コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「いい匂いですね。……僕にも何か手伝えることがありますか?」
気が付けば、布団を端に避け終わった不破が日和美のすぐ後ろに立っていて、日和美の手元を覗き込んでいた。
思わず「ひゃっ!」と小さく声を上げて肩を跳ねさせたら、不破に悪戯っぽくクスクス笑われてしまう。
(あーん、王子っ、その笑顔は反則ですっ)
心の中、(まるで新婚さんみたいっ!)とキュンキュンしながら、日和美はさっきレンジから取り出したひじきの煮物にちらりと視線を投げかけて。
「食器棚に小鉢が入ってるんですけど、それにアレ、盛りつけてもらってもいいですか?」
キッチンの引き出しからとりわけ用の箸を出して不破に渡したら、「お安い御用です」とまたしてもキラースマイル。
(ぐっ。心臓がっ)
何て思っていたら、危うくしょうが焼きを焦げ付かせてしまうところだった。
ピピピッと背後で電子レンジが『お忘れではないですか?』とアラートを響かせてきて、日和美は焼きあがったしょうが焼きの火を止めるとレンジの庫内からしんなり解凍された茹でほうれん草を取り出す。
不破に言ってもうひと揃え小鉢を出してもらってから、解凍したばかりのほうれん草の水気を軽く絞ってそこに入れて。
上からめんつゆを適量垂らして軽く混ぜると、ひとつまみずつ削り節をトッピングした。
「日和美さん、昨夜も思いましたが本当に料理の手際がいいですね」
小鉢にひじきの煮物を盛りつけた不破が、日和美の料理の腕前に感心したように吐息を落とす。
「全部祖母の受け売りばかりです」
沸き立てのお湯を味噌玉入りの汁椀に注ぎながら照れ笑いを浮かべたら、「おばあ様……?」とキョトンとされた。
「あ、うち父子家庭だったんです。それで私、小さい頃からずっと祖父母の家で育ったので……」
日和美にとっては何でもないことだったのでさらりと言ったら、不破に申し訳なさそうな顔をされてしまった。
「すみません。僕、不躾にも立ち入ったことをお聞きしてしまいました」
しゅんとする不破に
「全然っ。むしろおばあちゃんと暮らせてめっちゃ幸せだったのでお気になさらずっ。――あ、お味噌汁、食べる前によくかき混ぜてくださいね」
ニコッと笑いながら汁椀を差し出したら、不破が淡く微笑んだ。
しょうが焼きを一人前ずつ皿に盛りつけてリビングのローテーブルに並べて。
買ってきたばかりの夫婦茶碗にご飯をよそって二人でお行儀よく「いただきます」をする。
不破(と日和美)が寝起きした布団はえっちらおっちら日和美が頑張って禁断の園――和室――に移動済みなのでリビングはいつも通りそこそこに広々としているのだけれど。
横並びに座って、不破のすぐそばで朝食を食べるとなると何だか緊張してしまった日和美だ。
「私にとっては記憶を失くしてる不破さんの方がもっとしんどいと思います」
綺麗な所作で味噌汁をかき混ぜる不破を横目にさっきの話の続きみたいにつぶやいたら、「日和美さんが良くしてくださるので案外平気なんですよ?」と穏やかな笑みを返される。
(社交辞令だとしても、不破さんってば何て優しいの!)
そう思った途端、それと引き換えのように日和美の中でルティのことを黙っているのが申し訳ないという気持ちがぶわりぶわりと増してくる。
(写真……。写真を撮ったらちゃんと話そう)
もしも不破が一人暮らしで……ルティが自分では何も出来ない庇護のいるような存在――犬や猫のような――だったら、今こうしている間にもお腹を空かせて鳴いているかも知れないではないか。
ひじきの煮物を口にしながら、日和美は今更のようにそんなことを思った。
***
「撮りますよ~? いいですか? ハイチーズ!」
カシャッ!
スマートフォンの自撮り機能を駆使して不破と二人、〝記録用の写真〟を数枚撮って。
日和美的にはもっともっとたくさん撮りまくりたかったのだけれど、一応自粛して十枚以内に抑えておいた。
撮った写真を見比べてどれを刷るか迷った挙句、どの不破もカッコよくて選べなかった日和美は、結局全てを印刷したのだけれど。
不破はその中から一番最初に獲ったものを迷いなく抜き取った。
何でも二人が一番〝自然体で〟写っているから、らしい。
「とりあえず。僕はこれを頂きますね」
まるで次があるみたいな含みのある言い方をして、出来立てホヤホヤの写真の裏にすぐさま『日和美さんとぼく①』と書き添える不破を見て、日和美は彼が病院で言ったことを嘘偽りなく有言実行してくれることが嬉しくて堪らない。
(①ってことは②とか③とか……今からどんどん増えていくと思ってもいいの?)
