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「大丈夫?落ち着いたかい?」
「はい」
お茶を待つ間に、私は遥に連絡をした。
『私は無事です。もう少し時間をください』それだけを伝えるつもりだったのに、喧嘩のようになってしまった。
遥の気持ちを考えれば、電話一本で納得してくれるはずないとわかっていながら、今はまだ何も伝えられなかった。
お母様が電話に出て、「何かあればすぐに電話しなさい」と言われ泣いてしまった。
「家の人、心配しているだろうな?」
「ええ、とても」
遥なんて、心配を通り越して怒り心頭。
「まずは、突然君をさらってきてしまったことを謝るよ。申し訳なかった」
座ったままではあったけれど、きちんと頭を下げてくださるおじさま。
それでも、「もういいですよ」なんてことは言えなくて、私は黙っていることしかできなかった。
たとえ縁の人間でも、黙って連れ去ればそれは犯罪。
それが分からないおじさんには見えない。
桜ノ宮創士さん。歳は・・・50歳くらいだろうか。
平石のおじさまより少し若く見えるけれど、優しそうなで温和そうな素敵なおじさま。
スーッと通った鼻筋と、頬の感じがどこで見たような気がするんだけれど・・・思い出せない。
***
「お父さん嬉しそうにしていらしたね」
「そう、ですか?」
今まで一度も会った子とのない孫に今更会ってうれしかったんだろうか?
本当に会いたいのなら、チャンスはいくらでもあったように思う。
「桜ノ宮の血を引くの孫は君だけだから、感慨もひとしおなんだろうと思うよ」
「私だけ?」
「うん。僕たち夫婦には子供がいなくてね」
ふーん。
待って、もしかして
「私がここに連れてこられたのって、後継者問題が関係ありますか?」
怖いなと思いながらも、聞かずにはいられなかった。
桜ノ宮の長女としてこの家を継ぐはずだった母さんは家を出てしまった。
妹の葉月おばさまが結婚して後を継いだようだけれど、子宝には恵まれなかった。
だから、母さんが生んだ娘の私をってこと?まさか、そんなあ・・・
「違うよ。後継者は分家から養子をもらうことになっているから心配ない」
はあ、よかった。
でも、じゃあなぜ?
「おじさま、私がここに連れてこられた理由を教えてください」
もう待てない、はっきりと聞かないことには何もできない。
「うん、そうだね」
おじさまは少しだけ姿勢を正しまっすぐに私を見てから、話しだした。
***
「僕はね、若いころモデルの仕事をしていたんだ」
「モデルですか?」
「そう、意外だろ?」
「ええ、まあ」
確かにおじさまは整ったきれいな顔をしていると思う。
身長も180センチ以上はありそうだし、スタイルだって悪くはない。
今この年齢でこれだけ素敵なんだから、若いころはもっとかもしれない。
モデルだったと聞いても不思議には思わない。
ただ、日本代表する名家桜の宮家の婿にしては意外な職歴の気がした。
「家内と皐月さんは2人っきりの姉妹でとても仲が良かったんだ。長女である皐月さんが家を継ぎ、家内はしかるべき家に嫁に行くもの。そう育てられたんだがね」
「母が家を出てしまったんですよね」
「そう。家内からすれば青天の霹靂だったんだろうと思うよ」
「でしょうね」
母さんだって一大決心だったろうけれど、残された家族はもっと大変だったはず。
「皐月さんがいなくなれば家内しか家を継ぐ人間はいなくなるわけで、否応なしに彼女が婿を取ることになってしまった」
それは、おばさまもかわいそう。
「当時、家内も相当反抗したらしいよ。子供の頃から総領娘として特別に育てられたくせに、いざとなったら責任を放棄して逃げてしまった皐月さんを恨んだと言っていた」
そりゃあそうよ。
はいわかりましたと即答できる話ではない。
「そこでお父さんやお母さんが必死に説得して、『何でも言うことを聞いてやる。お前の好きな人なら誰でもいいから婿にしてやる』と言ったらしいんだ」
「へえー」
それはまた思い切ったことを、って、もしかして。
ククク。
「そう、そこで白羽の矢が立ったのが僕。一面識もなく、ただファンだって理由だけでね」
***
「おじさまは・・・」
なぜ承諾したんですか?
