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誰も知らない、高嶺の花の裏側2
第94話 〚静かな崩れ音〛(恒一視点)
おかしい。
恒一は、何度目か分からない違和感を、指先で転がすように考えていた。
机の上のノートは開いたままなのに、文字は一つも頭に入ってこない。
——今日は、起きるはずだった。
廊下での小さな衝突。
そこから生まれる視線。
澪が“動く”未来。
恒一の中では、それはもう「確定事項」だった。
澪は放っておけない。
放っておけないから、必ず動く。
動けば、周囲との距離がまた歪む。
——そのはずだった。
だが、昼休みが終わっても、
教室にざわめきは戻らない。
誰も騒いでいない。
誰も傷ついていない。
そして何より——
澪は、何事もなかったように席に座っていた。
(……は?)
恒一の眉が、わずかに動く。
視線は無意識に澪を追っていた。
俯きがちにノートを取り、
ペンを止めて考え、
小さく息を吐く。
“普通”だ。
あまりにも。
(違うだろ)
心の奥で、何かが軋んだ。
澪は、選ばなかった。
その可能性が、初めて頭をよぎる。
今までの澪は、
未来を見て、
それに縛られて、
結果的に自分を削ってきた。
恒一はそこを利用してきた。
いや、「導いてきた」と思っていた。
——距離を縮めるために必要な、自然な流れ。
なのに。
(動かない?)
黒板に書かれるチョークの音が、やけに大きく聞こえる。
教室の空気が、澪を中心に“静止”しているようだった。
計画が狂ったわけじゃない。
外されたのだ。
意図的に。
恒一は、笑いそうになるのを堪えた。
いや、正確には——
笑えなかった。
(選んだのか……?)
澪自身が。
それは、恒一にとって一番想定していなかった事態だった。
澪は弱い。
揺れる。
流される。
だからこそ、未来を与えれば従う。
従う限り、支配は成立する。
——なのに。
胸の奥に、冷たいものが落ちる。
澪は、未来よりも“今”を選んだ。
それはつまり、
恒一の用意した道を、歩かなかったということ。
(……面白い)
そう思った瞬間、
別の感情が混じった。
苛立ち。
焦り。
そして、得体の知れない不安。
視線の先で、澪がふと顔を上げる。
一瞬、目が合った。
澪は、すぐに逸らさなかった。
逃げない。
怯えない。
ただ、静かに見返してくる。
——拒絶でも、挑発でもない。
それが、恒一を一番苛立たせた。
(変わったな……)
いや、
変わり始めたのだ。
恒一は、ゆっくりと息を吐いた。
計算は、まだ終わっていない。
距離は、まだ弱点だ。
だが——
澪が「選ぶ」存在になった以上、
やり方を変える必要がある。
静かに。
確実に。
誰にも気づかれないように。
恒一の視線が、澪から、
その隣にいる海翔へと移る。
——守るから、信じるへ。
その変化もまた、
恒一の中で、新しい歪みとして刻まれていった。
教室の中で、
誰にも聞こえない音がした。
それは、
計画が、少しずつ崩れていく音だった。
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