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『トリセツ』
彼女が落ち着くまでに三十分程かかっただろうか。玄関のドアノブをつかみながら倒れて込んだ彼女の姿は、まるで迷い込んだ猫のようだった。
「来ないで、来ないで、」と弱々しい声で必死に訴え続けていた彼女は大分訳ありなようで、最初はこちらが「大丈夫。大丈夫だから」と言っても、そこから動こうとはしなかった。
それでも、昨日の出来事、ここがどこであるのかなどゆっくり彼女に説明すると、少しは信じてくれたのか、リビングの方へと戻ってきてくれた。それでも、彼女の足は生まれたての小鹿の様に小刻みに震えていた。
それともう一つ。彼女は服を着ていなかった。上から下まで全裸の状態だ。機械だと自分に言い聞かせても、人間そっくりに作られているそれは、胸元の電源ボタンがなければ完璧に人間の体のものと同じだ。普段アンドロイドはアンドロイド専用の服を着ているわけだが、そんなもの、俺の部屋にあるはずがなかった。それでも、このままにしておくと俺の中の漢が正気を保っていられる自信がない。そこで、俺はタンスから少しサイズの大きいTシャツジーンズを引っ張り出し、彼女に渡した。
最初、何かを疑う様にそれを眺めたり、においをかいだりしてだいぶ警戒していたようだが、何とか両方とも着てくれた。ただ、彼女には左腕がない。ジーンズをお履くときなんかは、かなり苦労していたようだが、俺が手伝おうとすると、
「大丈夫です、大丈夫です、一人で出来ますから。」
と、俺の手を振りきり、一人で済ませてしまった。よほど触られることが嫌いらしい。
そうして、リビングの真ん中に置かれたテーブルをはさんで彼女と俺は向かい合うようにして座った。ひんやりとちょうどいい冷たさの床が、少しずつ尻に伝わってくる。この沈黙した部屋では、遠くでせみの鳴く声や、どこかで子供のはしゃぐ声、そして壁にかけてある時計の針の音まで鮮明に聞こえていた。まるで喧嘩したカップルのような気まずさが、俺の周りを立ち込める。
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瀬名 紫陽花