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金色の玉座を思わせる椅子に深く腰掛ける鳳公爵夫人の姿は、帝都の夜を統べる主そのものだった。
夫人が纏っているのは、深紅のベロア生地で作られた最高級のイブニングドレス。
胸元には大粒の珊瑚をあしらったアンティークブローチが輝き、おそろいの珊瑚のイヤリングも貴重な物。
手にした黒檀の扇を閉じるだけで会場の空気が張り詰めるほど、周囲の者を威圧する女性だった。
「入場の許可をいただき、身に余る光栄に存じます」
鳳夫人の御前へと進み出た千歳の父、斎宮権蔵はわざとらしく肩を震わせ、ハンカチで目元を拭う。
「神楽坂閣下のもとへ嫁ぐはずだった娘が、道中であやかしの呪いにあてられ、不運にも息を引き取りまして……」
「まあ、なんてこと!」
驚きを隠せない鳳夫人の前で権蔵は堂々と嘘を並べ立て、せっかく縁談をいただいたのに不幸な出来事だったと涙ながらに語った。
「鳳公爵夫人のお力で、どうか残されたこの百合子に良き御縁を……」
大切に育てていた長女を失って悲しいが、次女には長女の分まで幸せになってほしいと義母は懇願する。
これで名門へ嫁入りできると、百合子は俯きながら笑みを浮かべた。
「それより、斎宮家に娘が二人いたことに驚いたわ」
死を報告しに来た長女の顔を社交界の誰も見たことがないなどあまりにも不自然だという鳳夫人の鋭い指摘に、周囲の貴族たちも顔を見合わせる。
「え、えぇ、病弱な娘でして」
「あら、娘が二人いるのに病弱な方を嫁がせようと? それは、神楽坂家に対する侮辱じゃないかしら?」
鳳夫人の冷徹な一言に、権蔵の背中に嫌な汗が流れた。
会場の入り口がざわつき、警護していた隊員たちが一斉に背筋を伸ばす。
最敬礼の姿勢を取った隊員たちの姿に、鳳夫人は口の端を上げた。
「神楽坂鷹臣閣下、ならびに公爵夫人、御入来!」
朗々と響き渡る先触れの声。
その『夫人』という聞き捨てならぬ響きに、権蔵は激しい動揺を覚えながらも大階段を見上げる。
視線の先に現れた二人の姿を認めた瞬間、権蔵だけでなく義母も百合子も、心臓を冷たい手で掴まれたように凍りついた。
漆黒の軍礼装に身を包み、周囲を平伏させるほどの峻烈な威圧感を放つ鷹臣。
そして鷹臣に腕を絡ませながら凛として立つ女性。
天蚕糸の薄絹が歩くたびに白銀の光を放ち、螺鈿を散りばめた帯が虹色に煌めく。
美しい着物を着こなした千歳の姿に、会場の至る所から感嘆の吐息が漏れ出した。
「……う、そ……」
死んだはずの千歳の姿を見た百合子は目を見開く。
何より計算外だったのは、恐ろしい鬼神と噂されていた鷹臣が、帝都中のどの貴族よりも冷艶で魅力的な男であったことだ。
千歳が纏っているのは、帝都の屋敷を一軒買い取れるほど価値がある最高級の着物ではないだろうか。
財力もあり、若くして公爵な見目麗しい男。
彼こそが百合子が望む条件の男性だ。
「……私の方が……」
私の方が彼の妻にふさわしいと、千歳なんかにはもったいないと百合子はギリッと奥歯を鳴らした。
「さっき『急逝した』と仰らなかったかしら?」
鳳夫人は冷たい目で権蔵を見ながらゆっくりと立ち上がる。
「では、そこを歩いている女性は、一体誰かしら?」
周囲の貴族の同情は、一瞬にして軽蔑と嘲笑へと変わった。
「死んだと嘘をついて同情を誘うなんて」
「なんて卑しい」
ヒソヒソと囁かれる言葉が斎宮家を追い詰める。
逃げ場を失った権蔵は、顔を屈辱に赤黒く染めながら身体の横で拳を固く握りしめた。
「鳳夫人。今宵は随分と嗜好を凝らした『もてなし』だな」
鷹臣の低く、芯の通った声が響き渡る。
その言葉が放たれた瞬間、会場の空気が物理的な重圧となって斎宮家にのしかかった。
「お気に召したかしら? 招かれざる客だったけれど」
蔑むような視線でチラッと権蔵を眺めた鳳夫人は、すぐに鷹臣の隣にいる女性に視線を向けた。
「さぁ、閣下の至宝を早く紹介してちょうだい」
鳳夫人は扇子の端で艶やかに唇をなぞり、愉悦に満ちた声を出す。
「お初にお目にかかります。神楽坂鷹臣の妻、千歳と申します。本日はお招きいただき、心より感謝申し上げます」
