テラーノベル
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────9月中旬。いつもの農作業の後、俺は今日もまた菊の病室に向かっていた。
廊下の一番奥の扉を開け、更に仕切りのカーテンを開けると、忽ち現れる彼の姿。
「菊!」
俺が呼ぶと、菊は振り向いた。そして俺が持っているものを目にして、目を見開いた。
「わぁ…………ススキ、ですか」
「そうなんだぜ!今日は中秋の名月だろ?」
ふわりと揺れる、黄金色の穂。その辺の原っぱから刈り取ってきたそれを、俺は戸棚に置かれた花瓶に挿した。
「せめて雰囲気だけでもと思って、持ってきたんだぜ。月見団子はこのご時世、贅沢品だから…………」
「いえ、愉しいものを持って来てくれて、有り難う御座います。貴方の気持ちが、私は嬉しいです」
「…………それはどうもなんだぜ」
笑みを浮かべ、俺に礼を述べる菊。今日は体調が良いのか、いつもよりも健康的な肌色をしていた。
「…………そうだ、勇さん」
「どうしたんだぜ、菊?」
「その、貴方が良ければ……今晩私と一緒に、お月見しませんか?」
「…………お前と?」
「ええ、2階のあのバルコニーでです。先生と看護婦さんには事前に許可を貰いますので…………なので、どうですか?」
────愛しい愛しい菊からの、お誘い。答えは勿論、一択だけだ。
俺は笑って言った。
「勿論、行くに決まってるんだぜ!」
*
その日の晩のこと。
両親には付近を散策するとだけ話し、俺は家の外へ出た。虫の声が聞こえる中、夜の診療所へと向かう。
今宵は満月。いっそうと明るい月の光が、街灯の代わりに夜道を照らす(というかそもそもこの村、ド田舎なので街灯が一つも見当たらないのだ)。
やがて辿り着いた診療所。「菊君が待ってるわよ」と、あの壮年の看護婦に促され、 バルコニーへと繋がる階段を上っていく。
「来たんだぜ、菊!」
扉を開けた先には────寝台の縁に座りながら、俺があの時あげたススキを一房手に持ち、月を眺める菊の姿。
菊はこちらを振り向き、俺を視界に捉えると、忽ち柔和な笑みを浮かべた。
「こんばんは、勇さん。満月、綺麗に出ていますよ」
「本当なんだぜ!今日は晴れて良かったんだぜ!」
「…………ふふっ」
空を見上げれば、浮かぶのは丸い丸い月。見惚れるほどに、綺麗な綺麗な月。
「…………勇さん」
「うん?」
「私の隣に…………座ってくれますか?」
ぽんぽんと、寝台の脇の空いているところを、菊が掌で軽く叩く。
「良いのか?」
「せっかく二人で見るんですから…………」
「…………分かったんだぜ」
俺は頷いて、菊の隣に座る。二人分の重みで、寝台が少しばかり軋む。そして徐ろに、隣にいる菊を見る。月の光が、端正な顔を青白く映す。
「…………綺麗なんだぜ」
「ふふ、綺麗ですよね、月」
「月もそうだけど、お前もなんだぜ」
「…………えっ」
菊は驚いたように、こちらを向いた。俺は続ける。
「初めて会った時から…………お前のこと、綺麗だなって思ってたんだぜ」
「そ、そんな…………男ですよ、私」
「綺麗に男も女も関係無いと、俺は思ってるけど?」
「そ…………そうですか…………」
菊の頬が桃のように、忽ち紅く染まる。
チンチャ、キヨウォ────俺は心の中で、そう呟いた。
*
月を眺めて暫くした頃、ふと肩に感じた重み。
見ると、菊が────俺に身体を預け、眠っていた。すやすやと、穏やかで、静かで安らかな寝顔が、そこにあった。
俺は菊の身体をそっと抱き上げた。そして耳元に顔を近づけ、こう呟いた。
「오늘 밤은 달이 예쁘네요…………즉, 사랑한다…………」
そして頬にこっそり口付けを落とし、彼を病室に連れ帰るべく、その場を後にした。
刹那────微かに笑みを浮かべたのは、俺の気のせいだろうか。
そういえば、今日は一つもB29を見なかったな。
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