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るりさん、第25話読み終えました…! 勇斗が徹夜で組み上げた「優先交渉権」の提案、本当にドキドキしながら読んでました。役員の「所有ではなく隣で仕事をしたい」っていう言葉に、すごくグッときました。 あと、部長が「あれを使わずに済んだな」って言ったシーン…勇斗が使わなかった選択をちゃんと理解してる人がいて、ホッとしました。仁人との約束を守ったんだなって思えて。静かな熱さが詰まった回でした🥀🤍
第5部 選択
第24章 優先交渉権
二月十三日、午前十時。
ヴェルディエ本社の会議室には、四人の男が座っていた。
事業開発担当役員。ヴェルディエ・ベンチャーズの責任者。部長。それから、勇斗。後輩のアナリストは、部屋の隅で、資料を抱えていた。
窓の外に、二月の白い空が広がっている。
「では、始めます」
勇斗は立ち上がった。ホワイトボードは使わなかった。
手元に資料が一冊。徹夜で作った最終版だ。
「提携案の骨格は、先日お渡しした通りです。今日は、細部を繰り返さず、皆さまの疑問に答える形で進めさせてください」
役員が頷いた。
「では、率直に聞こう」
役員は、資料に指を置いた。
「私たちは、二割五分を持つ。ただ、経営は握れない。重要な決定を、単独では止められない。それで、いいのか。買収なら、全部私たちのものになる」
「買えば、全部手に入ります」
勇斗は答えた。
「ただ、手に入るのは会社の外側です。デザインも、外との窓口も、中を回す力も、三人の人間の中にあります。三人が離れたら、残るのはブランド名と倉庫の在庫だけです」
「……」
「握らないことが、この案の価値です。握らないから三人が残る。三人が残るから、収益が積み上がります」
役員は静かに頷いた。
「二つ目。独占ではないのか」
「独占ではありません」
勇斗は、資料の一行を指した。
「優先交渉権です。将来、Lueurが会社の売却を考えたとき。ヴェルディエが、最初に交渉できる権利のことです。他の買い手と話すこともできます。ただ、その前にまず、ヴェルディエに声をかける」
独占交渉権は、他の買い手との話を禁じる。
優先交渉権は、順番を与えるだけだ。似ているが縛りの強さが違う。
「なぜ、独占にしなかった」
「独占にすると、彼らは閉じ込められたと感じます」
勇斗は言った。
「閉じ込められた才能は、いつか離れます。順番を約束して、扉は開けておく。そのほうが、ヴェルディエは、長く彼らといられます」
役員は少し笑った。
「三つ目。海外店舗での販売」
「ロイヤルティ方式です」
勇斗は続けた。
「ロイヤルティ、つまりブランドの使用料です。ヴェルディエの店舗で、Lueurの製品を売る。その売上の一定割合をLueurに払う。ヴェルディエは在庫を抱えず、Lueurの名前で売れる。Lueurは、世界に届く」
役員は資料をめくった。
「……悪くない」
ぽつりと言った。
「工房長は何と言っている」
「月に二百点なら問題ないと。手で作るものと、型で作るものを分ける案は、仁人さんがその場で出しました」
「あの男か」
役員は少し目を細めた。
「……面白い男だ」
「もう一点、よろしいでしょうか」
部長が口を開いた。
部屋の空気が少し変わった。
勇斗は視線を動かさなかった。動かさずに、背中の筋肉が固くなるのを感じた。
「二年前の件です」
来たと思った。
「LueurのCOO、仁人。彼は、初回の面談で、御社とは初めてですと答えました。ベンチャーズの記録では、二年前に資金調達の協議をしています。これは、」
「その件は」
役員の声が、部長の言葉を遮った。
穏やかな声だった。大きくはなかった。ただ、部屋の全部を止める声だった。
「ベンチャーズの責任者から全部聞いた」
部長が口を閉じた。
役員は、隣に座る責任者を見た。責任者は静かに頷いた。
「私は、あのメモを読んだ」
役員は、湯呑みに手を伸ばした。