そう聞きたくて、言葉が止まった。
「そのころの僕は仕事がうまくいかなくて、酒におぼれて自暴自棄になっていたんだ」
どこか懐かしそうに話すおじさま。
おじさまは子供の頃にご両親と死別して天涯孤独の身の上だったらしい。
学校にも行けずブラブラしていた十代のころにスカウトされ、一時はモデルとして活躍していいたようだけれど、二十歳を過ぎると仕事も減っていった。
まあモデルなんて人気商売だもの、次から次へと若手が出てきて人気だって移っていく。当時のおじさまは何をやってもうまくいかなくて、借金ばかりが増えていく。そんなジレンマの中にいた。
「それでも、」
一面識もない宮家のお嬢様と結婚して桜の宮家に婿入りするってことは、そう簡単な決心ではないはず。
「そうだね、いきなり見合いだ結婚だと言われても冗談としか思えなかったよ」
「そうでしょうね」
葉月おばさまはおじさまの大ファンで、この人と結婚できるなら家を継ぐと言ったらしい。
でもそれは、きっと無理だろうとわかっていての言葉だったんだろう。
「妻も僕もまだ若くて、世間が見えていなかった」
当時、おじさまもおばさまもまだ二十代前半。世間を知らなくて当然だと思う。
「僕も初めは断ろうとした。でもお父さんのこの家を思う気持ちは真剣で、廃人のようになりかけていた僕に全力でサポートをしてくださったんだ」
アルコール依存になっていたおじさまはおじいさまの勧めで1年間の闘病生活を送った。
そののち葉月おばさまと婚約、この家に婿入りした。
「結局、運命だったんだと思うよ」
どこか達観したようなおじさまの顔。
運命、そう言ってしまえるだけの時間が流れたってことだろう。
***
「そんな顔しないで。そりゃあはじめは愛のない結婚だったけれど、葉月と過ごす時間は楽しかった。俺達は仲のいい夫婦だったんだ」
おじさまの穏やかな表情。
よかった。少しホッとした。
母さんが原因で誰かが不幸になるなんて心がが痛いもの。
「一昨年病気で葉月が亡くなるまで僕たちは幸せだった」
「え?」
おばさま亡くなったんだ。
「亡くなるまで君に会いたがっていた」
「私もお会いしたかったです」
それは素直な思い。
兄弟のいない私には姉妹がどんなものなのかかわからないけれど、おばさまに会ってみたかった。
「だからってわけじゃないけど、どうしてもお母さんに君を会わせてあげたかった」
お母さんて事はおばあさま?
お母さんを産んだおばあさまは生きていらっしゃるの?
