そんなふうに考えて、千紘がたどり着いたのは自分だったらいいんじゃないかという答えだった。
自惚れかもしれないが、仕事であっても他の女性に触れるのが嫌になったり、かといって他の男で試そうともしない。
なんでも行動するタイプの凪なら、女が無理なら他の男とも試してみようとしてもおかしくはなかった。
あんなにも千紘のことが嫌いだと言っていながら、千紘でなら絶頂を迎えられるかもしれないと千紘とのセックスを試みたくらいだ。
プライベートで女性を抱いてみるだとか、いくらでも方法はあったはず。それなのに今回千紘に抱かせてやると言ったのは、千紘に抱かれるのは嫌ではない証拠だ。
むしろ、千紘でなくちゃ嫌になったのならその方がよっぽどしっくりくる気がした。
「あのさ、凪……」
「なに」
「怒ってるところ、更に怒らせるかもしれないんだけど」
「なんだよ」
「凪さ、俺のこと好きなの?」
「……は?」
突然の千紘の質問に、凪は間抜けな顔をした。このタイミングでそんなことを言うだなんて誰も予想しないだろう。
凪だって当然そんなバカげたことを言われるとは思っていなかった。
「だってさ、女の子嫌なんでしょ? 可愛くても綺麗でもお金貰えても」
「それは関係な」
「前なら割り切れてたよね? 俺、聞いたもん。仕事楽しいって言ってたの。好きでやってるし女の子しか無理だって言ってたの」
「だから、お前のせいで」
「俺は好きな子なら、別にセックスなしでも一緒にいるだけで幸せだよ?」
千紘は尽く凪の言葉を遮る。どこまでも千紘のせいにしようとする凪に、1つずつ矛盾を指摘するかのように続けた。
「だから、凪が触れられたくないって言った時はセックスしたいとも言わなかったしキスもしなかった」
「……」
「一緒に寝られるだけで幸せだって思ったよ。だから、例え気持ちがなくても女の子が好きならセックスで最後までできなくても、吐き気がするほど嫌な気分になったりはしないんじゃないの?」
「それは……」
「女の子とエッチしてイケないからいやなんじゃなくてさ、女の子そのものが無理になったんじゃない?」
千紘に言われて凪は大きく目を見開いた。凪は自分の客が生理的に無理になったのか、それとも女性で絶頂を迎えられなくなり、男としての劣等感から拒絶しているものだと思っていた。
けれど、なんとなく千紘の言葉がストンと自分の中に入ってきてしまったような気がした。
凪は、右手で口元を覆って暫し考えた。千紘のことが好き……はとりあえず置いておいて、女性が無理になったということに関しては納得した気がした。
今まで可愛いと思っていた客も、メンタルケア要因だった客も、楽な太客も全員触れることすら嫌になった。
デートだけで満足していた客ですら、外で手を繋いで歩くのが嫌になった。
女性自体に嫌気がさしているのは間違いなさそうだった。女性とセックスできないからと言って、デートコースの客まで嫌う必要はない。マッサージ時間を多めに取って、性感を少なくすることだって可能だった。
けれどそれすらも嫌だと感じた。それはもう、この仕事への嫌悪も同然だった。
「女は……暫く触りたくない」
「うん。そんな感じがする」
「触れすぎた……とか」
凪は必死に女性が嫌いになった理由を考えた。千紘が好きだという理由は認められなかった。
自分はゲイでもバイでもない。男でもいいと思ったことなど一度もない。男の千紘を好きになるわけがなかった。だけど、なぜこんなにも女性が嫌いになってしまったのかはわからなかった。
「まあ、それもあるかもね。ずっと気を張って突っ走てたら、いつか疲れて休憩したくなる。だから、暫く休みたいって言ったんじゃなかった?」
「ああ、うん……」
「その限界を超えたんじゃないの? まあ、どっちにしろ、体調崩すほど女の子が無理なら明日からでも仕事は休んだ方がいいよ」
千紘は、肩をすくめて言った。凪は呆然と全裸の千紘を見つめていた。お互い裸でなんの話をしてるんだとふと冷静になったのだ。
頭に昇った血が一気に引いたら、何となく目眩がした。
目頭を押さえて、頭を下げる。
「どうした? 体調悪い?」
千紘が心配そうに凪の顔を下から覗き込み、凪の肩に触れた。その手の温もりに全く嫌悪しないのも、凪には不思議でならない。
自然と額を千紘の胸に預けた。千紘の匂いと体温が優しくて、何となく安心した。
明日からでも仕事は休んだ方がいいという言葉も頭の中でリピートされた。その時になって、ようやく休んでいいのか……と許された気になった。
今までなんのために休みもなくがむしゃらに働いてきたのか、途端に自分がわからなくなった。頑張ってる自覚はなかった。それなりに楽しかったし、金になったから。ただそれだけだ。しかし今は、確実に頑張って仕事をしているように思えた。
「怒ってんのバカらしくなってきた」
凪は、千紘に額を預けたままポツリと呟いた。全て千紘のせいにしていたが、疲労が溜まっていたことも原因かと思うと自分の体だけの問題でもない気がした。
「怒ると疲れちゃうからね」
「お前はいつでも冷静だな」
「んー? 凪のことになると冷静じゃいられなくなるよ」
そう言って千紘は、凪の頭を軽く撫でてからそこにキスをした。それに気付いた凪がふと顔を上げる。自然と視線が合って、凪は千紘からのキスを受け入れた。
舌先が触れ合って、絡まり合う。千紘の腕が凪の背中に回されて、引き寄せられると一層2人の距離が縮まった。
