ」
携帯の電源が入っている以上位置情報を得ることは簡単なことのように思える。
調べればすぐにわかる気がするが、
「何かあったら困るから萌夏の携帯のセキュリティーを強化したばかりだったんです」
去年事件に巻き込まれその時いくらか顔も出てしまった萌夏のことを思い、かなり厳重なセキュリティーに変更した。
もちろん萌夏を守るための行動だったんだが、今回はそれが裏目に出てしまったようだ。
「個人情報を得るための手続きが複雑で、苦労しています」
セキュリティーを強化した分、個人情報も守られる格好になって位置情報を得ることもままならない。
「でも、萌夏ちゃんは無事なのよね?」
「おそらく」
もしも、萌夏自身に何かあれば携帯の電源は入らなくなると考えるのが普通だろう。
連れ去った犯人が萌夏の携帯を持って移動するとも思えないし、そんなものを持っていればすぐに捕まってしまう。一刻も早く処分したい物証のはずだ。
「とにかく、安否の確認だけでも取ってちょうだい」
「わかっています」
俺同様昨日から眠れていない母さんにも疲労の色が見える。
早くしないと、みんな倒れてしまいそうだ。
***
ブブブ ブブブ
携帯の着信。
え?
発信者を見て息が止まりそうになった。
嘘、だろ。萌夏からの着信だ。
ピッ。
携帯の通話ボタンを押し、俺は自分の部屋のに向かって駆けだした。
切られたら困るから早く出たい。
それでもまだ不確かな情報で、母さんを翻弄したくはない。
もし悪い知らせなら、配慮して伝えないと。
ふーう。
部屋に戻り、ゆっくりを一息吐いてから俺は携帯を耳に当てた。
「か・・遥?ねえ、聞こえているの?」
聞こえてきたのは少し大きくなった萌夏の声。
「ああ・・・聞こえている」
聞いた瞬間、俺はその場に座り込んでしまった。
「よかった。返事が聞こえないから切れたのかと思ったじゃない」
いつもと変わらない元気な萌夏。
「お前なあ」
言いたいことはたくさんあるのに、力が入らない。
俺はこんな腑抜けた人間ではないはずなのに。
「ねえ遥、大丈夫?」
今度は心配そうな声。
「大丈夫なわけあるか。二日も音信不通で、連絡しても出ないし、どれだけ心配したと思っているんだ」
「ごめんなさい」
「ごめんですむかっ」
「だから・・・」
電話の向こうの声が、少し涙声になっている。
ダメだ、落ち着け。
誰よりも萌夏自身が心細いはずだ。
その萌夏を追い込んでどうするんだ。
俺は冷静でいようと必死に深呼吸を繰り返した。
***
「今、どこにいる?」
できるだけ語気を弱めて、穏やかに聞いたつもりだ。
しかし、
「あの・・・もう少し待ってもらえない?」
「はあ?」
言われている意味が分からず、低い声が出た。
「とにかく私は無事だから、もう少し時間をちょいだい」
「お前、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「うん」
「みんなすごく心配しているんだぞ」
「それは、ごめん」
「もしかして、自分の意志で行方をくらましたのか?」
もしそうなら、俺は立ち直れないかもしれない。
「違うよ、連れ去られたの。いきなり薬をかがされて」
「おい、待て、それって・・・」
完全に誘拐、犯罪じゃないか。
「今すぐそこの場所を言えっ。いや、いい。こっちで調べる。誘拐と分かった以上どんな手を使っても突き止めてやる」
「待って遥、落ち着いて」
「萌夏っ」
これが落ち着いてなんていられるか。
珍しく俺は大声で叫んでいた。
***
「遥ッ」
何年かぶりに聞いた母さんの怒鳴り声。
子供の頃から叱るのは父さんの役目で母さんは声を荒げることはなかった。
それでも何年かに一度は叱られることがあった。
そんな時は、いつもは優しい母さんを怒らせてしまったことを後悔して悲しい気持ちになったのを今でも覚えている。
俺の声を聞いた母さんが部屋に入ってきた、その記憶はない。
気が付いたら携帯を取り上げられていた。
「うん。うん。そう。それで、萌夏ちゃんは大丈夫なのね?うん。わかった。でも、電話は必ずつながるようにしておいてちょうだい。そうね、お父さんにも遥にも伝えるわ。はい、じゃあ」
あっさりと電話を終わらせてしまった母さん。
「母さん、俺まだ・・・」
萌夏と話をしたかったのに。
「今のあなたじゃ、冷静に話せないでしょ。時間を置きなさい」
「しかし」
その間に萌夏の何かあったらどうするんだ。
「萌夏ちゃんは無事みたいだし、萌夏ちゃん自身が少し待ってくれって言うんだから待ってあげないさい」
「でも」
「何もするなって言っているわけじゃないわ。その間にあなたはあなたで調べればいいじゃない」
「そんなぁ」
冷静に話せないうちは電話しないでねと念を押し、母さんは部屋を出て行ってしまった。
肝が据わっているというか、度胸があるというか、どうしてこんな時女性の方が潔いんだろうか。
女の人って、怖いわ。
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