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────10月某日。診療所の入口近くにて。
「そろそろ焚べて良いと思うわよ、勇君」
「分かりました」
壮年の看護婦の言葉を合図に、燃え盛る落ち葉や枝の中に入れるのは、薩摩芋。
先日の農作業で収穫し、分けてもらったものだ。
「幾つ入れたの?」
「5つです。うち2つは、俺と菊とで食べます」
「そう、菊君もきっと喜ぶわ。甘い物を食べるのは、久しぶりでしょうから…………」
パチパチと弾ける音、香ばしい匂い。
美味しい芋だと言っていたので、食べるのが楽しみだ。
「貴方も食べて良いですよ」
「本当?有り難うね、勇君」
直後、ブゥンと轟く音がしたので空を見上げれば、やはり飛んでいるのは7機のB29。
奴等は何処まで、帝都を潰し尽くしたいのだろう。
*
「…………薩摩芋、ですか」
「そうなんだぜ!焼き立てなんだぜ!」
焼き上がった薩摩芋を、俺は軍手をはめた手で真っ二つに割った。
中から現れたのは、白い湯気を立てる、黄金色の中身。それを錫の匙で掬い、菊の目の前に差し出す。
「熱いから、気をつけてゆっくり味わうんだぜ、菊」
「…………ない」
ふぅ、と少しばかり冷ましてから、口に含む。そして暫く咀嚼した後、菊は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ふふ、甘くて美味しいです」
「良かったんだぜ。もう一口食べるか?」
「…………ええ」
菊の病状は、悪化の一途を辿っていた。この1ヶ月の間で、歩行が難しくなり、食欲も以前より落ちた。
看護婦の話によれば、検査をしたところ、背中の骨も結核菌に蝕まれていたという。
いわゆる「脊椎カリエス」と呼ばれる病である。
「勇さんは…………焼き芋、食べないんですか?」
「お前が食べ終わってから、食べるつもりなんだぜ」
「冷めちゃいますよ。貴方も熱いうちに食べて下さいな」
「…………分かったんだぜ」
菊に促され、真っ二つにしたもう片方を、軽く冷ましてから齧り付く。それでも案の定…………
「뜨겁다! 엄청나게 뜨겁다!」
「…………え?」
「…………あ」
思わず己の口から、洩れ出てしまった朝鮮語。菊との間に、暫し流れる沈黙。
「その…………今の言葉って…………」
「っ…………聞かなかったことに、して欲しいんだぜ」
「…………」
いたたまれなくてそっぽを向く俺を、見つめる菊。少しして、彼はこう口にした。
「…………勇さん」
「…………っ」
「私は貴方が何者であろうと…………貴方の親友ですよ」
「…………本当か?」
「ええ。だから…………『本当の名前』、教えてくれますか?」
本当の、名前────
「…………ス」
「はい?」
「ヨンス。イム・ヨンス。『勇ましい』の『勇』に、『洙泗の学(※)』の『洙』で、『勇洙』って書くんだぜ」
(※・・・孔子の学問。すなわち儒学のこと)
「…………良い名前ですね。勇ましく、そして儒教に倣って正しく…………貴方のご両親はきっと、貴方にこの世を力強く賢く生きて欲しくて、そう名付けたんでしょうね」
「菊…………」
「これからは…………本当の名前で、貴方を呼んでも良いですか?本当の貴方のこと、 私はもっと知りたい…………」
*
「…………勇さん!?」
「え、あ…………」
「ごめんなさい…………私何か、嫌なことを言ってしまったかも…………」
「っううん、違う、違うんだぜ…………」
「ち、違うって…………どういう…………」
「嬉しいんだぜ…………凄く…………」
俺の目からは、いつの間にかぼろぼろと、涙が止め処なく溢れていた。
菊が受け入れてくれた。俺が、朝鮮人であることを。
「…………っ、菊」
「な、何でしょう…………」
「俺の名前…………本当の名前…………今、呼んでくれるか?」
「今…………ですか」
「うん…………」
「…………ヨンス、さん」
「…………っっ」
俺は菊を抱き締めた。そして彼の肩に顔を埋め、嗚咽した。
「감사합니다…………菊…………有り難う、감사합니다…………!!」
「此方こそ、本当の名前を教えてくれて…………有り難う御座います」
「菊…………きく…………っ」
「改めて宜しくお願いしますね、ヨンスさん」
以前より細くなった腕が────俺の背中を何度も何度も、優しく擦った。
因みに放置された焼き芋がどうなったかは、最早言うまでもない。