していることは仕事と同じはずなのに、千紘とキスをすることも、体を撫でられることも嫌ではない。
それを実感すると、さっき置き去りにしてきた千紘のことが好きなのかという質問が頭に浮かんだ。
好きだと感じたことはなかった。ただ、1人で自宅で眠っても安眠できないくせに、千紘の隣でグッスリ眠れてしまうことも、それを頼ってここに来たことも事実だった。
抱かせてやると言ったのだって、ここで凪とセックスをしたら、この後会う男とはしないかもしれないと思ったからだ。
「待ち合わせ、何時?」
唇が触れるか触れないかのところで凪が尋ねた。千紘はうっすら瞼を上げて、もう一度凪の唇を奪った。
「別に、時間決まってない。家出る時電話するからいい」
千紘が凪の下着の中に手を滑り込ませ、軽く膨らんだ竿に指を添わせた。
「はっ……」
急に訪れた刺激に、凪はブルっと体を振るわせた。体の奥から続々と快感が走った。そちらに集中している間に、凪のズボンも下着も下にストンと落ちていった。
太腿に触れる空気が冷たく感じた。
「時間気にしなくていいから、俺に集中して」
「ん……」
千紘が待ち合わせなんてどうでもいい。そんな雰囲気を出すから、凪は今の千紘には自分しか見えていないのだと感じることができた。
なんだかそれが嬉しく感じた。なぜ嬉しいのかはわからないが、千紘の特別は自分以外ではダメだと思ったのだ。
千紘に全て委ねて集中する。凪はそう神経を千紘に向けるが、気にするなと言われてもどうしてもこの後の予定が気になった。
「あのさ……」
「うん?」
「別に、すげぇ気にしてるわけじゃないんだけど……」
「うん」
「俺とセックスした後さ、またすんの?」
凪はどうしても聞かずにはいられなかった。別に自分には関係のないこと。そう思っていても、それを解決しなければ集中できそうになかった。
「するって何を?」
「セックス」
「ん? 凪帰んないの? また今日も泊まってく?」
千紘は質問の意図がわかっていないのか、今日も凪が泊まってくれるのかと期待に満ちた表情をした。
「いや、帰るけど。だから、その今から会う友達と」
「は?」
千紘は一度聞き返した後、すぐにふふっと笑ったかと思うと顔の前で手をぶんぶんと振った。
「ないない。そもそも友達じゃないし」
「え、は? さっき友達って」
「凪が言っただけでしょ? 別に友達でも変わんないから否定しなかったけど」
「えっと……」
「兄ちゃん」
「え?」
「俺の。兄貴ね」
千紘は肩を震わせておかしそうに笑う。一緒に出かけるのは間違いないのだから、凪が友達と待ち合わせかと思ったところで特に問題はないものだと思っていた。
けれど、まさかこの後のセックスまで心配されていたのかと思うと相手が兄なだけにおかしくてたまらなかった。
「兄貴……」
「うん、そう。奥さんの誕生日プレゼント、一緒に選んでほしいって言われて」
「ああ……そー……なんだ」
凪は一気に体の力が抜けた。買い物に付き合うとは言っていたが、凪の頭の中は完全にお買い物デートだったのだ。
凪が客とのデートで服を選んだり、お揃いのものを買ったりするように千紘もそんな時間を過ごすものだと思っていた。
「うん、そう。だからセックスはしないよ。お兄ちゃんだからね」
イタズラに笑う千紘の顔を見て、急に恥ずかしくなった凪は、勢いよく顔を背けて「別に気にしてないし」と言った。
ここで突っかかったら、意固地な凪はまたムキになるとわかっている千紘は、柔らかく微笑んで「というか、凪以外は抱かないよ。凪しか欲しくないから」と耳元で囁いた。
「だから、別に俺はっ!」
かあっと真っ赤な顔をして凪は目を逸らした。その姿がなんとも言えないほど可愛くて、千紘の胸の奥がギューッと痛くなった。
「凪以外とはしないからさ、凪も俺以外には触らせないでよ」
少し独占欲を出してみてもいい気がした。凪の質問が嫉妬以外の何かなんて千紘にも想像がつかない。
自分と同じ気持ちでいてくれたのなら、そんなに嬉しいことはないと思った。
「……仕事以外でしてないし」
ポツリと凪が言う。それは遠回しに千紘だけだと言っているも同然だった。
「うん。仕事でもしなくなったらいいのに」
「……そしたら俺、無職だけど……」
「あー……そうね。生活できなくなっちゃうね」
「別に……貯金あるから暫く仕事しなくても困んないけど」
凪はポツポツと呟いた。暫く仕事は休む。そう決めたが、このまま戻ることに嫌気が差したら辞めたくなるかもしれない。そう考えた時の未来も少し想像した。
十分過ぎるくらいの貯金はあるし、生活もそんなに派手じゃない。数ヶ月丸々仕事をしなくても家賃も生活費も困りはしない。
結果、仕事を辞めたところで何ら問題はなかった。
「辞めるの? 仕事」
「わかんない……。戻りたくなかったら辞めるかも……」
休息をとったら女性への苦手意識が克服するかも。そう思っていたが、そんな保証はどこにもない。
正社員として働いている一般企業ほど辞めるのに苦労することもない。あとは凪の気持ち次第で、辞めること自体はとても簡単な話だった。
「もし辞めるなら、うちにきなよ。そしたら家賃も光熱費もいらないし、3食と風呂と俺の腕枕付き」
千紘はそう言ってふふっと笑った。いつもの凪なら「行くわけないだろ」そんなふうに悪態をつくはずだった。
けれど、心身共に疲れ果ててしまった凪は何も言えなくなった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!