「ごめん。そんなに泣かれると辛いから。あ、そうや。RBの曲弾くから!」
光貴がギターを取り出した。「待っている間暇やったから、久々にRBの曲おさらいしててさ。やっぱりいい曲やな。さっきまで弾いてた曲、弾くわ」
そう言って光貴が私にその場で弾いてくれた曲は、皮肉なことにも『Desire』だった。先ほどまで、博人との罪の舞台で歌った曲。
繊細で美しいクリーンギターの音が、あの時の歌を奏でている。
それが余計に罪深く思えてまた泣けた。
「わわ、ごめん。そうや、お風呂入っておいで。な? ゆっくり温まってきたらいいし」
彼に促され、バスルームへ行った。光貴が沸かしてくれたお風呂に入りながら、情事の痕跡を必死に消そうとしたけれど、新藤さんが私に付けた罪の跡(キスマーク)は、簡単に身体からは消えなかった。至る所に点在しているから、絶対わざと付けたのだと思った。
あの舞台のことは現実だったと、私に知らしめるために。
そして光貴と躰を重ねたりできないように。
抱き合えば絶対に見つかってしまうから。罪深きライブの痕跡を、光貴に見つかるわけにはいかない。
お風呂から上がってから、彼に裸を見られたりしないように注意しながら首の詰まった長袖のパジャマを身に着けた。これでなんとか誤魔化せる。でもそれをいつまで続ければいいんだろう。
でも私に傷つく資格はない。なんとしても光貴に悟られないようにしなきゃいけない。
「お風呂、沸かしておいてくれてありがとう。落ち着いたよ」
リビングでギターを弾きながら譜面を書いている光貴にお礼を言った。
「少しくらいは元気なった?」
「うん。なった。ありがとう」
「良かった」
ねえ。もう止めてよ。
私に優しく笑いかけないで。
もっと酷い言葉で罵って、傷つけてよ。
私、光貴を裏切った言い訳すらできなくなる。
そんなあなたと私はもう結婚生活を継続できない。
でもそのことをなんて伝えるの?
どうしたらいいの――
「ちょっといいかな?」
光貴が私を真剣に見つめ、リビングの対面に座るように言ってきた。
「話がしたい」
どんな話なんだろう。私の罪はすでに露呈しているのか、それとも――
背筋が寒くなり、さきほど温まった身体が一気に冷えて指先まで冷たくなった。どんな話を告げられるのか怖くて、私はのろのろと対面に座った。
「今日、昼過ぎには帰って来れるようにスケジュールを調整したから、帰ったら水子供養に行かない?」
「水子……供養」
「うん。僕、詩音になんもしてやれなかったから、せめて線香くらいはあげて、気持ちの整理を付けたいなって思ってさ。いつまでも骨壺を家に置いておくのも良くないと思うし、どうかな?」
「ありがとう。ぜひ、そうしたい」
毎日引きこもり生活だったから、供養に行くという考えに至らなかった。
改めて自分が嫌になる。
ただ『白い華』を聴いて、骨壺を抱きしめて、詩音を想うだけの毎日しか送ることができなかったから。
「あと、言葉が足りなくて言い方がすごく悪かったと思うけれど、僕の正直な気持ちを聞いて欲しい。断っておくけれど、君を傷つけようとかそんなつもりは一切ないから」
言われなくてもわかってる。光貴はそういう性格だってこと。
それなのに私は受け止められなかった。
「僕は、いつかまた二人の子供が欲しいと思ってる。詩音のことをなかったことにして頑張りたいとか、そういうつもりじゃなかった。ついあんな言い方になってしまったのは、明るく前向きな感じで言った方がいいって思ったから……ただ、それだけで」
「うん」
「詩音のことはすごく悲しいし、どんなことをしていても辛くなる時がある。でも僕は男やし、落ち込んで泣いてる暇はなくて、しっかり生活費を稼いで頑張ろうと思ってやってきたつもりや。努めて明るく振舞うことだけに全精力を注いでた。だから、すごく無神経な言い方になってしまって……反省してる。だから君の傷が癒えるまでは待つよ。また新しい命を授かった時は、もう二度とこんな悲しいことにならないようにしっかりサポートする」
私は否定も肯定もできず、頷くしかできなかった。
「未熟な僕のせいでとても辛い思いをさせてしまって、ほんとうにごめん。赦して欲しい。君がもう子供を作るのが怖くて嫌だと言うなら、無理強いはしない。これはあくまでも僕の気持ちやから。でも、しっかり伝えておこうと思って」
どうして今、そんなこと言うの。
「光貴……」
涙が溢れた。
もうなにもかもが手遅れだよ。
光貴を裏切って罪の愛に走り出そうとしている私の心は、もう誰にも止められない。
こうなる前にもっと早く聞きたかった。
新藤さんが白斗だと、私が十六年も前から好きな男性だと――その彼がくれる愛を知ってしまう前に、もっと早く。
自分の考えを口にするのが苦手な彼が、せいいっぱい、一晩中考えて打ち明けてくれた言葉は余計に重く心にのしかかる。
ごめんね、光貴。
光貴の望む未来のすべてに、私は応えられない。
最初から会わなければよかった。
そうしたらお互い苦しまなくて済んだのに。
誠実な彼を自己都合で裏切ってしまったことを、私はただひたすらに懺悔した。
ごめんね、光貴――