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「もちろん書類の上だけだ。住まいは引き続きウィル、お前の屋敷、ここペイン邸で引き受けて欲しい。ただし、侍女としてではなく、ライオール家の令嬢として扱ってくれ。表向きは〝身元引受け〟という形だ。だが実際は――」
そこで小さく吐息を落すと、ランディリックが小声で続ける。
「口止めのためだ」
「口止め?」
「そうだ。あの女に〝貴族としての立場〟を与える代わりに、今回のことは口をつぐむよう交渉する。我が侯爵家の養女としてならば、いい嫁ぎ先も見つかるだろう。あの女は必ず乗ってくるはずだ」
イスグラン帝国は女性の処女性を、さして重要視していない。むしろ、初夜で痛がらないこなれた嫁のほうが良いと豪語している貴族もいるくらいなのだ。
ウィリアムはしばらく黙り込んだ後、深く息を吐いた。
「……お前が戸籍を汚す。俺が世話を引き受ける。そういう役割分担か」
「ああ」
「……本当に、容赦がないな」
「若き青年貴族の未来を守るためだ」
その一言に、ウィリアムは何も言い返せなかった。
実際にランディリックがウィリアムに守ろうと持ち掛けているのは他国の王族の名誉なのだから。
やがて二人は、セレノの待つ部屋へ戻った。
椅子に腰を掛けたままのセレノは、二人の固い表情を見て、困惑を滲ませた。
「……どう、だったんだ? 僕の身の潔白は証明できた……ん、だよ、ね?」
答えたのは、ウィリアムだった。
「殿下……。此度の不手際は、俺たちにも責がございます。殿下の名誉を傷つけることだけはないよう、我々が責任をもって収めます」
セレノの瞳が揺れる。
「ちょっと待て。それは……どういう……?」
ランディリックが一歩前に出た。
「医師の見立てでは、ダフネ嬢はここ数時間の間に……その、花を散らされた、とのことでした」
「えっ? それは本当なのか? だって僕は……」
「非常に残念です」
なおも紡がれようとするセレノの抗議の声を遮るようにして、ランディリックはこれ以上の言い訳は見苦しくなるだけだと無言でセレノを制した。
「ご安心ください。ダフネ嬢には口止めを施しました。彼女は養女として、我がライオール家が身元を引き受けます」
「……僕は……何も……」
掠れた声に、ランディリックは一瞬だけ目を伏せた。
「殿下、わたくしも、そう信じたかった」
――セレノは潔白だと知っていて、それ以上はもう、何も言わない。
(申し訳ないが、殿下には――我々に対して、負い目を感じていただかねばならないんだ)
それが、最も確実に……愛するリリアンナをセレノの好意から守るための道だから。
紫水晶色の瞳の奥で、冷たい計算が静かに完結した。
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