何だかずっとそばにいてくれると言われたみたいで、日和美の心がじんわりと温かくなる。
日付は表面に印字されるように設定して刷ったので省いたらしい不破が、『日和美さん』と見出しみたいに書いて、その下に『・』を打って行頭文字みたいにするから。
基本細かいことはあまり気にしない性分の日和美も、さすがに(ん⁉︎ 何事!?)とソワソワしてしまう。
『日和美さん
・気前が良すぎて心配(今日だけでぼくに病院代込みで五万円以上の出費あり。記憶が戻ったらちゃんとお返しする事)
・料理がとても上手(手際が良い)
・ぼくに何か――』
そこまで書いて日和美の視線に気付いたらしく、手を止めた不破が「何だか照れ臭いので、続きは日和美さんがいらっしゃらないときに書きます」と、スッと写真を引っ込めてしまう。
思わず「えっ⁉︎」とつぶやいて、心の中で『不破さん、〝ぼくに何か〟の続きは何ですかーっ!?』と盛大に叫んだ日和美にニコッと微笑むと、「今日のレシート。コピーでもいいので後で明細を頂きたいです。僕が記憶を取り戻したら、絶対必要になるので」と真剣な顔で日和美を見詰めてくる。
「あ、あのっ、そんなの……」
「どんぶり勘定でいいですよ、とかいうのはナシですからね?」
――気にしなくていいです、テキトーで。
そう続けようとした日和美だったけれど、不破に先手を打たれてグッと言葉に詰まる。
この几帳面な感じ。まるで小さな商店を営んでいた祖母みたいだなと思ってしまった日和美だ。
父が祖父母に頼まれて買い物などをしてくると、祖母はレシートの提示を必ず求めて一円単位まできっちり計算して立て替えてもらった分のお金を返していたのを覚えている。
『端数なんか切り捨てればええのに』
そう父が漏らすたび、『和彦。一円を笑う者は一円に泣くんよ?』と父の名を呼びかけて、まるで子供にするみたいに諭していたっけ。
(不破さん、ますます貴方に対する謎が深まるばかりですっ)
北欧かその辺りの国の、金髪碧眼王子様さながらの外見の彼から〝どんぶり勘定〟などという言葉が出たことも。
ましてやそんな彼が、まるで庶民みたいに細かい金額まで気にしてしまうことも。
(あっ――!)
そこで日和美はハタと気が付いた。
(そうか。そうなんだ。だからなんだ)
妄想を暴走させた挙句一人勝手に納得して、不破を切ない目で見詰める。
「日和美さん?」
急に憐憫のこもった眼差しを向けられた不破は混乱しまくり。
(王子っ。皆まで言われなくても日和美は分かりました! 王子はきっと財政難に苦しむお国の出身なのですねっ!? だからこれ程までに庶民的でいらっしゃるんだわっ)
日和美の中では、先代の王が傾城傾国の美女にたぶらかされて、王妃である不破の母親や、息子である不破に慎ましい生活を求めている姿が、ちょっと手を伸ばせば触れられそうなくらいありありと浮かんでいた。
王子の国は、きっと冬になると大雪に閉ざされてしまうような風土に違いない。
だからこそ、彼は抜けるような白い肌をしていらっしゃるんだ。
そんな勝手な思い込みのもと、日和美脳内劇場では、今まさにろうそく一本の頼りない灯火のもと、小さなパンを幼い妹と分け合って食べる不破の姿が思い浮かんで。
場面転換後。
暖房設備も満足に整わない部屋の窓を冷たい木枯らしが容赦なく叩く夜に――。
薄っぺらい毛布にくるまって震える年端の行かない妹――名前はきっとルティ!――をすき間風から守るように抱きしめて眠る優しい兄としてのふわふわ王子の姿も、まぶたの裏にクッキリと焼き付いてしまった。
***
「王子っ! 私、来週からお仕事、死ぬ気で頑張りますねっ!?」
――貴方を養うために!
