凪の苦い顔を見て千紘は苦笑する。
「そんな顔しないでよ。まあ、付き合うの定義は人それぞれだからあくまでも俺の中の付き合うだけどね」
「じゃあ、他の女がいてもOKなパターンもあると」
「まあ、中にはそれでもいいから付き合いたいって人もいるしね」
「でもそれだと定義と逸れる」
「そうね。けど肩書だけが欲しい人もいる」
「なにそれ。くだらね」
「ねー」
千紘はそうは言いながらも、全く理解できないわけではないというように目を細めた。
「……なにその反応」
「全然わからなくもないんだよね。だって、凪が俺だけのものって思ったら嬉しいじゃん」
「好きじゃなくても?」
「んー。でも他の人に触れなくなる。本当は誰にも触らせたくないよ」
千紘はそう言って優しく凪の髪を撫でた。仕事頑張ってと言われることも、女性でイケなくなった事に対してちゃんと話を聞いてくれたことはあったが、誰にも触らせたくないと切実な声で言われたのは初めてだった。
「……仕事だから気にしてないのかと思った」
「そんなわけないじゃん。ちゃんと嫉妬するよ。だって、俺は予約できないのに、性別が女ってだけでお金払えば凪とエッチなことできるんだから」
「そんなこと思ってたのかよ」
「だって、凪が俺は予約しちゃだめだって言うから」
「そもそも利用条件に当てはまってないからな。でもお前は金払わなくても会ってるし、今からセックスするんだろ?」
「ん……。凪はなんで今日俺に抱かれる気になったの? 正直、そのまま帰るかと思った」
千紘は、自分の額を凪の肩に預けた。凪の素肌が直接伝わって、心地良さを感じた。
「なんだよ、喜んでたくせに」
「そりゃ嬉しいよ。俺は凪のこと好きだから。でも、凪はそうじゃないのに何で抱かせる気になったの? ムラムラした?」
「いや……」
凪も千紘に言われて何でだっけと考える。安眠ができたのだから、自宅でゆっくりすればよかった。千紘にデートに誘われたら面倒だと思ったのも事実なのだからさっさと帰ったらよかったのだ。
でも、そうはしなかった。千紘が他の男と出かけるなんて言うから。
「まあ、凪にとっては好きじゃなくてもセックスするのはなんてことないんだもんね。特に理由なんかないか」
千紘はなんの悪気もなくそう言った。実際凪からもそう聞いていたから。けれど、凪はなんだかそれがとても不満だった。
「なんてことないわけじゃねぇよ。現に仕事だってわかってても気分悪いのに」
凪は下からキッと千紘を睨みつけた。ここ最近ずっと体調不良で、客と触れ合う度に吐き気や嫌悪を感じでいた。そんな精神的苦痛などなにも知らないくせにわかったようなことを言うなと目で訴えかけた。
千紘はそれに心底驚いた。以前、凪は中には可愛いお客さんもいるし、変な客はもう取らないからそんなに苦痛はないと言っていたことを思い出していたのだ。
好きでやっている仕事だし、それなりに楽しいと微笑まで浮かべていた。その時千紘は、相手が客だったとしても女性の体が好きなんだなと改めて実感させられたから、男の自分じゃ無理なんだと落ち込んだものだ。だから余計に覚えていた。
凪が眠れなくて日々辛いという話はかなり前から聞かされていた。しかし、仕事が大変なのも思うように睡眠が取れないからであって、仕事内容が原因ではなかったはず。
それなのに、凪の言葉は仕事に対する嫌悪が滲み出ているようで千紘は戸惑いを隠せなかった。
「えっと、え? 凪ってその仕事好きでやってるんだよね?」
顔をしかめた千紘からの質問に、凪はふいっと目を逸らした。
「そうだな……」
「仕事は楽しいって言ってたでしょ? お金貰って可愛い子とイチャイチャできて楽しいって言ってた」
千紘は不思議そうにそう言うが、凪はむっと口をへの字に曲げた。そんなことを言った気もするが、千紘から言われるとそんなわけないと否定したくなった。
「今は……楽しくないし」
「辛いの?」
千紘は目を伏せた凪を見て瞳を揺らした。凪が仕事を楽しめなくったのは、女性とのセックスで絶頂を迎えられなくなったからだと察したのだ。
自分が凪を抱いたせいで、凪の仕事に支障が出ていると思ったら、本来セラピストを辞めてくれることを望んでいたはずなのに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
凪はこれで生計を立てているのだ。現実問題、すぐに仕事を辞めたら生活できなくなり、凪の負担となる。
それは決して千紘が望んでいた結果ではなかった。
「ごめん。それ、俺のせいなんだよね?」
千紘は本当に申し訳なさそうに凪の目を見つめて謝罪をした。ただ凪は、その反応が意外だった。
千紘からはなぜ千紘が無理やり凪を抱いたのか理由を聞いていたのだ。凪の体を開発して、自分へ興味をもたせようとした。
凪はまんまと千紘の策にハマって、何度かセックスをしたし、自分からも誘った。千紘の思い通りの展開になったはずだ。それなのに、なぜ千紘が謝るのか全く理解ができなかった。
出会ったばかりの千紘なら、手放しで喜んだはず。じゃあ辞めちゃいなよなんてことを笑顔で言ったはず。それなのに、千紘の反応はどれも凪が想像していたものと違った。
「何謝ってんの? お前が望んだことじゃん」
「いや、そうなんだけど……」
「全部お前のせいじゃん。こうなったのも、全部」
凪は沸々と怒りが込み上げてくるのを感じた。全て計算して行動していたくせに、計算通りにいったら謝罪して終わり。そんなのあまりにも都合が良すぎるだろうと腸が煮えくり返る思いだった。
「わかってる。だから、ごめんって」
「謝られても俺の体はもう元に戻んねぇ」
「うん……」
「仕事してたら吐き気がしたり、触れられることも鳥肌が立つほど嫌になった」
「え……そんなに?」
「お前のせいで女が無理になったんだろ」
「……ごめん」
千紘はとんでもなく深刻な事態に言葉を失った。千紘はただ凪のことが好きで、凪も自分のことを好きになってくれたら幸せだと思っただけだ。決して嫌われないよう努めてきたはずなのに、さっきまで抱かせてやると言ってくれていたはずなのに、唸るような声で怒る凪に泣きたいくらい悲しい気持ちになった。
「お前はいいよ。最初から男としかセックスできねぇんだから。でも俺は女が無理になったら男でそれを埋めるとかできねぇし」
「うん」
「他の男で性欲処理とか絶対嫌だし」
「うん……」
「時間が経てば女を抱けるようになるかもわかんねぇ」
「そうだよね……」
千紘はなんてことをしてしまったんだと深く反省をした。どうしたら凪の怒りを抑えられるだろうかと真剣に悩んだ。
けれどそれと同時に、なんで自分になら抱かれてもいいのかとふと考える。
そもそも女性で絶頂が迎えられなくなったからといって、自分が触れることに嫌悪したりするものだろうか。
自分で後口を触りながらなら、女性に挿入しながらでも絶頂を迎えられたと凪は言っていた。その方法でなら、まだ可能なはず。女性自体を嫌いになる理由にはならない気がした。
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