「実はね、今回君をここに連れてきた理由はお母さんに会わせてあげたかったからなんだ」
そう言ったおじさまは少しだけ目を伏せた。
「おばあさまはお加減が悪いのですか?」
こんな強硬手段を使ってまで私を連れてくるって言うことは、きっと時間がないから。
寂しいことだけれど、私はそんな結論にたどり着い
「葉月が亡くなってからすっかり気弱になられて部屋から出ることもままならないんだ。お医者様もそう長くは無いだろうとおっしゃっている」
そんな…
「萌夏さん、お母さんに会ってくれるかい?」
「ええ、もちろん」
私もおばあさまに会いたい。
私の返事を聞きおじさまは安心したように顔を上げた。
***
「さあどうぞ」
おじさまに案内され連れてこられた敷地内の離れ。
多くの緑に囲まれて都内とは思えない静けさ。
「失礼します」
障子戸を開け室内へと入って行くおじさまに続き、私も部屋へと足を踏み入れた。
「月子」
部屋の中央に置かれていたベットの脇に置かれた一人掛けのソファーから立ち上がり、声をかけるおじいさま。
その声につられたように、おばあさまがゆっくりを私を振り返った。
「さ、皐月」
少しうつろな表情で見つめる大きな目は写真で見た母さんとそっくり。
その瞬間、私はあふれ出る涙を止めることができなかった。
「まあどうしましょう、皐月が帰ってきたわ」
興奮気味に伸ばされた手を、私も歩み寄り握った。
温かくて柔らかくてすっかり細くなってしまった手が長い時間を感じさせる。
できることならば早くお会いしたかった。
「皐月、皐月」と何度も繰り返すおばあさまを前に「私は萌夏です」と言葉にすることができなかった。
母の面影をこんなに喜んでくださっているおばあさまを見て皐月のままでいいと思えた。
「さあ月子、少し横になろう」
ベットの上に起き上ったおばあさまにおじいさまが声をかけるけれど、おばあさまの興奮は冷める様子がない。
「皐月の好きだったお菓子があるのよ、持ってきてもらいましょうね。そうだわ、お茶を入れましょう。美味しい紅茶があるの」
「おばあさま・・・」
その部屋にいる誰もおばあさまを止められなかった。
***
ここのところベットの上での生活ばかりだったと聞いたおばあさまが、車いすに乗り居間に出ていらした。
おじいさまもおじさまも不思議そうに、でも嬉しそうにその様子を見ている。
「今日のお夕飯は皐月の好きなお寿司にしましょう。いつものお店にお願いして来てもらうといいわ。ねえあなた」
「そうだな」
いつものお店というのは銀座の超有名すし店で、桜の宮家では家に職人を呼んでお寿司を握ってもらっているらしい。
庶民には想像もつかない生活だわ。
「皐月、あなたが好きだったひまわりの花がまだ咲いているのよ。見に行きましょうか?」
満面の笑顔で今にも部屋を出ていこうとするおばあさま。
「いいえ、まだお茶をいただいていますから。後ほど」
「そうね」
少しだけ記憶が混乱してしまっているおばあさまの前で、私は皐月でいることにした。
おばあさまがお母さんに最後に会ったのが25年前。
長い時間寂しい思いをしていたおばあさまのためならそれでいいと思えた。
***
「ありがとう萌夏」
みんなでお茶をいただきおばあさまを寝室に送った後、おじいさまと2人になった。
「私は何も」
特別なことをした覚えはない。
おばあさまに会えて、私の方がうれしかった。
「創士から聞いたかもしれないが、家内は、月子はもうそんなに長くはないんだ」
「そんな・・・」
「元気でいるうちに、まだわかるうちにお前に会わせてやりたくてな、こんな強引な手段をとってしまった。申し訳ない」
「私は、そんなこと」
いきなり連れてこられて驚いたことは確か。
でも、事情を聴いてしまえば恨む気持ちにはなれない。
「できればこのまま、ここにいてくれないだろうか?」
「え?」
「皐月の娘として、月子の側にいてほしい。人生の最後くらいは幸せに送ってやりたいんだ」
「おじいさま」
母さんが親不孝をしたとは思わない。
母さんには母さんの思いがあったんだろうと思う、でも、そのせいでおばあさまは寂しい思いをしてこられた。
私は、そのことが自分の責任のように感じられた。
「無理強いするつもりはない。家に帰るのを止める気もない。でも、もしも月子のことをかわいそうだと思ってくれるのなら、側にいてくれないか?」
「それは、もちろん」
このまま消えるつもりはない。
でも、
「何しろこんな家だから、小さなことでも世間の目がある。月子の病状も、皐月の過去も、お前の存在も、今桜の宮家で起きていることは外に漏らしたくはない」
「です、よね」
世間から注目され鵜ことの多い平石の家にいるからこそ、想像はしていた。
おばあさまの側にいるってことは、この家に暮らすこと。
全ての事情を話せない以上、遥のもとには帰れない。
「どうだろうか、ここにいてくれるかい?」
「・・・」
当然、即答はできなかった。
自分の性格を考えると結論は見えているけれど、それでも迷う気持ちは消えなかった。