心のままに、日和美はつい目の前で困り顔をしている不破を置き去りに、〝王子〟などと口走ってしまったことにも気付けなかったのだが。
そんな日和美の言葉に触発されたように、不破は小さく息を呑んでから「仕事……。こんな状態ですけど僕も何か出来ることがないか求人情報をチェックしてみます」とつぶやいた。
***
写真を撮った日の夜。
日和美は寝室の中を見られないよう細心の注意を払いながら最高危険地帯から不破用の布団を一式運び出した。
よたよたする日和美を気遣いながらも自分の布団を受け取ってリビングの片隅に寝床をこしらえ始めた不破へ、意を決してルティの名前を出してみた日和美だ。
不破の様子をソワソワと窺いながら、『この名前に心当たりはありませんか?』と尋ねてみた日和美だったけれど、不破は拍子抜けするぐらいその名に反応を示さなかった。
(ルティは庇護対象じゃないのかな……?)
もしそうならば、不破の性格を見ているとぴんと来ないこと自体不思議でたまらなくて。
(だったらルティって一体何なんだろう?)
日和美はそのことに安堵したと同時、〝ルティ〟が不破の記憶のカギになりえなかったことを落胆して。
何にせよ、もうしばらくは不破との同棲生活が続けられそうなことにホッとした。
***
あれから数日。
「じゃあ、行ってきますね」
いよいよ日和美が社会人としての第一歩を踏み出す日がやってきた。
身元は定かでないまでも、そんな自分でも出来る仕事を探したいと申し出てきた不破に、そんなに焦って無理なさらなくてもいいのにと思いつつも、不破自身に直で繋がる連絡先の必要性は感じた日和美だ。
思い立ったら動かずにはいられない性分。
日和美は、写真を撮った翌日には不破とともに自分が使っている携帯キャリア――doconoショップに出向いて、もう一台携帯電話を契約したのだけれど。
機種はほぼ無料に近いもので勘弁してもらった日和美だったのに、実際与えられてばかりの不破からは恐縮されまくりで。
「本当にすみません」
そう眉根を寄せられた時にはびっくりしてしまった。
「私が不破さんと連絡取りたくて勝手にしてることです。謝らないで?」
不破をなだめながらも、彼の言いたいことが痛いほど分かる日和美だ。
もし逆の立場だったなら、日和美だって相手に対して負い目ばかり感じてしまっただろうから。
「本当、一日でも早く何か仕事をみつけないと、今の僕って、完全に日和美さんのヒモ状態ですもんね」
(ひ、ヒモ!?)
ちょいちょい思うのだが、不破は彼の外観イメージに合わない意外な言葉を結構知っている。
(王子、日本に来て長いのかなぁ)
勝手に不破のことを外国人だと決めつけている日和美は、ぼんやりとそんなことを思って。
「あの……くれぐれも無理だけはしないでくださいね? 私、不破さんに何かあったらめちゃくちゃ泣いちゃいます」
出先で不意に記憶が戻って、そのままアパートに帰って来なくなってしまったら……とか思ったら、不安でたまらない。
(出来ることなら閉じ込めてしまいたいくらいですっ!)
などと過激なことを考えているだなんて、バレるわけにはいかないではないか。
「はい。気を付けます。出かける時は電話を絶対持って出ますし、それに――」
そこでカバンからゴソゴソと小さなアルバムを取り出した不破に、日和美は思わず目を瞠った。
それを見せてくれながら、スマートフォンとは別に、「日和美さんと撮った写真も肌身離さず携帯するようにします」と付け加えてくれた不破に、日和美は嬉しくて参ってしまう。
実は先日、通販サイトでスーツに合いそうな男性向けビジネスバッグと、カジュアルな服に合いそうなボディバッグも買ってしまった日和美だ。
いずれもどんな服にも合わせやすいよう黒いのを選んだのだが、不破はそのカバンに携帯電話だけではなく、百円ショップで買ってきたアルバムも入れて持ち歩くつもりらしい。
不破は記憶喪失になった際、身元の分かるものを一切持っていなかった。あの時せめて携帯電話を持っていたならば、今みたいな根無し草にはなっていなかっただろう。
それを踏まえた上での用心らしいのだが、実際そうしてくれると言われただけで、日和美はすごく心強くて。
(もし不意に記憶が戻られて私のことを忘れちゃったとしても……接点ゼロにはならない……よね? 写真には不破さんの手でメモ書きもされてるし)
そんな風に思ってしまった。
(そういえば不破さん、メモ書きの最後。「ぼくに何か」の後には何て書いたんだろう?)