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翌朝。
朝日が窓越しに差し込み、炊事場には湯気と味噌の香りが満ちていた。
鍋の蓋を開けると、ふわりと立ちのぼる湯気に頬が緩む。
(昨日のことが、夢みたい)
将臣は、自分の異能を呪いとは言わなかった。
——俺にはありがたい力だ。
その一言が、胸の奥で何度も静かに響いている。
凪は思わず口元を押さえ、小さく笑った。
「……おはよう」
居間から聞こえた声に、凪は振り返る。
将臣が寝癖を少しだけ残したまま廊下へ出てきた。
「お、おはようございます」
凪はぎこちなく頭を下げる。
昨日より少しだけ、空気が柔らかい。
その時だった。
「にゃぁぁぁ……」
弱々しい鳴き声が足元から聞こえた。
二人は同時に視線を落とす。
結丸がしっぽを持ち上げたまま、しきりに先端を舐めていた。
「結丸?」
凪がしゃがみ込む。
いつもなら真っ先に朝餉をねだるはずなのに、今日は元気がない。
しっぽをそっと覗き込んだ将臣の表情が変わる。
「……少し診せてみろ」
将臣は結丸をそっと抱き上げると、膝の上へ乗せた。
「暴れるな」
低く声をかけると、不思議なことに結丸は「にゃ」と短く返事をして、おとなしく座り込む。
将臣はしっぽを指先で持ち上げ、根元から先までゆっくりと確かめていく。
「痛っ」
先端に触れた途端、結丸が爪を立て小さく身をよじった。
将臣の眉がわずかに寄る。
「鋏を持ってきてくれ」
「はい」
凪は棚から小さな鋏を取り出し、将臣へ手渡した。
将臣は結丸を安心させるように喉元を軽く撫でながら、患部の周りだけ毛を少しずつ刈っていく。
「もう少しだからな」
声まで優しい。
毛の下から現れた皮膚は赤く腫れ、一部が爛れている。掻き壊した跡だった。
将臣は静かに息をつく。
「皮膚炎だ」
凪も身を寄せ、患部を覗き込んだ。
「こんなに赤く……」
「痒くて舐めた上に、さらに掻いて悪化したんだろう」
将臣は結丸のしっぽをそっと撫でた。
「これは、結丸も辛いですね。まずは、軟膏で炎症を抑えてあげたいです」
「ああ。それがいいな」
将臣の声を合図に、凪は棚から乳鉢を取り出し、乾燥させておいた薬草を並べた。
「炎症を抑えるドクダミと、皮膚を守る紫根を少し。それから──」
手際よく薬草を乳鉢へ入れ、乳棒でゆっくりと擦り合わせていく。薬草の青い香りが、部屋いっぱいに広がった。
将臣は結丸を膝に抱き、赤く腫れたしっぽへ濡れ布を当てて熱を取っている。結丸は気持ちよさそうに目を細め、小さく喉を鳴らした。
「傷の手当にも、ずいぶん慣れていますね」
「ああ。軍では薬の調合も見てきた。だが、ここまで細やかな仕事は薬師の役目だったがな」
凪は、戦地で将臣の隣で薬を調合する兄を思い浮かべて、少しだけ誇らしい気持ちになる。
「私も……兄に叩き込まれました」
軟膏に椿油を落とし、ゆっくり練り合わせる。
「これくらいでしょうか」
乳鉢を持ち上げようとした、その時だった。
「貸してくれ」
将臣も同じように手を伸ばす。指先が触れそうになり、二人ともぴたりと動きを止めた。
「あ……」「……」
一瞬、至近距離で視線が絡み合う。
昨日までなら気まずさに耐えかねて俯いていた。けれど今日は違った。二人とも小さく息を飲み、そっとお互いに手を引く。
「す、すみません」「すまない」
声が重なった。
思わず顔を見合わせると、おかしくなってしまう。どちらからともなく、小さく笑みがこぼれた。
(なんだか、不思議……)
胸の奥がキュッと小さく高鳴っている。それなのに、少しも怖くない。
(将臣様のそばは……心が落ち着く……)
凪は軟膏を木べらで掬い、結丸のしっぽへ優しく塗った。
将臣はその様子を静かに見つめる。
(最近、凪はよく笑うな)
怯えたように視線を伏せることも少なくなった。その変化が、なぜだか嬉しかった。ふと、将臣の口元が自然と緩む。
それに気づいたのは、結丸だけだった。
「にゃあ」
甘えるように鳴く結丸へ、将臣は苦笑しながら喉を撫でる。
「もう少しで治るからな」
結丸は安心したように目を細めた。
その時だった。
「おい、結丸!」