「三千万円を希望。新株は発行しない。自分の株を先に譲る。個人的な報酬は求めない。買い戻す権利は、他の二人の名義で」
一字一字、確かめるように言った。
「私は、投資の世界に三十年いる。いろいろな若い経営者を見てきた。自分の持ち分を、守ろうとする者は多かった。自分の持ち分を、先に差し出す者は初めて聞いた」
勇斗は何も言えなかった。
「そういう人間が、契約で嘘をつくとは思えない」
役員は、湯呑みを静かに置いた。
「初回で、私が、弊社とは初めてのご縁だと言ったのは私の認識違いだ。あの若いCOOは、それに合わせただけだろう。私の間違いを、あの場で訂正させる道はなかった」
「……」
「それを理由に交渉を歪めるのは」
役員は部長を見た。
「私の恥だ」
部屋が静かになった。
部長はしばらく黙っていた。それから、ゆっくり椅子の背にもたれた。
「……失礼しました」
短く言った。
勇斗は息を吐いた。気づかないうちに止めていたらしい。
役員が勇斗を見た。
「勇斗くん」
「はい」
「君は、記録を見たあと、私に何も言わなかったね」
穏やかな目だった。
「使えば有利になると、分かっていたはずだ」
「……はい」
「なぜ、使わなかった」
勇斗は少し考えた。
「使えば、三人が壊れるからです」
正直に言った。
「それと」
「それと」
「……いえ、何でもありません」
無意識に口から出そうになった言葉を飲み込み、とっさに取り繕った。
言おうとしたことがあまりにも感傷的で、勇斗は自分の耳が熱くなるのを感じた。
役員は静かに笑った。
「そうか」
それだけだった。
「この方向で、進めよう」
役員は、そう言って資料を閉じた。
「取締役会には私が諮る。勇斗くん。工房と、共同ラインの細部を詰めてくれ。パリのディレクターにも、私から連絡しておく」
「承知しました」
勇斗は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。私は、いい買い物をしただけだ」
役員は笑った。買収ではない。けれど、確かに買い物だった。長く続く買い物。
「あの三人に伝えてくれ」
役員は付け加えた。
「ヴェルディエは、彼らを所有したいのではない。隣で仕事がしたいのだと」
会議が終わった。
役員と責任者が、部屋を出ていく。後輩が、資料を抱えて廊下に先に出た。
部屋には、勇斗と部長だけが残った。
部長は窓の外を見ていた。
「……勇斗」
「はい」
「初年度の数字」
部長は振り返らなかった。
「覚えておけよ」
「はい」
「五年後、あれが間違っていたら」
「責任を、取ります」
「……ふん」
部長は鼻で息をついた。それから勇斗のほうを向いた。
「机の中の、あれ」
「はい」
「使わずに済んだな」
勇斗は、少し目を見開いた。
「使う気はあったんですか」
「なかったとは言わん」
部長は、にやりと笑った。
「ただ、役員に遮られてよかった。あれを使っていたら、お前は、俺のところを辞めていただろう」
勇斗は答えなかった。答えられなかった。図星だった。
「行け。三人のところへ」
「はい」
勇斗は部屋を出た。
エレベーターの中で、後輩が言った。
「やったっすね、勇斗さん」
「まだ、半分だ」
「半分でも、やったっす」
後輩は満面の笑みだった。徹夜明けの目の下の隈が、濃かった。それでも笑っていた。
「勇斗さん、いい顔してるっすよ。最近」
「そうか」
「はい。前は、ずっと営業用の顔だったんで」
勇斗は笑って、後輩の肩を軽く叩いた。
勇斗は、エレベーターの鏡張りの壁を見た。
自分の顔が映っていた。確かに笑っていた。営業用の笑顔とは違う顔だった。
スマートフォンが震えた。
仁人だった。
『こちらも準備できています。三人、揃っています』
短い一行。
勇斗は、その文字をしばらく見つめた。
三人。舜太と柔太朗と仁人。
あの三人に、この形を渡しに行く。
買収ではない形を。奪うのでも、暴くのでもない形を。
エレベーターの扉が開いた。
外の光が少し眩しかった。勇斗は歩き出した。