テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
盛大な即位式と、建国以来の規模で国中が沸き立った祝宴が、ようやく幕を閉じた。
新皇帝として黄金の冠を授かったレオ様と
その傍らで正式に帝国皇后となった私は、深夜の静まり返った私室へと戻ってきた。
豪華絢爛な大広間の喧騒が嘘のように、室内には暖炉の爆ぜる音だけが優しく響いている。
窓の外を見れば、まだ国民たちの祝いの残り火のような花火が
遠い夜空の果てで小さく、けれど幸せそうに弾けていた。
「……ようやく、二人きりになれたね、ローラ」
レオ様は、皇帝の威厳を象徴する重厚な正装の飾りを窮屈そうに外すと
それを無造作に椅子へ投げ捨てた。
テーブルに用意されていた琥珀色のヴィンテージワインを二つのクリスタルグラスに注ぐ彼の仕草は
どこまでも優雅だ。
顔にはいつもの人懐っこい、誰もを惹きつける
「陽だまり」の笑顔が浮かんでいる。
……けれど、私を見つめるその琥珀色の瞳だけは
これまで見せてきたどんな演技よりも濃密で、逃げ場を許さない昏い熱を宿していた。
「レオ様……いえ、陛下、本当にお疲れ様でした。今日という日まで、本当に、気の遠くなるような長い道のりでしたね」
私が労いの言葉をかけると、彼はグラスを置くこともせず、一歩、また一歩と距離を詰めてきた。
「陛下はやめてくれ、ローラ。ここでは、僕はただの君の夫だ。君だけが知っている、不完全で身勝手な男だよ」
彼は私の隣に腰を下ろすと、長い指先で私の顎をそっと掬い上げた。
祝杯を挙げ、互いの健闘を称え合う穏やかな夜。
そう思っていた。
けれど、彼が薄く唇を開いて紡ぎ出した言葉は
私の心臓をこれまでにないリズムで激しく跳ねさせた。
「ねえ、ローラ。君は不思議に思ったことはないかい? 僕がなぜ、星の数ほどいる高貴な令嬢たちの中から、没落寸前で後ろ盾もないハルデンベルク公爵家の君を、あえて選んだのか」
「それは……私が、口が堅くて、契約を忠実に守りそうだったから…ではないのですか? 都合のいい駒として、私が最適だったからと……」
私が困惑しながら答えると、レオ様は低く、喉の奥を震わせるような愉悦に満ちた笑い声を上げた。
彼は飲みかけのグラスをテーブルに戻すと
強引に私を抱き寄せ、熱い吐息が耳朶をかすめるほどの至近距離で囁いた。
「違うよ。君が、僕を初めて『一人の人間』として見てくれた唯一の女性だったからだ」
「…覚えているかい? 三年前の園遊会。僕は池のほとりで一人、完璧な皇子の仮面を脱ぎ捨てて、醜い毒を吐いていた。周囲のすべてを呪っていた」
「それを見ていた君は、怯えるどころか『大変ですね、王子様も。少しお休みになった方がいいですよ』なんて言って、自分のハンカチを僕の手に握らせて去っていったんだ」
驚愕に目を見開く私を
彼は逃がさないと言わんばかりの腕力で、さらに深く、骨が軋むほど抱きしめた。
「あの日から、僕は君を僕だけのものにすると決めていた。……君の家が困窮し、没落の危機に瀕したのも、実は僕が少しだけ裏から『手助け』をしたんだよ」
「君が誰の手も借りられなくなり、周囲のすべてに絶望し、最後には僕が差し出す手を取るしか選択肢がなくなるように……ね」
(……え……?)
全身の血が指先から引いていくような、形容しがたい戦慄が走った。
あの人懐っこい笑顔の裏側で
彼は私が自分を頼らざるを得ない地獄を、虎視眈々と作り上げていたというのか。
「えっ…そ、そんなことを……?」
「ごめんね」
最初の出会いも、救いの手という名の契約も
没落を救う「悪魔の誘い」さえも。
すべては私をこの腕の中に永遠に閉じ込めるために仕組まれた、美しくも残酷な罠だったのだ。
「……レオ様、じゃあそれは……演技ではなく、最初から、ずっと……?」
「そう、最初から。僕は君という存在に、とっくに狂わされていたんだ。……きっと、怖がらせてしまったよね」
彼は私の震える肩に顔を埋め、獲物を手に入れた悦びに浸るような声で呟いた。
その瞳には、もはや隠そうともしない、底知れない愛執と狂気が渦巻いている。
けれど、そんな彼の本性を突きつけられてなお、彼を拒絶できない自分自身に愕然とする。
彼が仕掛けた毒に、私もまた、いつの間にか深く侵されていたのだ。
「……本当に、意地悪で…恐ろしい陛下ですね」
「…否定はできないね…。でも、君を愛していることだけは、どんな冷酷な契約書よりも確かな僕のたった一つの真実だよ」
レオ様は、私の微かな抵抗さえ許さず、貪るように唇を奪った。
あの日
追手から逃れた暗がりで交わしたあのキスよりも、もっと深く、重く、独占欲に満ちた熱い接吻。
契約から始まった二人の夜は、今、逃げ場のない「真実の初夜」へと塗り替えられていく。
窓の外で、最後の一発の花火が、静かに
けれど鮮烈に夜空を焦がし、私たちの新しい夜を祝福していた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!