経験上、インターホンが鳴ってから部屋に業者さんが辿り着くまでに五分近くかかるのを知っていたから、間に合うかな?と思いながらリビングに行ってテレビ下の四つの引き出しを左側から順に開けていく。
一言に「テレビ付近のキャビネットの引き出しの中」と言っても、壁一面が全面収納ボックスみたいになった作り付けの棚。
馬鹿でかい上にテレビも大きいから探すとなると結構大変なのです。
一つ目の引き出しは外れ。
蝋燭とか懐中電灯とか電池とかゴロッと入っていたから、緊急時に備えているのかしら?と思いつつ。
「一番右側だったら嫌んっ」
なんてひとりごとを言いながら二つ目の引き出しを開けたら、クリップや画鋲やホッチキスの針が入っていて、その中に小さな朱肉を見つけた私は「ここかも?」と思いながらガサガサしてみた。
そうして、雑多なものたちの下に隠されるように入れられていたものを見て、思わずフリーズしてしまう。
「え、何でこれがまだここに……?」
クリップなどの下。
半透明なクリアケースに挟まれた書類を手に取って、中身を取り出した私はその場にストン……とくず折れた。
印鑑を探していたことがポンッと頭から抜け落ちてしまうぐらいそれを見つけてしまったことはショックで。
そのままずっと動けずにいたら、インターホンが再度鳴って、宅配業者さんが玄関前に辿り着いたことを知る。
私は弾かれたように立ち上がると、手から取り落とした書類を床に広げたまま、玄関へ向かう。
意思のない機械仕掛けの人形みたいに惰性でドアを開けて、ペアマグ入りの段ボール箱を直筆サインで受け取った。
それをリビングまで持ち運ぶ気力もないままに玄関先にポトリと落として……。
エプロンも外さないままにフラフラと外へ出た。
背後でオートロックの玄関扉がバタン……と閉じる音を聞いて。
ぼんやりした頭で鍵をかけないでいいの、有難いな、とかどうでもいいことを思った。
エレベーターまでの内廊下をトボトボと歩いていたら、エプロンのポケットに入れていたスマホが振動して『印鑑、春凪には高いところに入れていましたが、無事見つけられましたか?』と宗親さんからメッセージが入る。
そこで、(あ、引き出し、下じゃなくて上の方のだったんだ……)と今更のように気付いたけれど、もうそんなのどうでもいいや。
(頭の中がぐちゃぐちゃで、返信する気になれません――)
私はエプロンを脱いでその場に落とすと、スマホを握りしめたまま茫然自失のままエレベーターに乗り込んだ。
(だって、ここには……居たくないんだもの)
***
ぼんやりと街を歩いていたら、だらりと伸ばした手の先、無意識に握ったままだったスマートフォンがブーッブーッと震えて着信を知らせてきた。
画面を見ると北条くんからで。
着信と一緒に表示されている時刻を見ると、同期会の時間を十五分ほど過ぎていた。
見つめる先、画面をポツポツと水滴が染めて……。
「雨……?」
そこで初めて雨に降られている事に気がついた。
家を出た時には一時間半以上ゆとりがあったはずなのに。
私、どれだけぼんやりと街中を彷徨っていたんだろう。
いつ降り出したのか分からない雨が、しっとりと身体を濡らしていた。
七月とはいえ、夜に濡れたままでいると体温を奪われてしまうらしい。
そう意識したら、身体がすっかり冷え切っていることに今更のように気がついた。
無断で約束の時間に遅れているのだから、どんなに億劫でもこの電話には出なきゃいけないって思って。
応答ボタンをタップしようと思ったら、指先が冷え切っていて凄く押しづらいことに驚かされる。
「……もしもし?」
それでも何とか通話に切り替えたら「柴田春凪。遅れていることに対して何か申し開きがあるなら今すぐ言え」と、どこか無機質にも感じられる事務的でぶっきら棒な声。
でも、逆にそのつっけんどんな物言いが今の私には有り難く感じられて。
「……連絡もせずにごめんなさい。その……家の方でトラブルがあって……。そこへは行けなくなりました」
Misokaに行ったら、異変に気付いた宗親さんに捕まってしまうかも知れない。
家を出る時の私、色々体裁を整えて出られていない――。
宗親さん、帰宅なさったらきっと不審に思われるはずだ。
偽装の妻である私を追いかけてきてくださるかどうかは分からないけれど……それでも可能性があるなら潰しておきたいと思ってしまった。
「ここには来られないって? それは一体どういう……。――あ、いや、言い辛いなら無理に言わなくていい」
北条くんは、私がMisokaに行けなくなった理由を聞こうとして、寸前のところで何かを察したみたいに一旦それを保留にしてくれた。
そうして、代替案を示すみたいに「じゃあどこなら平気なんだ?」と問いかけてくる。
耳を澄ませてみても、足利くんや武田くんの声が聞こえてこない。
代わりに微かに雨音と風の音が聞こえる気がするから、北条くんはこの雨の中、わざわざ店の外に出て電話をかけてくれているのかな?
そんな、どうでもいいことを思っていたら「お前、ひょっとしていま外か?」と自分が考えていたことと同じことを問いかけられて驚いた。
「あ、……はい」
思わずそれを肯定してしまってから「しまった」と気付いたけれど後の祭り。
「会場が変わればいいってことだな? みんなを連れて拾いに行ってやるからどこか雨がしのげるところに入って待ってろ。すぐに向かう」
有無を言わせぬ調子でそんなことを言われてしまって、私は困ってしまう。
「あ、あのっ、でもっ」
私、びしょ濡れだし……そうじゃなくても、今日はみんなとワイワイやれるような気分じゃないの――。
そう言おうとしたら「お前が主役の同期会だ。言い訳してる暇があったらさっさとどこで待つか言え」と畳み掛けられてしまった。
***
「久々に連絡して来たと思ったら理由は聞かずに服貸してって……。もぉ〜春凪ったらわけ分かんないぞっ?」
私は散々迷って、宗親さんと色々あって以来連絡を取れず終いになっていた、親友の坂本ほたるにSOSの電話をかけた。
ほたるのアパートはMisokaからも近いし、何より私が薄らぼんやりと歩いてたどり着いてしまったこのバス停が、【最寄りの交通機関】として不動産情報に載っていたような立地の物件。
北条くんには「参加するつもりじゃなかったから支度する時間を下さい」とお願いして、「一時間後に【双葉台のバス停】で」と約束をして、通話を切って。
その後、ダメ元でほたるに電話をかけてみた感じ。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!