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地鳴らしが止まり、エレン・イェーガーが死んでから一年が過ぎた。
世界は、静かになったわけじゃない。
ただ、叫ぶ力を失ったみたいに、疲れ切っているだけだ。
俺は今、海の向こうの街にいる。
瓦礫は片付けられ、道には子どもが走り、露店からは焼けた肉の匂いが漂う。
平和、らしい。
車椅子の軋む音が石畳に響く。
足は、まだ思うように動かない。
指もいくつか失ったままだ。
だが、生きている。
それで十分だと、ようやく思えるようになった。
一年。
長いようで、短い。
ミカサは島に残った。
あいつはあいつの選んだ場所で、静かに時間を重ねていると聞く。
アルミンは外交の最前線に立っている。
世界と話す役目を引き受けた。
俺は――戦えなくなった兵士だ。
最初は、それが気に食わなかった。
刃を握れない手。
跳べない脚。
仲間は皆、前へ進んでいるのに、自分だけが取り残された気がした。
だが、ある日、孤児院で子どもに袖を引かれた。
「おじさん、兵士だったの?」
……おじさんか。
否定できる歳でもねぇ。
「昔な」
そう答えると、そいつは目を輝かせた。
「強かった?」
少し考えてから答えた。
「まあな」
嘘じゃない。
だが、それが誇りかと問われれば、分からない。
強さで救えなかった命が、あまりにも多い。
地下街で生き延びるために身につけた力。
仲間を守るために磨いた技。
最後に残ったのは、傷だらけの身体と、この世の真実に近づくために心臓を捧げた仲間たちの記憶。
夜になると、顔が浮かぶ。
エルヴィン・スミス。
あいつの背中は、今も鮮明だ。
選択を迫られたあの瞬間を、忘れたことはない。
正しかったのか、なんて問いは、もうしない。
正解なんてなかった。
あるのは、選んだという事実だけだ。
エレンの最期も同じだ。
あいつは、自分の選択で世界を踏み潰し、そして仲間たちに止められた。
俺はあいつを止める側に立った。
それでいい。
それしかなかった。
一年経っても、答えは変わらない。
だが、怒りは薄れた。
代わりに残ったのは、疲労と――静かな空白だ。
午前中は、リハビリをしている。
杖を使って数歩進むだけで、息が上がる。
情けない。
だが、立てるだけで十分だと医者は言う。
午後は、孤児院を手伝う。
戦争で家族を失った子どもたち。
あいつらは、泣かない。
泣き方を知らない顔をしている。
俺は掃除をする。
食器を拭く。
静かに床を磨く。
それくらいしかできない。
それでも、子どもが笑うと、胸の奥が少し軽くなる。
兵士じゃなくても、役に立てるらしい。
夕暮れ、港へ向かう。
海は、あの日と同じ色をしている。
初めて壁の外を見たとき、あいつらは何を思ったんだろうか。
自由。
その言葉は、もう軽々しく使えない。
自由は、誰かの犠牲の上に立つ。
俺たちは、それを嫌というほど知った。
潮風が頬を撫でる。
エレンが見たかった景色は、これだったのか。
違う気もするし、同じ気もする。
あいつは最後まで、分からない奴だった。
だが、あいつがいなければ、ここには立っていない。
皮肉なもんだ。
港のベンチに腰を下ろす。
杖を脇に置き、目を閉じる。
静かだ。
巨人の足音も、砲撃の音もない。
代わりに、波の音がある。
それだけで、胸が締めつけられる。
「兵長!」
振り返ると、孤児院の子どもが走ってくる。
息を切らし、笑っている。
「転ぶぞ」
言ったそばから、つまずく。
反射的に手を伸ばす。
間に合う。
抱きとめる。
その軽さに、一瞬息を呑む。
守れた。
ただ、それだけのことなのに。
子どもは笑い、また走っていく。
俺は、しばらく立ち尽くしたままだった。
守れた命が、ここにある。
守れなかった命も、山ほどある。
どちらも消えない。
消えなくていい。
背負ったまま、生きる。
それが、生き残った奴の役目だ。
夜、灯りの消えた街を見下ろす。
一年で、世界は少しだけ前に進んだ。
争いはまだ燻っている。
憎しみは消えていない。
だが、それでも人はパンを焼き、子どもは笑う。
それでいい。
完全な平和なんて幻想だ。
だが、明日が来る。
それだけで十分だ。
俺は杖を手に取り、ゆっくり歩き出す。
戦場はもうない。
代わりに、日常がある。
刃を振るう代わりに、床を磨く。
命を奪う代わりに、命を支える。
それが、今の俺の戦いだ。
エレン。
お前が望んだ世界がこれかどうかは知らねぇ。
だが、少なくとも、子どもが笑っている。
それで、少しは報われるか。
夜空を見上げる。
星は、あの日と同じ場所にある。
俺は目を細め、小さく息を吐いた。
生きている。
まだ、生きている。
それだけでいい。
明日も、歩く。
遅くても、杖をついてでも。
俺は、ここで生き続ける。