千歳は背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、両手を膝の前で静かに重ね、指先を揃えた。
視線を鳳夫人の足元へと落とし、衣擦れの音さえ立てぬほど緩やかに腰を折る。
螺鈿の帯がシャンデリアの光を反射し、流れるような所作と共に天蚕糸の裾がわずかに揺れた。
「まぁ、素敵なお嬢様」
習ったばかりの作法を完璧に成し遂げた千歳の凛とした立ち振る舞い。
その汚れなき気品に、鳳夫人は満足げに頷いた。
「皆様、騙されないで! この女には醜い痣があるのよ!」
静まり返った会場で、百合子は千歳を指差し周囲を必死で見渡す。
「……それは極度の栄養失調状態でできた内出血のことか?」
「な……何を言っているのよ! 呪いよ! 呪いの痣よ!」
昔からあるのだと百合子は大きな声で喚きながら、千歳をジロッと睨んだ。
「帝都で最も信頼の置ける軍医に診察させた」
鷹臣は懐から取り出した軍医の署名入りの書状を、鳳公爵夫人の前に差し出す。
そこには、帝国陸軍軍医の署名と共に、残酷なまでの真実が記されていた。
栄養不足で血管がもろくなっているにも関わらず、劇薬に近い安物のおしろいを厚く塗ることを強要され、肌が悲鳴を上げた状態だったこと。
おしろいを落とすために冷水で強く顔を洗うことで、さらに内出血が起きていたこと。
それが長年にわたり続いた状態で、薬を服用するよりも、まずは栄養を摂らせることが最優先だという軍医の診断に、鳳夫人は絶句した。
「斎宮家は娘を虐待していたというの……?」
鳳夫人の言葉に、周囲の貴族たちの冷え切った視線が斎宮家に突き刺さる。
「まさか、虐待だなんて。そんなことするはずがありませんわ」
違うわよねと念を押すように、義母は鬼のような形相で千歳を睨みつけた。
「なんであろうと、嫁入りしたのは事実! 未だに結納金を支払わない神楽坂家の方が非常識ではないか!」
「両手を縛ったまま雪の中に薄着一枚で放置し、殺そうとしたおまえたちに結納金を支払えと?」
鷹臣の冷徹な殺気が会場に広がる。
貴族たちの視線は、同情など微塵もなく、まるで汚物を見るような忌避感へと変わった。
「くそっ、くそっ、くそぉぉぉ!」
貴族たちを突き飛ばしながら、なりふり構わずテーブルに突っ込んだ権蔵は、懐から黒い香を取り出し、燃え盛るランプの火の中へと叩きつけた。
ランプから立ち昇る不気味な黒色の煙。
それは意志を持つ蛇のようにのたうち回り、会場のシャンデリアをまたたく間に曇らせた。
「この香り……まさか怨嗟の香……?」
煙を浴びた権蔵が喉をかきむしりながらのけぞる姿に、鷹臣は眉間に皺を寄せる。
「あなた!」
「お父様!」
権蔵の皮膚を黒い血管のようなものが這い回り、人としての形を失っていく姿はまるで地獄絵図のようだった。
権蔵の強欲さと憎悪が怨嗟の香で膨れ上がる。
「バケモノよ!」
「早く、外に!」
肉体ごと乗っ取られた瞬間を目の当たりにした義母と百合子、そして周りの貴族たちは、一目散に逃げだした。
「……愚かな。自らあやかしになるとは」
震える千歳を庇うように一歩前へ出た鷹臣は、手袋を脱ぎ捨てると腰の軍刀を一気に引き抜く。
あやかしの瘴気に当てられた鷹臣の内なる『鬼』が呼応するように昂ぶり、手の甲の紋章がドクンと脈打うのが見えた。
「鷹臣様……」
千歳の目の前には、あやかしになった父。
つい先ほどまで、傲慢にも声を張り上げていた「人間」だった父だ。
まさか人があやかしに変わってしまうなんて。
そのおぞましい現実に思考は止まり、逃げることさえ忘れて震えることしかできない。
豪華絢爛な夜会会場は、一瞬にして戦場へと変貌した。
コメント
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ああ—読んでてぞくぞくしました。鳳夫人の冷たい追及が痛快で、千歳が凛と登場する場面は思わず息を呑みました。義妹の百合子が鷹臣の美しさに嫉妬で歪むところも、キャラの心情が生々しいです。娘を売り物扱いした父親が、自らの憎悪で鬼になる皮肉。千歳の震えと鷹臣が庇う一歩が切なくて胸に残ります。次が待ち遠しいです!
#心理戦
鬼霧宗作
94
#成り上がり
aohana
1,207
カイガ
1,432